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未来へ受け継ぐ Things to inherit to the future【2023年第2回】

京都から新しい暮らしを提言し、発信するキャンペーン企画「日本人の忘れもの知恵会議」。教育者で空間人類学者のウスビ・サコさんをホストに迎えた対談シリーズ第2回は、宇宙飛行士として船外活動のミッションも成功させた土井隆雄さんと府立嵯峨野高(京都市右京区)で、京都こすもす科専修2年生を前に「宇宙が招く近未来」について、最新の宇宙開発の取り組みを交えて語り合った。コーディネーターは、京都新聞総合研究所の内田孝が務めた。

未来へ受け継ぐ Things to inherit to the future【2023年第2回】


■対談
宇宙が招く近未来

ダイアローグ通じて相互理解を
ウスビ・サコ氏(教育者、空間人類学者)

有人宇宙開発で広がる活動領域
土井隆雄氏(宇宙飛行士、京都大学大学院総合生存学館特定教授)

 

土井◉1961年、ソ連(現・ロシア)の空軍パイロット・ガガーリンによる単独飛行から、世界の有人宇宙活動が始まりました。これに対し、米国もアポロ計画を打ち出し、1969年に有人月面着陸に成功します。1980年代以降、スペースシャトルを利用した宇宙での活動が続けられ、2000年代に入ると国際宇宙ステーション(ISS)の運用も開始されます。
私は1985年、毛利衛さん、向井千秋さんとともに宇宙開発事業団(後の宇宙航空研究開発機構=JAXA)により日本人初の宇宙飛行士に選ばれました。材料科学者の毛利さん、外科医の向井さんはそれぞれの専門知識や経験を生かし、宇宙で材料科学や生命科学などの実験を行いました。私は1997年に宇宙へ行き、日本人として初めての船外活動のミッションを果たしました。また、2008年の2度目のミッションでは、日本の宇宙実験棟「きぼう」の船内保管室をISSに取り付けました。その後、2回にわたって実験室などが打ち上げられ、2009年に「きぼう」は完成します。2010年に野口聡一さんと山崎直子さんの2人の日本人宇宙飛行士がISSに同時滞在したほか、若田光一さんが2014年に日本人初のISS船長(コマンダー)に就任。若田さんらの活躍によって、日本の有人宇宙活動は、リーダーシップの面からも世界に認められたと言えるでしょう。
サコ◉私は高校を卒業すると同時に、アフリカの母国・マリ政府の奨学金をもらって中国に留学しました。アジアでは言葉や食事はどうなるのか、地元の人々とどう付き合うのかといった不安ばかりの冒険でした。中国の大学を経て、1991年に来日しました。京都では、日本独特の本音と建前の違いが分からず、「いつでも家に遊びにおいで」と言われて、遊びに行くと「本当に来ちゃった」と迷惑がられるなど、私にとって日本での生活も宇宙に行っているような感じでした(笑)。
異文化との出会いでは、何が一番大きいか。私の場合、「自分自身が何者か」を考えるよい機会になりました。異国では、周囲と自分が違うのも当たり前ですから、無理に合わせる必要はないのです。しかし、相手の文化をしっかり理解することは、共存していく上で非常に重要です。私は、地球と宇宙の価値観は違うのではないかと想像しています。訓練やシミュレーションを重ねて宇宙に出発したと思いますが、それでも宇宙で驚いたことは何ですか。
土井◉一番印象に残っているのは、漆黒の宇宙を背景に、青く輝く地球をスペースシャトルの窓から見たときです。地球は、素晴らしく美しい惑星だと感動しました。一方で、スペースシャトルやISSからアマゾン川流域を見ると、広大な密林から黒い煙が立ち上っているのが確認できました。人々が密林を畑に変えようと森林伐採や焼き畑を進めていたのです。黒々とした煙が宇宙からあちこちに見え、これは地球環境に関わる大きな問題だと感じました。
宇宙に行くまでは、子どものころから関心を持ち、大好きだった宇宙こそが自分にとって最も大切なものでした。しかし、宇宙から人間を含む生命体が存在する地球を見るという経験をしたことで、もう一つの大事なものに気付きました。それは生命です。なぜ生命が地球に存在できるのか、宇宙と生命とはどんな関係にあるのかを探究したいと考え、京都大学では人類の火星移住を現実のものとする計画などを研究しています。

スペースシャトル「エンデバー」の発射台に、手を振りながら向かう土井隆雄さん(中央)ら=2008年3月10日午後10時40分、米フロリダ州のケネディ宇宙センター(共同)

スペースシャトル「エンデバー」の発射台に、手を振りながら向かう土井隆雄さん(中央)ら
=2008年3月10日午後10時40分、米フロリダ州のケネディ宇宙センター(共同)

サコ◉私は大学で1年生を対象に「自由論」という講義を開講しています。高校までは先生や家族に何か言われて動いたり、周囲の誰かを気にして動いたりしてきたかもしれませんが、大学生になると大人として社会的にも認知され、人生や生活を自分で設計し、自分の力で歩いていかなければなりません。自分って何者なんだろうと考えたり、自分と向き合ったりすることは大切で、自分の足元や周囲に大切なものがたくさんあることにも気付くでしょう。ただ、宇宙ではチームとしてスペースシャトルで旅をして、ISSでも仲間と一緒に生活します。宇宙での共同生活で、気を配ってきたことや工夫してきたことはありませんか。
土井◉宇宙へ派遣されることが決まり、クルーメンバーが決まると、出発までの1年から1年半の間、メンバーは同じ訓練を受け、朝から晩まで一緒に過ごします。スペースシャトルの外は真空無重力の環境下ですので、通常人間は生きていけません。宇宙に行くためにはチームメイトに自分の命を預けなければなりませんし、逆に仲間が私に命を預けるという場面もありますので、お互いに強い信頼関係がなければ宇宙に行くことは難しいでしょう。私も含め、各メンバーが準備段階で精力を注いだのはチームワークを醸成することでした。
サコ◉1年半ずっと一緒にいると、けんかもするんですか。
土井◉けんかというより、意見の食い違いは当然あります。一度のミッションで10以上の仕事や役割があり、それぞれに2人ずつ違うメンバーが割り当てられ、リーダーとフォロワーを務めます。2人の間で意見の相違があるとどうしてもぶつかります。しかし、それを乗り越えていくと、だんだん信頼関係が深まっていきます。
サコ◉宇宙でも自分の意見をしっかり伝え、話し合って調整していくことが必要だということですね。皆さんもぜひ覚えておいてほしいのですが、これをダイアローグ(対話、意見交換)といいます。けんかというと日本では悪いイメージを持っているかもしれませんが、けんかはお互いのことを深く理解していくためのステップでもあります。学校や家庭生活でも意見の相違はあると思いますが、何を受け入れ、何を我慢するかを明確にし、相手に対して自分をオープンにしていくことが大切です。
ところで、有人宇宙開発や宇宙を対象にした研究はなぜ必要なのでしょうか。
土井◉みなさんは、地球の生命がどこから生まれたと考えますか。地球上で誕生したのなら、何十億年の地球の歴史で他の新たな生命が生まれてもおかしくないのですが、それは今まで見つかっていない。私は、生命は宇宙から来たと考えています。それであれば、生命の誕生した宇宙に再び出て行くことは必須ではないでしょうか。
現在、私が進めるのは「有人宇宙学」の構築です。最先端の科学技術を人文社会学と連携させ、国民の関心を高めて宇宙開発利用を拡大し、文化や産業を多様化させていきます。地球から宇宙に広がる新しい社会を構築していくのです。宇宙を深く知ることは、文明を進化させることでもあります。有人宇宙学は、人間・時間・宇宙をつなぐ学問になるでしょう。
人工衛星の打ち上げなど無人宇宙開発に活動を限定してきた世界と、人を宇宙に送るという活動を続けてきた世界があると仮定します。1000年後、無人宇宙開発に活動を限定してきた世界では、人類は地球に住み続けているでしょう。有人宇宙開発を続けてきた世界では、その活動領域が太陽系を超え、ほかの恒星や銀河全体に広がっているかもしれません。私たちの未来に素晴らしい可能性を与えるのが有人宇宙活動で、お金をかける価値のある試みだと考えています。
サコ◉医療や生命科学技術の発展によって、寿命はどんどん延びており、高校生の皆さんは100年間健康で人生を送れるような時代を生きることになるかもしれません。人生が50~60年だった時代と比較すると、人口は減らず、生活レベルも向上しているので、資源やエネルギー、住む場所が足りないという問題が起きるかもしれません。その場合に宇宙に人間の活動領域を広げるということがベストの選択なのかどうか。どうお考えですか。
土井◉人類の歴史を振り返ると、500万年前にゴリラやチンパンジーの一部が森からサバンナに生活の基盤を移したことで、二足歩行を獲得し、ヒトへと進化を遂げました。500万年前と同じように、今、人類は宇宙を目指し、自ら環境を変えようとしています。再び人類は進化の分岐点に立っているのです。地球には海があり、水資源は豊富にあると思うかもしれませんが、土星の衛星であるタイタンなどと比べるとそれほど多くはありません。今後、宇宙に活動領域を広げることによって、地球の資源やエネルギー不足といった問題は解決できるでしょう。木造の人工衛星開発なども進めています。持続可能な人間社会を宇宙でも構築するために「有人宇宙学」を究め、発展させなければならないとの思いを強くしています。

マリ共和国


■質疑

―食事や睡眠など、ISSの生活で困ったことは何ですか。
土井◉初めて人類が宇宙に行った1960年代と比べるとはるかに過ごしやすくなっています。例えば宇宙食は各国の料理がそろい、日本食もあります。宇宙で一番困るのは風呂やシャワーがないことです。水は無重力の環境下では塊になって漂い、顔を覆ってしまうと呼吸ができなくなる可能性があるので、タオルで身体を拭くくらいしかできません。

―宇宙から帰ってきて、地球は不便だと感じたことはありませんか。
土井◉宇宙と地球での生活を比較して、最も違いを感じるのは、宇宙の方がはるかに人間の身体に優しい環境だということです。地球上には重力がありますので、身体が下に引っ張られて常にストレスを感じています。この重力から解放されると、身体は疲れず、寿命も3割くらい延びるといわれています。

―もし月や火星に移住したときに、国籍ごとに分かれて住むべきなのか、それとも一つの集団として暮らす方がいいのでしょうか。
サコ◉16~17世紀は大航海時代と呼ばれ、船や航海術といったテクノロジーが発展し、欧州諸国は資源を求めてアフリカ大陸やアジアなどに探検家を派遣しました。その後、各国は世界各地で独自の交易地や植民地を確立するのですが、土地や資源をめぐって利害が対立し、争いも起こりました。宇宙でも最初に月や火星に到達して開発を始めた国が土地や資源を占有してしまえば、大航海時代と同じようなことが繰り返される心配があります。
土井◉宇宙開発にはいろいろな国や文化圏の人たちが参加しています。多様な人々が刺激し合って、新しい技術や成果をつくり出すというのが、これから宇宙で起こるべき姿だと私は考えます。自国や自分自身のアイデンティティーを確立し、お互いに認め合える信頼関係を構築することで、宇宙での平和は達成されるのではないでしょうか。

対談風景


◎土井隆雄(どい・たかお)
1954年生まれ。東京大で宇宙工学を研究し、85年に宇宙飛行士に選ばれる。97、2008年に宇宙へ。国連・宇宙応用課長を経て2016年から京都大・宇宙総合学研究ユニット特定教授

◎ウスビ・サコ
1966年アフリカ・マリ共和国生まれ。中国留学を経て京都大工学研究科へ。京都の住まいなど研究。2018年4月~22年3月京都精華大学学長。2025年関西万博の開催準備にも関わる