京都発で、新しい暮らしと文化を発信するキャンペーン企画「日本人の忘れもの知恵会議」。やなぎみわさんがホストの対談シリーズ最終回は、京舞井上流五世家元の井上八千代さんを迎え、「私の歩みと舞台」をテーマにノートルダム女学院高(京都市左京区)でディスカッションした。コーディネーターは京都新聞特別編集委員の内田孝が務めた。
特集・未来へ受け継ぐ
Future series
未来へ受け継ぐ Things to inherit to the future【2022年第6回】
(2022年9月/京都ノートルダム女学院高)
■対談
私の歩みと舞台
力の恩恵受ければ大きな渦を
井上 八千代氏(京舞井上流五世家元)
人間を超えたものにつながり
やなぎみわ氏(美術作家/舞台演出)
井上◉中学、高校はノートルダム女学院(京都市左京区鹿ケ谷)に通いました。当時、校舎や寄宿舎は木造でした。市電が走る通りから学校まで、坂道を上がらなければなりません。雪が降った日の朝は、とてもしんどかったのを覚えています。
校内には、信仰に生きるシスターの存在など、京都のまちなかとは全く別の世界がありました。キリスト教的な雰囲気は、今でも強く記憶に残っています。授業で同級生たちと聖歌を歌うと、宗教的な高揚感というのでしょうか、独特の気持ちになったものです。
やなぎ◉半生を振り返られた『京舞つれづれ』(岩波書店)を読むと、中学生の頃は国語科教員を目指していた、とありました。女性は井上流の舞を、男性は観世流能楽をそれぞれ受け継ぐ家に生まれ、幼い頃から謡や和歌など古典に親しまれたことが影響しているのでしょうか。
井上◉確かに祇園の花街が感じられる家に育ちましたが、いわゆる日本の伝統の世界だけを生きてきたのではありません。ノートルダムの持つカトリックの雰囲気も楽しかったですし、現代国語の先生が、芥川龍之介の読解を独自のやり方で教えてくださったことを覚えています。本を読むのも好きでした。能楽師だった祖父(片山博通)が文章を書き、本を読むのが好きで、新作能も手がけていた影響があるのかもしれません。
やなぎ◉最近、私は連歌を学び始めました。連歌のルーツは『古事記』の問答歌と考えられています。明治期に小説を通じた近代的自我の追求で「私」という自意識が芽生えた結果、複数の参加者が句を交互に詠み連ねる連歌は小説と対照的な位置に押しやられ、文学ではない、と言われました。
連歌はもともと音声による表現形式で、小説など文字で成立する文学とは大きな違いがあります。国語の授業に違和感を持たれたことはありますか。
井上◉私が使った学校の教科書には、謡曲『隅田川』が載っていました。私の家では男性が代々能楽を受け継ぎ、弟(十世片山九郎右衛門)も能楽の稽古をしていたので、教科書を見た時、確かに「音で聞くのと文字で読むのはずいぶん違うなあ」と感じました。
やなぎ◉耳で聴いていた謡が、活字で目に飛び込んできたら驚きますね。
井上◉学校に通うのは、全く違う世界へ行くというある種の楽しみでもありました。
私の舞踊の師匠は、祖母(四世井上八千代)です。子どものころは師匠の部屋で寝起きも共にしていました。稽古でものすごく怒られた日には一緒にご飯も食べたくないし、一緒に寝たくもないのですが、そこは師匠も私も気持ちを切り替え、祖母と孫の関係に戻ります。
再びスイッチが入るのは翌日の稽古が始まる直前、扇を膝に置いて座った瞬間でした。
やなぎ◉師匠に怒られるのは、どういうときですか。
井上◉初心者は師匠と対面し、本来とは逆の動きをする師匠の所作を、そのまままねることから始めます。子どものころ、稽古中に「明日学校でテストがある。早く終わったらいいのに」と一瞬考えただけで、師匠はそれに気付き、「気がそれた」とよく怒られました。
やなぎ◉子どものころに10年くらい、神戸で日本舞踊を習いました。師匠は鏡のように手本を示してくれ、すごいなあと思っていました。
井上◉本来とは逆の動きをして教えることで、自分の技芸を磨くことにもつながるとよく言われます。師匠のいいところよりも、悪い癖の方が弟子に伝わりやすいのは不思議なことです。10年間続けた日本舞踊をやめたのはなぜですか。
やなぎ◉京都の大学に進学したからやめたのですが、今でも日本舞踊は大好きです。
福島県の博物館で「老い」をテーマにした展覧会があった時に能楽の演目を基にした舞踊で、難曲中の難曲といわれる『関寺小町』を踊りました。関寺の僧が、稚児を伴って庵に住む老女を訪ねるところから物語は始まります。話しぶりから老女が歌人・小野小町の零落した姿であることに僧は気付きます。その後、舞を披露する稚児の姿に小町は若かりし日々を思い出し、自らも舞い始めます。
能楽とは異なり、舞踊では小町しか舞台には登場しません。小町は、若やいだ姿を一体誰に見せているのだろう? と疑問に思いました。
井上◉能楽では主人公をシテ、相手役をワキと呼びます。ワキは主人公に相対し、思いを聞いたり、行く末を見届ける役割を担います。『関寺小町』では僧がワキに当たります。ワキは主人公と違い、作品によっては舞台上で長い間、静かにたたずんでいることがありますが、ある意味で観客と同じ側に立つ影のような存在でもあります。
やなぎ◉今年の春に亡くなった宝塚歌劇の好きな母は、私に日本舞踊を習わせました。『関寺小町』を舞い、なぜ習わせたのか合点がいきました。習っていたのは神戸の真光寺。鎌倉時代に時宗を開いた一遍上人(1239~89年)はここで没しました。時宗の僧は各地で連歌会を開く連歌師の役割を果たし、能楽に登場する「諸国一見の旅僧」のイメージと重なります。
自分で芸大進学を選び、自分の人生は自分でデザインしてきたと思っていましたが、意外とそうではなかったのかもしれません。ここ10年、演劇作品を手がけるようになり、特に野外劇は天候の影響を受けるので人間を超えたもっと大きなものにつながっている気がします。
井上◉先ほど明治期に近代的自我が確立されたという話がありました。明治以前に生きた人々は、自分の人生のために何かするというよりは、そこにただ存在するという人が多かったのではないでしょうか。ただ存在するというと消極的に聞こえるかもしれませんが、彼らは自然や神仏など、自分の思いや意思と違う力が働いていることをおそらく分かっていたでしょう。
そういう力の恩恵を受ければ、何かを推進するときにより大きな渦を巻き起こせると、60歳を超えてから感じるようになりました。
やなぎ◉井上さんのお母さまが舞踊をしてなかったのはよかったのではないですか。
井上◉母は普通の主婦でした。私は母と意見が違えば、時につかみ合いになるようなけんかをしました。母と師弟関係を結んでいたら、特に芸道上の争いが生じた場合には、抜き差しならない状況に陥っていたでしょう。祖母が師匠であったことで、母とは違う立場で客観的に見てもらえたのではないでしょうか。
やなぎ◉母と子の関係は近く、絶妙なバランスで成り立っています。私の母が亡くなる前、病室に大型プロジェクターを持ち込んで日本舞踊を映していました。認知症を患っていた母は映像を見て「あれは私?」と聞くのです。やはり踊り手になりたかったのだなと思い、何とも言えない感情が去来しました。
井上◉京舞にはにぎやかな舞も、物語性のある演目もあります。大きな特徴の一つは、劇場でゆったりした時間を多くの人が共有できることです。コロナ禍で、一時期は恒例の舞踊公演も中止しました。オンラインや映像を活用したイベント、情報発信も必要ですが、ステージを生で見てもらう機会を提供することが最も重要だと考えています。
やなぎ◉ネット上で人気を集めている映像の多くは、ダイジェストで主要な部分を切り取って編集したもの。ライブは、映像の中で情報化されてしまいます。鑑賞者と演者が、時間を共に生きるのが舞台芸術ですから、再び会場で集えることを待ち望んでいます。
■質疑
―舞踊の道に進む選択をしたことは、よかったと思いますか。
井上◉20代前半まで悩みましたが、祖母の舞踊そのものに引かれていましたので、結局は同じ道を歩むことになりました。私が心を決めたのは、一度舞踊の道から離れれば戻ることはできないという覚悟だったような気がします。
―学校の宗教行事の思い出はありますか。
井上◉年に1回、招かれた神父さんの話を聞く機会があり、「生きるということは死んでいくこと」という言葉が印象に残っています。宗教学者の山折哲雄さんも人は時を経てよみがえり、社会や歴史を再生していく「明るい無常観」という考えを説いていますが、私も共感します。
―学生時代と比べて舞に対する気持ちの変化はありますか。
井上◉高校生の頃は初めて舞う曲が多く、毎回挑戦の気持ちでした。舞台に上がることも嫌いではありませんでしたが、文化祭など楽しい行事に参加できないのは残念でした。
―日本の伝統文化への「若者離れ」が進んでいるとの指摘があります。
井上◉幅広い世代に見てもらう努力は大切です。マンガやアニメの人気作品を歌舞伎で舞台化する取り組みには注目しています。
―未来に伝統芸能を継承するにはどうすればいいのでしょうか。
井上◉コロナ禍で出演者だけではなく、舞台制作や劇場運営に関わるスタッフも仕事の機会を失いました。舞踊に欠かせない扇の職人や材料の加工業者が廃業したという話も耳にします。今あらためて感じるのは、人を大切にすること。舞台芸術を支える多くの人が引き続き活躍できるよう、経済的にも安心できる仕組みを考える必要があるでしょう。
―伝統芸能で、デジタル映像活用の取り組みが始まっています。
井上◉私が技術を使いこなせるかどうかはわかりませんが、やなぎさんのお知恵をお借りしたり、各分野の専門家に相談をして、新しいあり方を模索していきたいと考えます。
◎井上八千代(いのうえ・やちよ)
1956年生まれ。父は観世流能楽師の九世・片山九郎右衛門(幽雪)。3歳で入門。2000年に五世・井上八千代を襲名。2015年、重要無形文化財保持者(人間国宝)。
◎やなぎみわ
1967年生まれ。京都市立芸術大で染織専攻。近年は一遍上人と芸能を研究。上人の入寂の地にある兵庫県立兵庫津ミュージアムで、11月27日に新しい踊り念仏、連歌を行う予定。