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未来へ受け継ぐ Things to inherit to the future【2022年第1回】

京都から新しい暮らしのあり方を発信するメッセージ企画「日本人の忘れもの知恵会議」。美術作家/舞台演出家・やなぎみわさんがホストを務める2022年度の対談シリーズ第1回は、仏師・前田昌宏さんと「出会いと身体感覚」をめぐるディスカッション。佛教大の学生が質疑に参加した。コーディネーターは、京都新聞総合研究所特別編集委員の内田孝が務めた。

未来へ受け継ぐ Things to inherit to the future【2022年第1回】


■対談
出会いと身体感覚

信仰対象、求めるものに応じ
やなぎみわ氏(美術作家/舞台演出家)

仏像、触れてもらえる感覚に
前田昌宏氏(仏師/浄土宗僧侶)

 

仏さまに触れる

やなぎ◉前田さんはさまざまなサイズの仏像を彫られていますね。
前田◉仏像のサイズは、施主様のご要望を聞きながら、お寺の本堂や仏壇に合わせて決めていきます。これまで彫ってきた中で最大の仏像は、インド・ブッダガヤのお寺に奉納した等身大の釈迦如来像です。仏像彫刻ボランティアとしてインドと日本を往復しながら、十数年の時間をかけて制作しました。小さいものでは、手に乗るサイズの三頭身の仏像。佛教大の市民向け講座・オープンラーニングセンターでも制作指導をしています。
やなぎ◉私は美術作家なので、仏様も「造形物」と言ってしまいます。造形物を制作するとき、像の完成品の大きさによって身体的な感覚が全く違うと感じています。
前田◉そうですね。小さい仏様は感覚的に全体をつかめますが、大きいものは完成後、離れて拝むことになります。特に大きいものは下から見上げて拝むことを考え、手や顔の角度を工夫しています。
やなぎ◉前田さんは昔から仏像をつくってみたいと思われていたのですか。
前田◉実家は和歌山の浄土宗の寺で、毎朝、御堂でお勤めしていました。中学2年生の頃、5体あった仏像のうち、1体が盗難に遭ったことがきっかけです。毎日近くで見てきて、近しい感覚だった仏様が突然消えたのです。仏像を彫ったこともなければ習ったこともありませんでしたが、何とか失われたものの形をつくりたい、自分が彫ろうと決心しました。
やなぎ◉強烈かつ運命的な体験ですね。私も本格的に絵を習い始めたのは、中学生の時です。19歳の時、初めての海外旅行でチベットに行きましたが、仏像と参拝者の距離が近かったことがとても印象的です。信者の方は、柔らかい布地を仏様の膝に掛けて、そこに額をつけていました。周りのまねをして、私も仏様のお膝に額をつけたのですが、信者の方が幾重にも重ねてきた信仰の布地に頭が沈みこみ、柔らかさに感動しました。仏像に触れる体験は、日本ではあまりできないことです。
前田◉日本では直接触れられず、お堂も暗くてよく見えない場合が多いです。隨心院(京都市)の二条の間をお借りし、拝観に来られた方に、釈迦如来像に実際に触れてもらう機会を設けてもらったことがあります。1時間ほど抱きついている方もおられました。仏像は宗教的な信仰の対象として拝まれますが、それだけではなく、できるだけ触れてもらえる感覚に近いものをつくり、仏様を通じて何かを感じてもらえればと思っています。
やなぎ◉母が寝たきりの状態になった時、ホスピスの個室に家の仏壇を持ち込もうとしたところ、御住職から「移動するなら仏様の魂抜き・魂入れしなければならない」と言われて、「造形作品」と「信仰の対象」の違いとはこういうことか、と。「信仰の対象」となるものには、どこかよそから魂が入る。予め、作る人を越える運命にあるんですね。私は、仏壇から阿弥陀如来像を取り出して懐に入れて電車に乗るところでした。
前田◉私の講座でつくっている小さい仏像は、自分の制作物だからということで、持ち歩いたり、亡くなったご家族のお棺に入れたりする方もおられます。昔、仏様のお姿を表すことが失礼だとされた時代は、天然石を信仰の対象として拝んでいたようです。しかし、やはりお姿を目で見たいという気持ちから人間と懸け離れた姿でつくられるようになり、それが今の仏像になりました。
やなぎ◉それは興味深いですね。どの宗教にも偶像崇拝の可否について議論はあります。偶像を作るにしても、金属、石、木などの天然素材のままか、人が手技を駆使して丹精込めて作るかで、人と神仏の関係性を左右するほど違います。
そういえば、チベットでは金箔などが剥げたところをすぐに塗り直し、ぼってりした塗料の厚みで、寺院も仏像も少し形状が甘くなっていたような記憶があります。草木も生えないチベットの荒野を旅して、たどり着いたところに目がくらむような極彩色と金ぴかの世界が必要なのでしょう。人間が求めるものに応じて、信仰の対象の在り方も違うのだろうと感じました。

宇治市・正覚院に納める不動明王を制作する前田昌宏さん

宇治市・正覚院に納める不動明王を制作する前田昌宏さん(2020年8月、京都市右京区京北のアトリエ)

デコトラが示す世界

前田◉私は長男として寺の後継ぎのレールが敷かれていました。大学を卒業して実家に帰ってしまうと、仏師になる夢をかなえられないと思っていました。佛大3年の時、運送会社の社長からアルバイトに誘われ、過剰な装飾の「デコトラ」に乗ることになります。その頃、京都の高校に通うことになった弟と一緒に暮らしました。弟の弁当をつくり、朝4時に中央市場で積んだ野菜を朝5時に荷下ろしすると、トラックで大学に行き、夜は仏像を彫る生活です。仕事が縁でいろいろな方と出会い、卒業後もトラック運転手を続けました。仏像を彫りながら運転手として働くこともでき、さまざまな交流ができた貴重な経験でした。
やなぎ◉仏像を彫りながらデコトラに乗ることは、実に理にかなっていると思います。日本だけでなくインド、パキスタン、インドネシアなど豪奢な装飾を施したアジアのデコトラは、まさに「動くお寺」「移動する聖地」ですから。デコトラというのは移動そのものがパフォーマンスです。私が中上健次原作の演劇『日輪の翼』のステージとして使うデコトラは台湾製。輸入するのが大変で、長くかかりました。重くて大きい「動くお寺」を動かせば動かすほど、人の縁が繁茂するように、たくさん生まれていきましたね。神輿みたいなものなのです。
私自身、デコトラで旅公演をしているうちに、自分の生まれた場所であり、一遍上人が亡くなられた兵庫津(神戸市)に、改めて出会うことができました。

やなぎみわさんが公演の舞台に用いるトレーラー

やなぎみわさんが公演の舞台に用いるトレーラー(2017年、京都市南区)

踊りがもたらす身体感覚

前田◉最近、ある男性から、亡くなった母に似た観音様を彫ってほしいと依頼されました。一日中、その方の写真を見てイメージして何とか彫り上げたものをお渡しすると、「母が真横にいるみたいだ。毎日一緒に過ごします」と涙して、とても喜んでいただけました。やはり手で彫らなければ出来上らないものがあると思いますので、施主様と対話し、寄り添いながら制作を続けていきたいです。
やなぎ◉かつて、一点物として制作された美術品は一部の裕福な人だけのものでしたが、産業革命後、工業的に量産できるようになると一般市民も手に入るようになり、20世紀初頭のモダニズムにつながっていきます。現在は、アートの世界でも新たな革命が起こって、造形物もデータ化してアーカイブになる時代。3Dプリンターによって精巧に複製・復元ができるようになりました。ある意味で資本主義的な効率化の道は、従来の手作業で一点物をつくる作家とのすさまじい乖離を感じます。もちろん、手作業は、芸術と信仰の中では必ず残っていきます。
ちなみに、一遍上人は、全国を遊行しながら配り続けた南無阿弥陀仏の御札は、木版の量産品でしたけれど、上人自らが刷って手渡す、というスペシャルな札で、しかも踊り念仏しながらですから、ライブ感満載の量産品です。
前田◉大阪で自作の法然上人像を展示しているとき、声を掛けられてニューヨークでも展示することになりました。2011年9月11日の米中枢同時テロの後です。復讐をよしとしない法然上人の教え、平和の大切さを伝えるご縁をいただきました。その後、ニューヨーク本願寺ともご縁をいただき、現地の施設の雨漏り修繕の浄罪を集める托鉢にも随行し、言葉の違う人たちとの交流を経験できました。
やなぎ◉前田さんの身体を通して仏像が出来ていく。生きている人間の身体が、呼吸したり、考えたり、その時間が、仏さまに内包されているわけですね。
彫ることも、踊ったり歌ったりすることも、神仏という遠い対象物へ身体ごと飛び込んで行って、一体化するための、一つの技ではないでしょうか。
マテリアル(材料)に人間の技が働き掛けてエネルギーが発生し、時間をかけるうちにさまざまな人とつながっていくことは、3Dプリンターには絶対にできないことです。データに色はなく、人間が手で制作するが故のイレギュラーも起こりません。最近、植物の立体彫刻を制作するために、まずは粘土で小さく作り始めたのですが、自然物の構造を理解して作るのは本当に難しい。「花のことは花に問え」という言葉がありますが、作りながら植物と一体化する気持ちになります。
前田◉私も最初は「彫れるかな」と思うのですが、自分の中のイメージが自然と仏の形を彫り出してくれる感覚があります。今、この現代において「目に見えないもの」の姿を示すために、100年に1度しか開帳されない宇治市・正覚院の不動明王の御前立(おまえだち)を制作しています。不動明王は怖い顔をしていますが、実は身近に感じられる庶民的な仏様で、薬がない時代は疫病退散が願かけされたこともありました。住職のお考えで、彫っているプロセスも参拝者に見てもらっています。プロセスとともに、時間を共有することがとても大切だと感じています。


■質疑

佛教大生◉知人は自分で描いた法然上人を拝む気になれないそうです。お二人はご自身の制作物をどのように捉えていますか。

前田◉私が彫ったブッダガヤの仏像は、最初は奉納することだけで精いっぱいでしたが、多くの人が手を合わせるうちに顔が変わってきたように感じます。時を経ることで仏様になっていくのではないでしょうか。
やなぎ◉美術作品は信仰の対象ではないので、古典の名作でも自作でも、わりとフラットに客観的に見ますね。美術作品は、もし長く残れば、その前で人に何かを考えさせ、語らせて議論の機会を与えられるものです。

佛教大生◉宗教美術とはどういうものでしょうか。

やなぎ◉宗教美術の歴史では、信仰者としてつくるのか、芸術家としてつくるのかの綱引きが繰り返されています。私の芸大時代は「愛していいけど信じてはいけない」なんて学生同士でよく言っていました。何も妄信することなく、すべての作品に対して常に批評的であれということです。
お二人とも中高生時代の体験が現在につながっているのですね。
前田◉盗まれた仏様を自分で彫ると決心した後、仏師の先生と出会い、工房で朽ちた仏像を見たとき、仏様を助ける人間になりたいと強く思うようになりました。泥棒に感謝はできませんが、仏師になるきっかけをもらったと思います。
やなぎ◉イメージと実際の制作物の間にノイズを感じたことはないですか。
前田◉私はありません。自分の制作過程を写真などで見返すと、「こう彫っていたのか」と驚きます。
やなぎ◉前田さんの神業的な身体性がなせる技でしょう。逆に私はノイズでできている作品のほうが多いくらいです。

佛教大生◉仏像を前にすると、自分の心が見透かされたような、心のよりどころのようなものを感じます。お話を聞いて、一つ一つ心を込めて作られているからだと実感しました。

対談風景


◎前田昌宏(まえだ・しょうこう)
1973生まれ。佛教大卒。実家は和歌山県の浄土宗寺院。中学で仏師を志す。高野山高で仏師だった美術教員から技法を学ぶ。一般向け講座での指導も。

◎やなぎみわ
1967年生まれ。京都市立芸術大で染織専攻。現在は、主に国内外で舞台公演を手がける。2022年2月に開館した大阪中之島美術館のプロモーション映像も手がけた。