外国人を含む観光客急増が暮らしに大きな影響を与えていた京都でも、コロナ禍で情勢が一変した。文化人類学者・小川さやかさんがホストの「日本人の忘れもの知恵会議」対談3回目は、北海道大教授の西山徳明さんとオンラインで「新しい観光」をテーマにディスカッションした。コーディネーターは京都新聞総合研究所所長の内田孝が務めた。
特集・未来へ受け継ぐ
Future series
未来へ受け継ぐ Things to inherit to the future【2020年第3回】
(2020年8月/オンライン) ◉ 実際の掲載紙面はこちら
■対談
自ら情報集め旅の質的転換を
西山徳明氏(北海道大教授)
文化人類学とDMOに共通点
小川さやか氏(文化人類学者)
小川◉新型コロナウイルス感染拡大は、人の移動や旅をあらためて考える機会になりました。この状況をどのように見ていますか。
西山◉なぜ人は旅に出るか。文化や気候風土、経済環境などの違いが関心を呼び起こし、人を旅行や観光に駆り立ててきました。旅に出れば人は必ず文化や習慣の違いに驚き、自分たちの暮らしも見直そうとします。結果として国家体制や民族、宗教などの相互理解につながり、国家間の安全保障の基盤を生み出す―と考えています。
20世紀後半、国内旅行業界は、安全・安心で安価なパッケージツアーを開発し、誰もが気軽に旅に出かけられる薄利多売のビジネスモデルを構築しました。近年の格安航空会社(LCC)の登場は、旅をさらに気軽なものにしています。
コロナ禍を経験した今、広告やチラシのお決まりキーワードで募る企画ツアーに参加し、見ず知らずの人たちと飛行機やバスで3密の団体行動をするマスツーリズム(大衆化された観光)にもう一度戻るべきかどうか、再考の必要があるでしょう。今、問題提起しなければ、市場原理は、小手先の3密対策を掲げながら、マスツーリズムの復活を志向していくと考えて間違いないでしょう。
小川◉今、大きな分かれ目ですね。
西山◉2017年の観光客総数と観光収入の伸びを地域別で見ると、アジア発ではそれぞれ6%増、3%増。明らかに、価格の安い観光への需要の傾斜が分かります。一方、中東発は客数が5%増だったのに対し、金額が13%増と大きく伸び、富裕層を中心に単価の高い旅行を志向しています。今後は多少コストが上がっても、自分たちで情報を集めて準備し、気心の知れた仲間とゆっくり過ごす旅へと質的な転換が進むことを期待します。
そのためには、旅行者側が安易な旅に見切りをつけ、旅行に対するコスト意識や旅の質に対する意識を転換させることが必要であると同時に、観光業界がそうした観光形態から収益をあげるモデルを積極的に開発することが重要だと思います。
小川◉ここ数年の訪日観光客の増加により、大きな経済効果がもたらされる一方、観光客の過度な集中が地域住民の生活に悪影響を及ぼすオーバー・ツーリズムの問題も顕在化していました。コロナ禍の影響で観光客が消えた京都市内では「正直、生活がしやすくなった」などという地元の声も聞かれるようです。
西山◉30年ほど前、学生時代の13年を京都で過ごしました。当時からこの街は、さまざまな意味でしたたかだと感じていました。歴史があり、格式の高い祇園は接待や社交のほか、ハイクラスの観光客をもてなす。お茶屋や料亭、レストランが混在する先斗町は幅広い顧客層に対応し、新京極は修学旅行生を受け入れるといった具合です。エリアごとに客層も異なり、歓待やサービスの仕方も異なっていました。
向こう三軒両隣の親密さを基本に、地域や学校区、職域、業界団体などが主体性を持って運営されているのが京都の特徴です。住民一人一人が互いに持っている緊張感や警戒心が街全体の行動規範や美意識にまで昇華され、うまく機能していました。ただ、最近はどうでしょうか。観光客のレンタル着物の着こなしや歩き方、マナーが指摘されています。観光客数が落ち着き、地域の人が着付けを手伝ったり、基本を教えるなどが可能なら、状況も変わるでしょう。
小川◉京都市はほぼ毎年、NHK大河ドラマの舞台となり、地元の誘致活動への関わりはほとんどありません。京都市以外の京都府は地元が舞台の大河ドラマを熱望し続け、実現したのが今年の「麒麟がくる」です。明智光秀とは、丹後や丹波の多くの自治体が関わります。京都府内の大半の地域のように、観光を活性化させたい地域は全国に多いのではないでしょうか。
西山◉昨今、観光分野では、地域の観光を通じてまちづくりを担う組織のDMOが脚光を浴びています。一昨年、地方創生という国の政策に沿って文化財保護法が改正され、文化財を観光やまちづくりなどに総合的に活用して経済効果を目指す方針が打ち出されました。国は地方創生の旗を振るだけでなく、自治体や地域が自立できるような施策や予算措置を講じることも必要でしょう。
小川◉観光戦略立案や、地域間の格差解消の司令塔として期待されるのがDMOですね。
西山◉DMOは官民一体で設置するケースが多く、全国で約160団体が観光庁に登録されています。多くのDMOは外を向いた市場調査やPR活動に力点を置いており、外から内を見て地域をどうマネジメントするかという客観的な視点に欠けるのが問題だと感じます。
外部からどう見えているのかを意識し、地域の個性や文化に価値を見いだして自ら磨いていかなければ、観光資源の魅力を持続させることはできません。
小川◉文化人類学のフィールドワークは地域に愛情をもって入り込み、内側から地域の魅力や暮らしを発見する作業。その意味では、DMOの実践と共通点がありますね。
北海道大では社会人を対象にDMOで働く専門職「ディスティネーション・マネジャー」の育成にも取り組み、観光戦略のプランを立てる際にストーリーを大事にすることを強調されていますね。
西山◉ある地域の環境全体を一つの屋根のない博物館と見立てて、まちづくりや地域おこしを行うことをエコミュージアムと呼び、全国各地で事業化も進んでいます。自然や文化、生活様式など、地域内に点在するものをつないで保存や展示、活用していく際、ストーリーが重要な役割を果たします。
お年寄りに話を聞いたり、古い地図を見ながら歩いたりして、地域が持つ記憶の水脈をたどり、ストーリーを探し当てると、何となく昔からあった石塊や樹木、お地蔵さんなどにも意味が与えられ、地域の人の誇りや自慢にもなっていきます。
京都に移転する文化庁との連携も、さらに重要になってきますね。
小川◉昨今、観光地やリゾート地で休暇を取りながら働くワーケーションが注目を集めています。旅行のニーズが多様化し、今後はライフスタイルの転換に深く関わるような新しい旅も出てきそうです。
西山◉欧州ではいち早く産業革命が起こり、メトロポリタンが出現し、ルーラルツーリズムという独特の旅行形態を生み出しました。根無し草で、ふるさとを失った彼ら都市民が、自分なりのふるさとを見つけに農村や田舎へ行くという旅です。
日本でも単なる物見遊山の観光にとどまらず、訪れた地域に移住することで活性化に関わる人たちを生み出すというところにまで観光の概念を考え直す必要があります。エコミュージアムを展開する地域が、その受け皿になる可能性は大いにあるでしょう。
≪DMO≫
観光による地方創生の推進母体。国が支援し、官民一体で透明性の高い運営を進めて収益を目指す仕組み。今年4月には観光庁が、DMO登録制度のガイドラインを作成した。海外先進地の事例も参考に、DMOの役割や取り組み内容の明確化などを求めている。京都府内では、「海」「森」「お茶」などを軸とする組織が発足している。
◎小川さやか(おがわ・さやか)
1978年生まれ。立命館大先端総合学術研究科教授。「チョンキンマンションのボスは知っている」(春秋社)で河合隼雄学芸賞、大宅壮一ノンフィクション賞。京都府新型コロナウイルス感染症対策危機克服会議観光戦略部会に出席している。
◎西山徳明(にしやま・のりあき)
1961年生まれ。京都大で学び、専門は建築・都市計画学、ツーリズム、文化遺産マネジメント。文化庁文化審議会委員などを歴任。九州大、国立民族学博物館などを経て北海道大観光学高等研究センター教授。本年度は京都で調査研究中。