京都の伝統に学び、次世代に暮らしのメッセージを発信する企画「日本人の忘れもの知恵会議」。本年度対談シリーズのホストは、文化人類学者の小川さやかさん。アフリカの零細商人の行動調査から、新しい価値体系を求めている。初回ゲストは造園家・佐野友亮さん。桜の季節に、自然との付き合い方を語り合った。コーディネーターは、京都新聞総合研究所所長の内田孝が務めた。
特集・未来へ受け継ぐ
Future series
未来へ受け継ぐ Things to inherit to the future【2020年第1回】
(2020年4月/京都市右京区) ◉ 実際の掲載紙面はこちら
■対談
先人の技術を学び継承
佐野友亮氏(造園家)
造園業、人と自然仲介
小川さやか氏(文化人類学者)
小川◉現在は造園家として国内外で活動されていますが、学生時代はスノーボードに打ち込んだそうですね。
佐野◉カナダやニュージーランドで練習を積み、競技大会にも出場していました。遠征資金を稼ぐためアルバイトで家業の造園業を手伝った時期もありました。海外出身の選手としのぎを削る中、痛感したのは、子どもの頃から毎日のように雪山で遊び、生活の一部としてスノーボードに親しんできた彼らに対し、「大きくなってから競技を始めた自分では、到底太刀打ちできない」ということでした。
改めて自分の生い立ちや家庭環境を振り返って職業を考えると、よりどころや強みの源泉になるのは、幼い頃から身近で親しんだ造園業です。それを極めることで道は開けるのではないか、と考えました。大学卒業後、横浜の造園会社で4年間働いた後、祖父や父が経営する植藤造園に入社しました。
小川◉植藤造園は1832年創業ですね。代々、京都・仁和寺にある御室御所の造園工事を請け負ってきました。祖父で16代・佐野藤右衛門さんは「桜守」として東日本大震災の被災地や京都をはじめ、全国各地の桜の保存活動も続けてこられました。
佐野◉これまで祖父や父から、造園業の技術上の指示やアドバイスを受けたことはありません。社内は現場たたき上げの職人ばかりで、昔から「仕事は見て覚えろ」が鉄則です。技術、ノウハウは先輩に食らいついて必死に仕事をこなす中で吸収し、身に付けてきました。
現在、庭造りに携わっていますが、まだまだ一人前ではありません。草刈りや水やり、街路樹の剪定(せんてい)もやります。
小川◉愛知県の私の実家にも小さな庭がありました。祖父が「自分自身の葬式の前に庭を整えておかないと」と言い出し、造園業者さんに頼んで庭を造り直した思い出があります。
佐野◉「庭は造って終わりではない」が祖父の口癖です。私も3年、5年、10年と長いスパンを意識して庭造りに取り組んでいます。一般家庭の庭を長くメンテナンスさせてもらうことも大事な仕事と考えています。
お客さまの日々の暮らしや人生に寄り添い、庭も変化していくのが理想だと思います。最も素晴らしい、と感じるのは龍安寺の石庭ですね。何も足さなくとも、また何も引かなくとも完成しています。
小川◉フィールドワークで長期滞在した東アフリカのタンザニアにも日本と同じように鎮守の森があり、精霊が宿ると信じられている木もあります。
愛(め)でる庭とは異なりますが、自然を扱う造園業は、薬草を扱う医師、雨乞いをしたり豊穣(ほうじょう)を祈る呪術師に近い存在かもしれません。自然と人とを仲介する仕事といえるでしょう。
対談前、佐野さんから「今年の桜の花はあまりよくない」と伺いました。日常生活で、自然とはどのように向き合っているのでしょうか。
佐野◉今年の桜に限らず、昨年のモミジも色づきがよくありませんでした。花の判断基準は、目に見える変化や手がかりではなく、感覚的なものです。
自然を相手にした場合、人にできることはそんなに多くありません。猛暑などの異常気象や自然災害も増えていますが、対策としては水やりくらいです。
植え替え、樹木のケアに適した時季は、樹種ごとに決まっています。無理してやると絶対うまくいきません。
小川◉ままならない自然のささいな変化を感得し、手をかけすぎることなく守(も)りをするといった繊細な仕事は、AI(人工知能)などのテクノロジーに置き換えることが難しい領域ですね。ずっと残っていくスキルや能力のような気がします。昨今の新型コロナウイルスの影響で、私が勤める大学では授業や教職員の会議がオンラインで実施されています。
そうした中で改めて対面のコミュニケーションの意義を再考したり、大学という場の新しい価値を模索したりする動きもあります。テクノロジーが臨界点に達すると、揺り戻しが起きるようにも思います。
佐野◉最新技術を活用して便利になるのは良いことですが、慣れ過ぎると本当に必要なものや大事なものが分からなくなるような気がします。
造園業は伝統や古き良きものを残すことを習慣としてきたので、いまだにアナログが主流の職場。先人たちが長い時間をかけて完成させてきた作法や技術を継承し、自分たちで学び直しながら仕事に生かしています。
小川◉タンザニアでも家具職人など伝統産業の技術継承はいまでも弟子入りが基本的なスタイルです。親方のような職人になろうと日々頑張っているうちに、気がつけば、心意気や振る舞いまで職人らしくなっていくのかもしれません。技術継承や安定した企業経営にとって、人材育成は重要なテーマではないでしょうか。
佐野◉造園業では、若い人材がなかなか定着しないのが悩みです。近年は昔ながらの「見て覚えろ」ではなく、手取り足取り丁寧に教え、仕事の楽しさを伝えようとしています。
仕事上、言われたことをこなすだけならできて当たり前。加えてプラスアルファの価値で品質をもう一段引き上げる努力を続けていけば、一流の職人として認められるでしょう。
小川◉資本主義社会がグローバル化するのに伴い、人の交流や移動も盛んになり、土地や地域に根を下ろした生活スタイルも変化しつつあります。人々はできるだけ簡便に物資を調達し、即時的に完成させて、飽きたらすぐに手放して新しいものを手に入れる。そのようなあまり辛抱のない暮らしに向かっているように見えます。こうした時代の流れの中で、造園業をどう展開していきますか。
佐野◉造園業が発展するか、先細るか。現在は岐路に差しかかっています。庭を造ったはいいが手入れが必要で、コストもかかるとなれば、顧客にとっては煩わしい。庭を持つ家庭も減っています。庭を持っても手がかからないような工夫が必要です。成長の遅い植物を選び、石造品を中心に構成するなど新しい庭を提案していきたいです。
小川◉顧客の要望を出発点に伝統的な作法や技術、職人のひらめきやアイデア、そして庭に配置する樹木や石の個性など、すべての要素を調和させて一つの庭をつくり上げていくのは非常に高度な作業だと思います。造園業は、自然と人と社会をつなぐ仕事と言えそうですね。
佐野造園家は、人と自然を結び付ける立場です。自然を相手にするのが難しいところであり、また楽しいところでもあります。お客さまの要望に応えるのはもちろん、造り手のこだわりや考え方を反映させられた時は、大きな達成感を感じます。
■佐野藤右衛門
京都市右京区山越中町の造園業・植藤造園の当主は「藤右衛門」を代々継承する。天皇家とゆかりの深い仁和寺の寺領で農作業に従事し、次第に庭仕事を本業にするようになった。
16代の現当主=写真=は、京都迎賓館やイサム・ノグチを通じたパリの国連教育科学文化機関(ユネスコ)本部の作庭を手掛けた。瀬戸内寂聴、志村ふくみさんらとの交流でも知られている。
◎小川さやか(おがわ・さやか)
1978年生まれ。文化人類学。国立民族学博物館研究員などを経て立命館大先端総合学術研究科教授。「都市を生き抜くための狡知(こうち) タンザニアの零細商人マチンガの民族誌」(世界思想社)でサントリー学芸賞。
◎佐野友亮(さの・ともあき)
1986年生まれ。実家は1832(天保3)年創業で、御室仁和寺の造園に携わってきた植藤造園。祖父は桜守として知られる16代目・佐野藤右衛門さん。プロスノーボーダーを目指して海外を転戦後、造園業へ。