賛同企業代表者 文化人 対談シリーズ
経済面コラム

新たな暮らしの実践へ

Practice of new life

- 2022元日 文化人メッセージ -

山本 茜

「祈りの技法」の精神性
新たな表現に挑む日々

山本 茜
截金ガラス作家

両手に筆を持ち、糸のように細く切った金箔の端を片方の筆に巻き付け取り上げる。もう一方の筆には糊を含ませ、垂らした金箔の先端を誘導して文様を描きながら貼っていく。少しの吐息も作業に影響するのでご法度だ。切りたいところを筆先でそっと押さえ、金箔を軽く引き上げて切る―これが一連の截金の作業である。黄金に輝く幾何学文様が大変美しい技法ではあるが、一朝一夕にはいかず、細かい文様だと丸一日作業をしても数センチ角しか進まないこともある。
截金は主に仏像・仏画の荘厳や工芸品の装飾に使われている。日本へは飛鳥時代に仏教伝来とともに大陸より伝えられ、平安時代に隆盛を極めた。王朝文化華やかなりし頃だが、その陰では、さながら地獄絵図のような疫病(天然痘と推測される)の大流行があった。平安京の人口半分が命を落としたという。医療が未発達であった当時は病の原因は物の怪の仕業か、前世の因縁によるものとされ、治療として投薬よりもっぱら加持祈祷が行われた。現代の私たちから見れば少々滑稽とも思える話だが、当時の人の見えぬ敵に対する恐怖はいかばかりだったろうか。折しも末法思想が流布した時期とも重なり、人々は現世の苦しみから逃れ、来世こそは極楽浄土に生まれ変わることを願いひたすら仏に救いを求めたのである。
截金はそんな時代に隆盛した。仏の衣をびっしりと優美な截金で覆ったのである。同じ文様を金泥で描く方がはるかに簡単で効率的なのだが、当時の人はそれをしなかった。金泥で描くよりも、膨大な手間暇をかけて金箔を貼る方が、輝きが強く美しいからである。電気のない時代、暗い堂内でもほのかな灯明の明かりを反射して截金はキラキラと輝き、人々に極楽浄土もかくやと思わせたに違いない。当時の職人は金箔を1本貼り終えるごとに合掌礼拝して作業を進めたという。截金は「私たちを救ってくださる仏様に最も美しい衣をお着せしたい」との仏に対する敬虔な気持ちが生んだ「祈りの技法」と言える。その後、截金は社会の効率化の波にのまれて衰退し、一度は絶滅しかけたものの、先人の努力によって今日まで京都を中心に脈々と受け継がれてきた。
私はその截金をガラスに封入して作品を作っている。仏の荘厳という仕事から離れてはいるが、截金が「祈りの技法」として伝承されてきたことを決して忘れずに、その精神性を未来に伝えるべく、日々新たな表現に挑んでいる。

◉やまもと・あかね
1977年石川県金沢市生まれ。2001年京都市立芸術大日本画専攻を経て、11年富山ガラス造形研究所卒業。装飾技法であった截金を主役にしたいとの思いから、ガラスと融合させた「截金ガラス」を創出。愛読書「源氏物語」五十四帖(じょう)をモチーフにした制作をライフワークとする。京都美術文化賞(20年)、第1回古典の日文化基金賞(21年)など受賞歴多数。