賛同企業代表者 文化人 対談シリーズ
経済面コラム

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- 2022元日 文化人メッセージ -

松本伸之

鑑賞という行為

松本伸之
京都国立博物館 館長

博物館で文化財を鑑賞する姿勢には、だいたい二つの流儀があるようです。一つは、個々の文化財の基本データや解説などが記された題簽にまず目を通し、それからおもむろに文化財を見るという方法で、多くの人はこうした鑑賞法を取っています。もう一つは、はじめから文化財そのものをじっくり眺め、必要に応じて題簽に目を向けるといった見方で、どちらかといえば少数派です。前者は知識優先派、後者は感覚優先派とでも言えましょうか。
展示された文化財を鑑賞するのに決まった方法があるわけではありませんが、長年、博物館に勤めていると、文化財をどのように見たらよいのかと問われることがままあります。そんな時には、たいていいま述べた後者の鑑賞法をお勧めしています。展示場に掲げられた題簽はあくまでも鑑賞の補助であり、それよりも人それぞれの感性をフルに発揮して文化財自体を鑑賞していただきたいからです。
博物館に展示されている文化財は、そもそも見る者に何も語りかけてはくれません。動かず、音を立てず、ただそこにあるだけです。そのため、文化財を鑑賞する際には、テレビや映画、インターネット動画などを楽しむのとはずいぶん勝手が違い、暗黙のうちに、見よう、感じようとする自発的な姿勢がより強く求められることとなります。といっても、そこには何か難しいことが要求されるわけではありません。文化財に向かい合った折に頭に浮かぶ感想や疑問を手掛かりにすれば事足ります。なんて美しいんだろう、この形が面白いね、あるいは、なぜこんな色をしているのだろう、どのように使ったんだろうといった、ごくありきたりのことでいいのです。自然な感想や疑問こそが鑑賞の第一歩となり、そこから想像力をたくましくしながらさまざまな糸口をたどることで、広大で奥深い、いにしえの人々の精神世界へいざなわれていくことでしょう。
鑑賞という行為は、物事に対するアプローチという側面から見ると、豊かな想像力や探究心を媒介とした積極的で前向きな姿勢と捉えることができます。それはまさにこれからの社会のキーワードとなる多様性や共生に対する理解を深め、他者への思いやりや、この世の中全体へ向ける広い視野を育むことにもつながるはずです。
文化財には、長大な年月にわたる人々の英知と豊穣な精神が宿っていることを考えれば、それに見向きもしないというのは、なんとももったいない話に思えてなりません。日常の一コマに、博物館での鑑賞をぜひ組み入れていただきたいものです。

◉まつもと・のぶゆき
1956年東京都生まれ。早稲田大大学院(美術史専攻)を修了後、和泉市久保惣記念美術館を経て、東京国立博物館研究員となる。東京国立博物館副館長、京都国立博物館副館長、奈良国立博物館長を歴任し、2021年4月から現職。中国彫刻史・工芸史を専門としつつ、文化交流史、博物館学も対象としている。