賛同企業代表者 文化人 対談シリーズ
経済面コラム

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- 2022元日 文化人メッセージ -

沈 壽官

司馬遼太郎さんと父の言葉

沈 壽官
沈壽官窯十五代当主

謹んで新春のお慶びを申し上げます。
コロナ禍の2年間は、暗闇の中で五感を研ぎ澄ます時間でもあり、少し眠っていた警戒心と直感力、そして胆力をもう一度鍛え上げる時と捉えています。
薩摩焼に携わる者として、何を作り出せばよいのか。社業と職人を守るため、どうあればよいのか。先達の言葉に示唆を与えられました。
「回るロクロの動かぬ芯になれ」。第十四代だった亡き父の言葉で、目の前の移りゆく現象や言葉に幻惑されるな。人に振り回されるな。不動であれ、という意味です。
沈壽官は、16世紀末に豊臣秀吉が朝鮮出兵を行った際、島津義弘が連れ去った陶工。先祖は、祖国につながる東シナ海を臨む鹿児島県日置市美山に窯を構え、技を伝えてきました。
「一人前の男とは、一人でいても寂しがらない男である」。信じる道があるなら、一人になっても歩き続けろ。それが一人前の男だ、と。
「君は灯台になれ」と。不動の君がいることで周りが動ける。君との距離や違いが彼らの存在になるのだ。人々は目の前の現象を追い掛け、誰よりも早く、利の先端をつかみたいと考えます。私もそんな衝動に駆られます。そんな中、父の言葉を繰り返し自らに言い聞かせ、あふれる情報に振り回される自分を、青白く冷たい炎で抑えてきました。
「眼を殴られても、決して眼をつぶらず、相手の眼から眼を逸らすな。そうすれば、お前の拳は必ず相手の眼を叩く」とも。武闘派の父でした。
一方、父を小説「故郷忘じがたく候」(文春文庫)に登場させるなど深い親交があり、2023年が生誕100年の司馬遼太郎先生(1923~96年)は、私に手紙でこう教えてくれました。「私は年少の頃から、心掛けて自らを一個の人類に仕上げたつもりです」と。学歴や組織や富貴に頼らず、一人の人類として生きよ、との意味です。
面と向かっては、こう言われました。「君ね、人間、ああなりたいとか、こうなりたいとか思ったらあかん。何故なら、高い所にあるもん取ろう思たら君は背伸びするやろ。つま先だった君の足元はほんまに危ない。君は自分の足元を見つめて『今、俺は自分がやれること、どれだけやれてるやろう?』。それだけ考えて生きて行けばええんや」。現代は大きな大人が少なくなった。つくづくそう思うのです。
2人が伝えたかったのは、自分の感性を信じ、それを糧に生きろということでしょう。自らの感性を磨く努力を怠ってはならないのです。
混乱の中、心の安寧を保つこと。今、最も大切な事だと思います。

◉ちん・じゅかん
1959年生まれ。早稲田大卒業後、84年から壬生に下宿して京都府立陶工職業訓練校に通う。その後、イタリア、韓国で修業。99年に第十五代襲名。2019年に京都で襲名20年展を開いた。沈壽官窯友の会会報「清風」での連載で、司馬遼太郎さんと十四代だった父との交流を、さまざまな書簡を通じて紹介している。