賛同企業代表者 文化人 対談シリーズ
経済面コラム

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- 2022元日 文化人メッセージ -

田中優子

遊行する人々を必要とした日本人

田中優子
江戸学者

かつて正月には、さまざまな芸能者が「まれびと」として家々を訪れ、その家族の安寧を祈ったものだった。例えば徳島には「阿波木偶箱まわし」があり、その中の三番叟まわしは、家族の1年の安全と繁栄を予祝するために年明けの家々を巡る門付け芸能であった。人々は歓迎し、手を合わせてお迎えした。箱まわしはいったん途絶えそうになったが、女性たちの活躍で復興し、今では正月から始まって約千軒もの家々を巡るという。かつては全国にあり、夷舞とか傀儡子と言った。
正月には獅子舞も門付けした。悪魔を払う目的である。節季候は暮れから出て、来る年の福を予祝した。漫才はかつて「万歳楽」として、年の初めのめでたさを祝って門付けした。正月の江戸吉原には大黒舞が入った。大黒の格好をして打出の小槌を持って祝う。大神楽も入った。本来は太鼓と笛で何人かで踊るものだが、やがて玉入れの曲芸になった。
大神楽は「代神楽」とも書くので、伊勢神楽を代理して門付けしたのだろう。同じように代のつくものに「庚申の代待」というのがある。四天王寺における庚申講に代理で行ってくる、という意味で、代金を受け取って代理参加したのである。そのほか、正月とは限らないが、説経節や謡や祭文、歌念仏、歌比丘尼、鉢叩き、八打鐘、猿回しなどが門付けしていた。
これらは芸能民ではあるが、民間信仰と結び付いている。その意味で、遊行僧、歩き巫女、山伏、勧進坊主、遍路など、宗教世界と結び付いた移動する遊行の人々と同じ働きをしていたのである。それは、農業や商売のために一カ所に定住している人々の代わりに、その人たちの罪障を担い払う役割だ。
人間は自然の恵みで生きてきた。自然から授かりお返しする関係があった。暮れから正月であれば歳神を迎え、春であれば田の神、山の神を迎え、豊作を祈り感謝する祭りを行ってきた。耕作と収穫、機織りや染色、紙漉きや伐採、漁業や猟などは、いくらかでも自然を破壊する行為であり、その自覚を持っていた。都市の住民であれば、直接に生産に携わらないで利ざやを稼いで生きることになるが、そこにある種の「うしろめたさ」を感じて生きていた。仏教でいうところの煩悩だけでなく、自然に対する罪障感を持つことは、人として当たり前のことだったのである。その罪障をいくらかでも担って運び去ってくれるのが、遊行の芸能民や宗教民たちであり、そこには差別も生じた。しかし必要な存在であった。
目に見えぬ世界への畏れと「うしろめたさ」は最も人間らしい感情だと思う。しかし今や誰もそれを担ってくれない。

◉たなか・ゆうこ
1952年生まれ。日本近世文学、江戸文化、アジア比較文化。2021年まで法政大総長。著書に「江戸の想像力 18世紀のメディアと表徴」(ちくま学芸文庫)、「江戸百夢 近世図像学の楽しみ」(ちくま文庫/サントリー学芸賞)、松岡正剛さんとの対談「江戸問答」(岩波新書)など。最新刊は「遊郭と日本人」(講談社現代新書)。