賛同企業代表者 文化人 対談シリーズ
経済面コラム

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- 2022元日 文化人メッセージ -

橘 重十九

梅花に宿る菅公の御心

橘 重十九
北野天満宮 宮司

初春を待たずして境内の早咲きの梅が一輪、また一輪とほころび始めました。そんな情景を見るたび、菅原道真公(菅公)を祀る天満宮の神職として、そこはかとない安堵感と心の和み、誇りさえ感じます。
東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花主なしとて 春を忘るな
菅公がいかに梅花を愛されたかは、この銘歌からも感じ取れます。梅の花には菅公の御心が宿っているのです。
楼門に「文道大祖風月本主」の扁額が掲げられています。これは平安時代の学者で歌人の大江匡衡が菅公を評した言葉です。右大臣まで務めた政治家でありながら勅撰史書『類聚国史』約二百巻を編さんされた学者でもあり、数々の銘歌・漢詩を創られた歌人・詩人の偉大さは千年以上も昔から称えられ、神前に和歌や漢詩が奉納されてきました。特に中世には連歌の神としても崇敬され、境内に連歌会所が設けられ宗砌・宗祇・兼載といった著名な連歌師が奉行職につき、奉納された連歌懐紙も数多く残っています。この流れは、今も「京都連歌の会」に引き継がれ、春秋2回、紅梅殿で連歌会が開かれています。春はその名も「梅ケ枝連歌会」として行われています。
梅苑を中心に境内には50種、1500本ほどの梅の木があります。中には「目標の学校に合格した」「結婚を祝して」「金婚式のお祝いに」など、さまざまな理由で献木をされる方もおられます。梅花を好まれた菅公に喜びを伝えたいという思いが伝わってきます。
そんな梅苑に、このほど江戸時代に名をはせた「雪月花の三庭苑」の一つ、「花の庭」を再興しました。貞門俳諧の祖で連歌師の松永貞徳が作庭し、寺町二条の妙満寺(現在は左京区岩倉)の「雪の庭」、清水寺の「月の庭」、そして当宮の「花の庭」で、三庭苑「雪月花の庭」として京洛の人気をさらったと伝えられています。残念ながら当宮の「花の庭」だけは明治の神仏分離によって失われましたが2027(令和9)年の式年大祭である菅公千百二十五年半萬燈祭に向けた記念事業として再興し、1月26日、「令和再興『雪月花の三庭苑』梅苑『花の庭』再興奉告祭」を行い、お披露目したいと思います。
2月25日は菅公祥月命日の梅花祭です。昨年はコロナ禍で祭典後の上七軒歌舞会協賛による野点大茶湯が中止となり、残念がる声が多数寄せられました。しかし恒例の芸舞妓による献句は行なわれました。神前に献じられた一句を披露しておきます。
瞳閉じ 梅花嗅ぐれば 光見ゆ(梅葉)

◉たちばな・しげとく
1948年石川県生まれ。延喜式内社宮司社家25代に生まれる。会社員を経て74年より北野天満宮に奉職。禰宜、権宮司を経て、2006年から現職。その間、北野天満宮ボーイスカウトの創設に尽力。京都府神社スカウト協議会会長として青少年育成活動に努めた。全国天満宮梅風会会長。京都府神社庁理事。