賛同企業代表者 文化人 対談シリーズ
経済面コラム

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- 2022元日 文化人メッセージ -

瀧本和成

現代人に示唆を与える
森鷗外の主題

瀧本和成
近代文学研究者

本年は、森鷗外没後100年に当たります。鷗外は1862年島根県津和野に生まれ、東京大医学部卒業後、陸軍省に就職。軍医官僚として、他方で文学者として生涯を送った人物です。
文学者としては、「柵草紙」(1891年)などを創刊し、坪内逍遙と没理想論争を行うなど日本近代文学の成立に大きく貢献しています。代表作に「舞姫」「雁」「渋江抽斎」のほか、京都を舞台にした「高瀬舟」や「山椒大夫」などがあります。1910年代の作品群の重要な主題の一つに学問および芸術の独立性があります。例えば、大逆事件(10年5月)直後の状況下発表された小説「沈黙の塔」(10年11月)は、言論や表現の自由を巡って物語は展開しており、「芸術の認める価値は、因襲を破る処にある。(中略)学問だつて同じ事である。 学問も因襲を破つて進んで行く。一国の一時代の風尚に肘を掣せられてゐては、学問は死ぬる」と記しています。また、同時期の評論「文芸の主義」(11年4月)では、「学問の自由研究と芸術の自由発展とを妨げる国は栄える筈がない」と述べています。作品の多くは当時の検閲を意識し、婉曲的な文章を駆使して暗喩性を湛えた文章となっています。
一方、軍医官僚としては、日清・日露戦争に従軍し、朝鮮半島および中国、台湾に赴いています。1910年には陸軍軍医総監・陸軍省医務局長に就任しています。留学直後から医学雑誌「衛生新誌」(1889年)などを創刊し、医学研究と統計学の有用性を説いています。鷗外が生きた明治・大正期もコレラや赤痢、チフスなど伝染病が猛威を振るった時代でした。鷗外は、当時軍医総監だった高木兼寛の見解、「下等貧民ノ市内ニ、住居ニ堪ヘサルモノハ、皆去リテ田舎ニ赴クべシナリ」(84、85年)に対して、「貧人ヲ逐フテ彊域ノ外ニ出デシメンカ、是レ貧人ト倶ニ公衆ノ衛生ヲ窓外ニ抛ツモノ」(89年)と述べ、貧富の差や都市問題と結び付けて、高木の公衆衛生上最も問題を抱えているとする貧人を都市から追い出すという主張を批判しています。
鷗外が小説や評論などで取り上げたテーマや問題は、一昨年前首相が学術会議の任命を拒否し紛糾した事件や、国土交通省による統計の書き換えなど、現在における学問(・芸術)や権力の在り方に加えて、新型コロナウイルス感染症対策に右往左往する社会や私たち個人のありよう、顕在化する格差問題などを考える上で有意義であり示唆的だと考えます。

◉たきもと・かずなり
1957年和歌山県生まれ。立命館大文学部教授、文学研究科長。著書に「森鷗外 現代小説の世界」(和泉書院1995)、「鷗外近代小説集」第2巻(注釈・解題・[本文校訂]共編集 岩波書店2012)、「京都 歴史・物語のある風景」(編著 嵯峨野書院 2015)など。今年3月に「森志げ全作品集」(共編 嵯峨野書院)刊行予定。