賛同企業代表者 文化人 対談シリーズ
経済面コラム

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- 2022元日 文化人メッセージ -

清水克行

SNS・スマホと「刀」
泰平の世を築いた先人たちの教訓

清水克行
歴史学者

私は日本中世の暴力や法秩序のことを研究しているので、たまに歴史と絡めて、ネットの暴力や凶悪事件など、現代の社会問題についてコメントを求められることがある。確かに昨今、SNS(会員制交流サイト)の誹謗中傷が人を死に追いやったり、そこまでいかなくとも、過去の罪をSNSで告発することで、特定の人を意外と簡単に社会的に抹殺することも可能となっている。それを思うと、まさに時代は「新しい中世」の到来。いまやSNSは現代人が他者を攻撃するための武器、中世人にとっての刀に近いものになった感がある。
もちろんSNSがあることで、過去には泣き寝入りを強いられた不当な案件について、弱い立場の人もそれを広く世間に告発することが可能にもなったわけだから、SNSには強者や組織から自分の身を守るための武器としての役割もある。中世は武士のみならず一般の百姓も刀を持っていた。そのため、百姓は必ずしも武士の言いなりになる必要はなく、不当と思えば実力であらがうことができた。その点も、SNSと刀はよく似ている。SNSにも刀にも、それが普及することで、不埒な連中や権威に安住する連中を引きずり下ろし、社会の風通しをよくする効果があった。
しかし、そのために現代社会は誰もが「必殺仕事人」になってしまった。今やSNS上は言葉の刃が飛び交う無法地帯である。天下統一した豊臣秀吉が刀狩りを発案したのも、まさにそうした戦国の修羅場を封じ込めようという企図からだった。
時代背景も価値観も異なるので、私は現代を語るときに安易に過去を持ち出すべきではないと考えている。そもそも秀吉の刀狩りのように、すべての人々からスマホを取り上げたり、免許制にしたりするなど不可能だし、実際、秀吉の刀狩りは失敗に終わっている。しかし、それでも江戸時代の人々が滅多に刀を使わず、武器を封印していたのは、個々人が長い時間をかけて暴力を非とするコンセンサスを築いたから、とされている(藤木久志「刀狩り」)。暴力の制御は上からの押し付けでできるものではなく、あくまで当事者の自制によって初めて可能となる。これは、泰平の世を築いた先人たちの教訓であり、現代にも受け継ぐべき教えであろう。
例えば私たちも「匿名で論評しない」(日本人のSNSでの匿名率は世界的に異常である)、「人の名前には『さん』を付ける」といった新しいマナーを構築することあたりから始めてみてはどうだろうか?

◉しみず・かつゆき
1971年東京都生まれ。明治大商学部教授。専門は日本中世史。テレビ番組の時代考証などを通じ、広く歴史の面白さを伝えている。主著に「喧嘩両成敗の誕生」「日本神判史」「戦国大名と分国法」、近著に「室町は今日もハードボイルド―日本中世のアナーキーな世界―」(新潮社)、「室町社会史論―中世的世界の自律性―」(岩波書店)などがある。