賛同企業代表者 文化人 対談シリーズ
経済面コラム

新たな暮らしの実践へ

Practice of new life

- 2022元日 文化人メッセージ -

姜 尚中

「甘え」の場の創造

姜 尚中
政治学者

「日本人の忘れもの」ですぐに頭を過ぎるのは、土居健郎の「『甘え』の構造」のことである。1970年の大阪万博の明くる年に出版された本書は、ベストセラーになるとともに、73年には英語版も出され、世界的に日本への関心が高まる中、「甘え」は日本人の心性とその人間関係を理解するキーワードになった。
ただ、「甘え」という概念は、英語では〝dependence〟(依存)と訳されていることからも分かる通り、母子関係に典型的な、自他一体感を求める受動的な愛情希求の「幼児性」の表れと誤解され、個人主義的で近代的な自我の欠如と見なされた。要するに、「甘え」は「甘ったれ」る未熟な大人と、それを庇護する「甘やかし」に矮小化され、日本社会の「病理」現象とされたのだ。しかし、土居氏の意図はそこにあったのではないはずだ。
後に土居氏は日本社会だけでなく、先進諸国も含めて、「甘え」の場がどんどん刈り込まれ、家族ですらも時には修羅場と化していると指摘し、「甘え」の喪失に一石を投じている。
いわゆる新自由主義的な「自助」の「美徳」が世界をなめ尽くすようになって以来、人間関係はギスギスし、「助けて」と叫んでも、なかなか手を差し伸べられない社会になってしまった。そんな世知辛い世の中で、「日本人の忘れもの」として挙げたいのは、「甘え」の場を創造することである。創造といっても、まったく新しく創る必要はない。既に日本にはずっと昔からあったのであるから。それは、「祭り」である。「祭り」といっても大仕掛けの、交通規制やさまざまな煩瑣なルールに縛られない、むしろ無礼講が許されるような、「甘え」「甘えられる」関係がおおっぴらに黙認されるような「祭り」である。
「祭り」の祝祭的な空間が、その地域や土地にしかない霊性や伝統と結び付き、同時にその空間の中だけには世知辛い規範や煩瑣なルールも沈黙し、「甘え」のおおっぴらな表現の場となれば、誰でもが生きづらさの憂いを晴らすことができるのではないだろうか。そこには、一切の差異が消去され、皆が一体となりながら、過去の時間と現在の時間との融合を確かめられるのである。

◉かん・さんじゅん
1950年熊本県生まれ。東京大名誉教授、熊本県立劇場館長兼理事長。専攻は政治学、政治思想史。テレビ・新聞・雑誌などで幅広く活躍。著書に「マックス・ウェーバーと近代」「悩む力」「心」「朝鮮半島と日本の未来」など。