賛同企業代表者 文化人 対談シリーズ
経済面コラム

新たな暮らしの実践へ

Practice of new life

- 2022元日 文化人メッセージ -

神居文彰

顔のない会話

神居文彰
平等院 住職

「11」までは覚えている。全身麻酔の際、どのくらいで効くものかとオペ室で聞くと、ドクター、看護師と「数えてみますか」ということになり、投与と同時に、息に合わせて声を上げた。「8」くらいから意識が混濁、終了後「12まで数えていたよ」と聞いた。
息を数えながら心を落ち着ける観想を数息観と言い、夏の叡山で実践したことがある。セミの声にばかり気を取られながらの寝落ちで、切り声で目が覚めた。
横たわって最期の瞬間に、息に合わせ信じる仏の名号を唱えることを〝息合わせ〟という。息は「生き」に通じるという考えはとても自然だ。息を合わせ見えない何かと対話をしていたのである。私自身の命との呼応でもある。
全身麻酔では夢を見るという。4割の人が覚えていて、その半数が良い夢だと看護師が教えてくれた。
病院では現在、お見舞いもままならない。近時、果たして病院側だけで看取ってよいのかという内容の議論が開始されつつある。治療の優先順位を判定するトリアージも問題になる。欧州の安楽死制度を整備する国では、10年以上その方と向き合った上での対応という。対面して長い時間をかけてその人格に関わる。医療効率や年齢の高低だけで議論が進んで良いはずはない。確かに人は他者に評価され比較される。自分で選択したいというよりは、分析された「生」に生きるというのがちょっと嫌だ。そもそも決定者は誰か。モニター医療やデータ値だけの判断では極端な決定にしか行き着かない。自動運転プログラムで有事の際、欧州は高齢者に突っ込み、日本は若者に突っ込むという話を冗談ではなく聞いたことがある。自動を選ばせないという選択だってある。
近時の地震の頻発は、いつかの巨大地震を予感させる。思いを形にしたさまざまな文化財が被災するだろう。その保全、修復の優先順位「文化財トリアージ」が現実味を帯びる。時代によって優先順位は変動する。何事も用意とは言うものの突然襲いくるのが災禍。釈尊が思い通りにならないことを「苦」と伝え、それは「一切皆苦」という。例外がない。
古くから睡眠は「小死」と言われている。現身で感じ考える最上の理想化した姿を堂宇や像、庭園としてこの身体を使って表現した。その瞬間、肉眼で見える世界とは異なる世界が広がるはずである。SNS(会員制交流サイト)は相手の顔が見えない対話だから、過激になり痛みを感じず無責任にもなる。見えないからこそ対話を大切にしたい。
本気の出会いと顔の見える会話である。

◉かみい・もんしょう
1962年愛知県生まれ。91年大正大大学院博士後期課程満期退学。93年より現職。美術院監事、国立文化財機構運営委員、埼玉工業大理事などを務める。著書に「いのちの看取り」「臨終行儀―日本的ターミナル・ケアの原点―」「平等院物語ああ良かったといえる瞬間」など。約30年平等院のさまざまな修理に携わる。