新たな暮らしの実践へ
Practice of new life
- 2022元日 文化人メッセージ -
日々の当たり前を暮らしに取り戻す
井上八千代
京舞井上流五世家元
祇園のお座敷でお客さまに井上流の舞をご覧いただくことが、長く私たちの暮らしの基本にあった。子どもの頃から私の芸事を見てくださった方、あの時にお会いしたお客さま、と次々にお顔が思い出される。コロナ禍以前、四条通のにぎわいもごく当たり前のように感じていたし、京都のまち全体では葵祭、祇園祭、時代祭のような祭事が節目ごとに季節を意識させてくれた。
花街の暮らしは、「暦に沿って」と言われるように、新年から師走まで、始業式から節分、都をどり、八朔、温習会、事始めと順番にやってくる。日々の行事に丁寧に向き合ううちに、また次の年を迎える。そんな当たり前の暮らしが失われて、はや2年になる。
舞台芸術の世界は、やはり対面式でご覧いただく性格のものだと思う。ライブ感覚で、直接、舞の動きや音楽を味わっていただくことが前提で成り立ってきた。オンライン配信用に京舞を収録したこともあるけれど、「なまもの」として間近で楽しんでいただいてこそ、舞の魅力が十分に伝わると思う。
京都の花街文化は、まちの中にある。伝統産業に支えられてここにある。着物、工芸品、扇、楽器など、どれを取っても京都の街中で求められる安心感がある。お茶屋においしいごちそうを提供するのは仕出し屋さんで、指を折って数えると、ほんとうに多くの業種によって花街の文化が支えられているのが分かる。京都のまちにとって、文化と産業は、不要不急という流行語でくくってしまえる世界ではなく、表裏一体ではないか。
いま、私たちに求められているのは、日々の当たり前と思われる暮らしを取り戻すこと。2年空白ができたことで、祇園甲部でも都をどりの舞台を経験していない舞妓がいる。祇園祭の鉾建てなどと同様、花街の習慣や身近な地蔵盆にしても、先人たちが伝えてきた世界こそ、まずは京都で取り戻していくことが大切ではないか。いったん失われると、細部を含めてなかなか思い出せないもの。しつらえも忘れられてしまうかもしれない。
社寺の祭礼とは異なるが、舞そのものは本来、神様に捧げる性格がある。今年こそ明るい年になるように、感謝の気持ちと皆さまの健康を願うこと、さまざまな思いを込めて私たちは舞う。舞を支えてくださるお客さまへの思いがある。花街の文化の根本にある考え方だ。
今春4月は南座をお借りして、さらに来年は、耐震改装中の祇園甲部歌舞練場にいっぱいのお客さまをお迎えし、京舞を披露したい。初春、祇園に関わる全員の願いだと思う。
◉いのうえ・やちよ
観世流能楽師片山幽雪(九世片山九郎右衛門)の長女。京都生まれ。祖母井上愛子(四世井上八千代)に師事。芸術選奨文部大臣賞、日本芸術院賞などを受賞。2000年五世井上八千代を襲名。13年紫綬褒章を受章。15年重要無形文化財各個指定(人間国宝)に認定。日本芸術院会員。