賛同企業代表者 文化人 対談シリーズ
経済面コラム

新たな暮らしの実践へ

Practice of new life

- 2022元日 文化人メッセージ -

稲垣恭子

ちょっとおしゃれで

稲垣恭子
教育学者

昨年の秋ごろ、ある集まりの案内状に、小さな字で「せっかくですから、ちょっとおしゃれでお出かけください」と書かれていた。言い回しもすてきでその日が少し楽しみになった。当日出かけてみると、和服の人もあり、鮮やかな色のジャケットやブラックドレスの人もありと、思い思いの工夫で晴れやかに見える。それに普段は無頓着な人も、カラーシャツや大柄のネクタイを着けていたり、マスクの色を服に合わせたりと頑張っている。
ドレスコードというと堅苦しいし、みんな同じようなスタイルになりがちだが、「ちょっとおしゃれ」くらいだと、それぞれ個性も出ていて面白く話も弾む。その時間のために少し装いに気を配ることで、お互いがその場を大切にしていることが伝わって親近感が湧くのだろう。普段からよく会う人もいれば、初対面の人もいるのだが、それにかかわらず一緒にいることが自然に思えるようなコミュニケーションが生まれるのは、こんな時間だ。多様な生き方が志向される社会の中で、他者への理解や共感といったキーワードを耳にすることが多くなっているが、そのベースになっているのは、感情移入よりも、こうした他者とともにある技法(マナー)なのだと感じる。
かつては商家などでは、奉公人や居候など他人も一緒の大家族的な暮らしもよくあった。そうした生活の思い出などを読んでいると、寝食を共にする中で親密さも生まれる一方、挨拶から食事、お風呂の入り方まで、互いに気を遣い合うマナーも大切にしていたことがよくわかる。思い出すと、学生時代に時々遊びに行っていた京都の造り酒屋のお家でも、出かける前や帰ってきたときに、友人が両親や周りの人に丁寧に挨拶しているのを見て、さすが京都と思った記憶がある。
マナーというと、改まった席やお茶会など特別なときに意識することはあっても、こうした日常的な習慣としてのマナーを身に付ける場はだんだんと少なくなっている。自分とは生活も経験も異なる多様な他者とともに生きることの重要性は、誰もが感じてきていることだが、それは意識して簡単にできることではない。子どもの頃からの長期にわたる日常生活の中で自然に学んでいくマナーの力は大きいように思う。
そう書きながら、私自身、マナー破り(マナー知らず)な生活をしていることに思い至ってきた。マナーの教育について語る一歩手前で、まずは止めておきます。

◉いながき・きょうこ
1956年広島県生まれ。京都大理事・副学長。京都大大学院教育学研究科博士課程退学。帝京女子短期大、滋賀大教育学部、京都大大学院教育学研究科教授、研究科長・学部長を経て、2020年10月より現職。京都大博士(教育学)。専門は教育社会学、教育文化の歴史社会学。著書に「女学校と女学生」「教育文化の社会学」など。