賛同企業代表者 文化人 対談シリーズ
経済面コラム

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- 2022元日 文化人メッセージ -

赤上裕幸

新年に求められる希望のその先へ

赤上裕幸
社会学者

昨冬、ドラマ「日本沈没」が放送された。小松左京の原作(1973年)では、ちょうど五山送り火の日に京都で地震が起こり、日本列島が沈みはじめる。そのことを思い出し、京都が懐かしくなった。大学院時代を京都で過ごしたが、新型コロナウイルスの流行でしばらく訪れることができていない。
最近、私は「日本分断もの」に注目している。もしも1945年8月15日以降も戦争が続いていたら、米国とソ連の侵攻を受け、日本もドイツや朝鮮半島と同じような分断国家となっていたかもしれない。そのように東西(あるいは南北)に分断された「もう一つの日本」を想像した作品(小説やマンガなど)が「日本分断もの」である。代表作は、井上ひさし「一分ノ一」(86年~)や村上龍「五分後の世界」(94年)。若い人には、知念実希人「屋上のテロリスト」(2017年)もよく読まれているようだ。東京が2分割されたり、静岡と新潟を結ぶ東経139度線に「壁」が建設されたり、分断の設定はさまざまだ。
地震、新型コロナなど、災害が次々と襲い掛かってくる現代社会。そうした時代における危機克服のヒントを「日本分断もの」から得られないものかと考えている。井上ひさし「一分ノ一」の主人公は、日本が4分割され、数十年が経過してしまった状況にあっても、統一国家日本の実現をあきらめていない。それどころか「人々が明るくはつらつとするような国……」「オリンピックでもメダルは取れない。せいぜい取って銅二つ」「ノーベル賞も取れない」、しかし「世界が何かの危機に追い込まれると、全世界の注目が一斉に新ニッポンに集まる……」と、あるべき国のかたちを堂々と語る。
「日本分断もの」の傑作が教えてくれるのは、絶望的な状況であるからこそ、希望が生まれる余地があるということだ。これは「にもかかわらずの希望」と言えるだろう。高度経済成長期、正月になるとSF作家たちは明るい未来像の提示を求められ、「昔恵方万歳、今SF作家」というジョークをささやき合っていたという。オイルショックが起こった70年代は、「日本沈没」や「ノストラダムスの予言」がヒットし、暗い未来と世紀末が重ねて論じられた。「災後」の時代とも呼ばれる現在、これまでとは違った「希望」の描き方が求められている。「日本分断もの」が描く「にもかかわらずの希望」は、私たちが未来を切り開くためのヒントを示してくれるのではないか。

◉あかがみ・ひろゆき
1982年埼玉県生まれ。防衛大学校准教授。京都大大学院教育学研究科博士後期課程修了。博士(教育学)。2013年防衛大学校公共政策学科講師。15年より現職。著書に「ポスト活字の考古学」(柏書房)、「『もしもあの時』の社会学」(筑摩選書)、「分断のニッポン史」(中公新書ラクレ)など。