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未来へ受け継ぐ Things to inherit to the future【2022年第2回】

美術作家/舞台演出家・やなぎみわさんが、若い世代と語り合う「日本人の忘れもの知恵会議」対談シリーズ第2回は、「科学といのち/宗教と生命」を巡って、龍谷大農学部講師で浄土真宗本願寺派光遍寺住職の玉井鉄宗さんと語り合い、龍大の学生もディスカッションに参加した。コーディネーターは京都新聞総合研究所特別編集委員の内田孝が務めた。

未来へ受け継ぐ Things to inherit to the future【2022年第2回】


■対談
科学といのち/宗教と生命

文学、神や虫の視点も可能に
やなぎみわ氏(美術作家/舞台演出家)

「自他一如」の考え方は重要
玉井鉄宗氏(龍谷大農学部講師/浄土真宗本願寺派光遍寺住職)

 

玉井◉私は、奈良県吉野郡天川村で生まれ育ちました。龍大農学部の教員ですが、地元の光遍寺という浄土真宗の寺院の住職も務めています。寺が開かれたのは、鎌倉時代に源実朝、北条義時が活躍した頃の1216(建保4)年と伝えられており、私が25代目の住職です。大峰山や高野山などの霊場が近く、村は修行者や巡礼者が行き来する通り道になっており、昔から宗教と関わりの深い土地でした。
やなぎ◉なぜサイエンス分野の研究者を志したのですか。
玉井◉私はこれという理由もなく仏教を嫌っているところがありました。長男だったので、寺の住職を継がねばという無言のプレッシャーも感じる中、「仏教と正反対の位置にあるのが科学」だと考えていました。バイオテクノロジーが注目され始めた頃で、その新しい分野に魅力を感じ、農学部に進学しました。
やなぎ◉寺の住職を継ごうと決心するのは大学卒業の前後ですか。
玉井◉父に長生きしてもらい、私は研究という好きな仕事を続け、定年退職したら父親と交代しよう―と、自分勝手な人生設計を立てていました。ところが、大学院博士課程を終え、研究員として働き始めてすぐ、父が末期がんであることが分かりました。寺を継いでほしいという父の気持ちも理解でき、高校入学で家を出てから10年以上たって、天川村に帰りました。「よく帰って来てくれたな」と、地域の人たちにとても喜ばれたのを覚えています。その後、10年間ほど寺の住職を務めながら、高校で教壇にも立っていました。
やなぎ◉今は、龍大で再び研究活動をされていますね。不思議な巡り合わせだと思います。
玉井◉2015年度からの農学部新設が決まり、当時の赤松徹眞学長が「仏教の素養を持つ教員が、農学部にも必要」と考え、声をかけてくれました。まさか、また研究ができる立場になるとは想像もしていませんでした。人生で経験してきたことは無駄ではなく、すべてに意味やつながりがあって今がある、と感じています。
やなぎ◉私は京都市立芸術大2回生の時、チベットに行きました。神戸から船で中国に渡り、陸路で1カ月ほどかけてチベットに入りました。仏教寺院を巡ったことなど、現地で体験したことは、すべて今につながっています。時宗の開祖・一遍上人(1239~89年)の廟所が神戸市兵庫区にあり、私はそのすぐ近くで生まれました。2019年には廟所近くで、中上健次さんの小説「日輪の翼」を野外劇にして上演しました。中上さんは和歌山・熊野出身です。一遍上人は、熊野の本宮大社に参拝した際に見た夢がきっかけで時宗を開きます。野外劇も熊野の民衆の話でしたので、劇中に一遍上人を登場させました。一遍上人は各地を旅し、念仏を唱えながら踊る「踊念仏」を続けていました。これは、舞台芸術の源流の一つであるらしいことも、最近分かってきたことです。ごく最近、末期がんでホスピスにいた母を亡くしました。介護をしながら母と一緒に過ごした日々は、生と死が調和し、死が特別なものではないと実感できる貴重な時間でした。
玉井◉私たちは生きているのが当たり前だと思いがちですが、むしろ生きているのは奇跡です。生まれた以上、私たちは100%死んでいきます。それにもかかわらず、社会から死を遠ざけ、死について何も考えない仕組みにしているのは問題です。
やなぎ◉社会には、死を汚れとする思想が根強くあるようです。今回、母の葬儀を執り行った寺院から霊柩車で出発する際、運転手はクラクションを鳴らしませんでした。なぜ鳴らさないのか尋ねると、周辺地域からの苦情に配慮しているとのことでした。霊柩車も地域住民が嫌がるため、普通車で出棺するケースが増え、日本古来の建築様式の寺社を模した「宮型霊柩車」は、激減してしまいました。神戸市内に1台しかないとも聞きました。
玉井◉死を終わりだと定義している人が増え、死者を大切に扱う必要はないという風潮が広がりつつあるのではないでしょうか。死ぬことを「息を引き取る」と言いますが、昔は畳の部屋があって、布団の周囲に家族が集まり、亡くなる人の思いや願いをそれぞれが「引き取る」のが一般的でした。そうすることで、生命が終わっても終わりではないという思いを持つことができました。
やなぎ◉ 第2次世界大戦中のナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺を題材にした『サウルの息子』という映画があります。強制収容所で同胞のユダヤ人の遺体処理に従事する主人公が、自分の息子とおぼしき少年を手厚く弔おうと命がけで奔走する様子が描かれています。極限状態の収容所の中であっても死者の思いを敬うのは当然で、供養は人間として与えられるべき最低限の尊厳でしょう。

異分野をつなぐ探求

玉井◉私が仏教で向き合っている生命と科学で取り扱っている生命は同じものです。死者の思いや願いが生き続けていくように、科学でいうところの物質も形を変えて循環しています。私たちの肉体もその物質が形として一時的に現れたに過ぎません。今、私はラン藻類のイシクラゲの生態を研究しています。イシクラゲは公園や駐車場など、私たちの身近な場所にワカメのような見た目で群生しています。この生物は例外的な生命と言えるかもしれません。地球が誕生して46億年になりますが、イシクラゲはその初期から生き残ってきました。栄養や空気などが極端に少ない過酷な環境下でも繁殖し、乾燥しても仮死状態で生き続けます。強い紫外線や放射線を当てても死なないのです。
かつて、滋賀県の姉川流域では、イシクラゲを家庭料理として食べる文化がありました。現在の乾燥ワカメと同じように、味噌汁に入れたり、酢の物にしたりして食べていたようです。中国では漢方薬として用いられ、抗がん作用、抗ウイルス作用など多数の健康機能性成分が含まれていることも報告されています。私たちは、農作物としてイシクラゲを大量生産し、地域文化の復興や産業振興につなげるプロジェクトを現在推進しています。
やなぎ◉イシクラゲをはじめ多くのラン藻類が、太古から生き続けていることに驚きます。私はランの花を育てていますが、全く変化がないまま何年も経過した後に突然、花を咲かせたりします。樹木も枯死の判断が難しい。動物と違って、ラン藻類も植物も、個体の中に生死を共存させているようですね。
玉井◉最近、イシクラゲは個別で育てると生育が悪いことが分かってきました。もともと水分を体内に取り込んで逃がさないようにする保水性の高い生物ですが、集めて育てるとより保水性が高くなります。単独よりも集団の方が力を発揮するというのは、人間とよく似ています。

乾燥状態のイシクラゲ(姉川クラゲ)

乾燥状態のイシクラゲ(姉川クラゲ)。雪解け後、初春に地元の人たちが採取して保存食にしていた
(2019年3月、米原市伊吹山山麓)

やなぎ◉食べることと殺生についてはどう考えていますか。
玉井◉仏教では殺生は罪とされますが、「食べることは生きること」だと私は捉えています。言い換えれば、「殺生をしなければ生きていけない」のが私たちです。私たちは、この矛盾を抱えながら生きています。私たちは人間ですので、人間の視点でしか物事を見ることはできません。ただ、仏教に出会うと、もう一段上の「仏様の視点」を知ることができます。その視点では、命を食べる側も食べられる側も実は同じで、物質が循環しているだけです。それを人間が区別しているのであって、仏教では自分も他者も本来は一つとする「自他一如」の考え方があります。他者を大切にすることは自分を大切にすることと同じなのです。この視点は、食や環境問題を考える上で重要だと思っています。
やなぎ◉宗教と同じく、文学や芸術の意義の一つは、人間とは違う視点から物事に光を当てるというところでしょう。例えば人間視点を神や虫の視点に変えることが文学では可能です。もちろん人間が人外を想像しているにすぎず、虫はそんなことを考えていないかもしれませんが、科学的な知見ではなく、生き物としてカンのような予見のような想像力が文学芸術にはあります。
玉井◉人間は論理で生きている部分と論理以外で生きている部分の両面があって、論理の部分は科学で何とかなりますが、論理以外の部分は言葉にすることが難しい領域です。仏教には時間の長さを表す言葉に「劫(こう)」という単位があります。40里(160キロメートル)四方の石があり、天人が100年に一度降りてきて、袖で石の表面をなでて、その石が擦り切れてなくなるまでが「一劫」だとされています。そういった例え話を用いて、論理を超え直接心に訴えかけてくるのが仏教で、その意味で仏教と芸術は似ているのではないでしょうか?
やなぎ◉巨石を天人がなでる、美しく壮大な景色です。途方もない長い時間を表現する時、科学なら数式、宗教や芸術なら風景、詩や物語など、表現はそれぞれ違います。今それらは専門化や細分化が進んでしまいましたが、本来は結びついていてほしい。世の中で起こっている出来事の本質を理解したり、問題を解決したりするには、玉井さんのように異なる分野をつないで考察や探究を深めていくことが非常に大事だと思います。


■質疑

龍大生◉食物に一生があるとすれば、食べられているときがクライマックスで、食べている人の栄養素になるのがエンディングではないかと考えました。人の場合、よりよいエンディングとは何でしょうか。
玉井◉台湾のIT政策担当の唐鳳(オードリー・タン)政務委員は、人類の課題は何かという問いに対して「善き祖先になること」と答えたそうです。死は終わりではなく、生命も過去からつながり、さらに未来へも引き継いでいかなければなりません。そのことを意識し、よりよいエンディングのためには「どう今を生きるか」が大事でしょう。

龍大生◉これまで死を怖いものとしか捉えていませんでした。動物や植物の命をもらって生きていることを含め、死についてもっと考えようと思いました。
やなぎ◉植物動物を育てるのに手間をかけたり、子供や老人の世話をすると、相手と身体的な親和性が高まり、自分と混ざるような感覚になります。親の介護で病院やホスピスに滞在したことは大きな経験でした。自分の着ているものを親に掛けたり、同じものを食べたり、衣食住が混ざり合って死は日常で特別なものではなくなりましたね。

龍大生◉学生時代にチベットに行った理由を教えてください。
やなぎ◉宗教学者・中沢新一さんの著作「チベットのモーツアルト」(講談社学術文庫)を読んで、どうしてもチベットに行かねばと思い、友人と共に船で中国大陸に向かいました。旅の途中で体重が10キロ落ちたり、目がくらむような極彩色のチベット寺院を訪れたりした経験は、10代の私にとって強烈でした。コロナ禍が終息すれば、ぜひ自分の知らない土地に行ってみてください。

龍大生◉就職活動をする中で、人生を選択していくことは難しいと感じています。
玉井◉仏教書『往生要集』によると、現世で大罪を犯した人は最も苦しみの大きい「阿鼻地獄」に1人で行かなければならず、帰る場所はないそうです。家や家族、友人を失う状況は誰にでも起こりうることで、今まさにウクライナの人たちもこの状況に直面しています。逆に言えば、帰る場所があり、同伴者がいることは大きな幸せです。この幸せを噛み締めて、人とのつながりを大切にする人生を歩んでほしいです。そうすれば、人生で無駄なことなど何もないと気づくことができると思います。

対談風景


◎玉井鉄宗(たまい・てっしゅう)
1971年生まれ。神戸大、同大学大学院を経て農業生物資源研究所研究員、智弁学園中高教員の後、2013年に龍谷大へ。大学ではアメフット部QB。週末は自坊で僧侶に。

◎やなぎみわ
1967年生まれ。京都市立芸術大で染織専攻。現在は、国内外で舞台公演を手がける。2021年12月、台湾で大規模な野外歌劇「阿婆蘭」を作演出した。台湾政府に招かれた。


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