賛同企業代表者 文化人 対談シリーズ
経済面コラム

次世代へ、美しい日本を

Beautiful Japan. To the next generation

- 2021元日 文化人メッセージ -

モイゼス・カルヴァーリョ

「リベルダージ」
―昔の日本との「再会」―

モイゼス・カルヴァーリョ
京都外国語大学外国語学部教授

皆さんは、ブラジルのサンパウロ市中心にある「リベルダージ」という地区をご存じだろうか。日本人のブラジル移民が始まったのが今から約110年前の1908年、コーヒー園での過酷な労働環境に耐えかねた移民たちの一部が、より良い稼ぎ口を求めて、このリベルダージに住み始めた。さまざまな苦難を乗り越えて、第2次世界大戦前後には「日本人街」として隆盛を極めたリベルダージであるが、現在では中国や韓国からの移民が増加し「東洋人街」へと改名された。それでも、リベルダージは依然として、日本の面影を色濃く残した世界最大規模の日本人コミュニティーであり続けている。
十数年前、妻と初めてリベルダージを訪れたときのことである。街を歩いていて、日本人である私の妻は、ノスタルジックな感情をかき立てられたらしい。例えば、街の入り口にそびえる真っ赤な鳥居や商店街を彩る提灯型の街灯、日本から数カ月遅れて船便で届く雑誌の並んだ書店で働くおばあさんの立ち居振る舞いや、そこで交わされている日本語のイントネーションなどに、何とも言えない懐かしさを感じたのだという。また、ブラジル人である私からしてみれば、若い日系ブラジル人女性のいわばシンボルともいえる、長く真っすぐ伸びた黒髪も、妻からすれば逆に目新しく映ったそうで、「昔の日本がそのまま保存されているのね」と感想を述べていた。
ブラジル留学から帰国した男子学生と話をした際も、これと同じような、昔の日本との「再会」が話題となった。ある日系ブラジル人と仲良くなった彼は、その友人が両親や祖父母との関わりを非常に大切にしており、「誕生日」や「母の日」といった記念日には集って祝い、買い物などにも仲良く一緒に出掛けていくのをつぶさに見て、衝撃を受けたと同時に、うらやましく感じたそうだ。彼は長らく、両親と仲良くすることを気恥ずかしく感じていた。しかし、帰国後は自分も家族との関係を密にすることを決意し、両親や祖父母と頻繁に連絡を取り始めたのだという。ブラジル日系社会には、今でも両親や祖父母との絆を大切にする拡大家族の特徴が残っている。その学生がしたことは「家族関係の逆輸入」といえるかもしれない。
移民コミュニティーには、本国よりも、伝統、価値観、生活様式をより強く保持する傾向があることはよく知られた事実である。「昔の日本」にタイムスリップしたいなら、いつかサンパウロのリベルダージを訪れてみることをお薦めする。

◉モイゼス・カルヴァーリョ
1972年ブラジル生まれ。95年アマゾニア大教育学部卒業。翌年、文部省(当時)の国費留学生として来日。2002年広島大教育学研究科博士課程後期修了。同年、フィリピンのデ・ラ・サール大准教授、05年京都大教育学研究科・日本学術振興会外国人特別研究員、08年より助教。11年京都外国語大准教授、20年より現職。専門は教育認知心理学。一児の父。