賛同企業代表者 文化人 対談シリーズ
経済面コラム

次世代へ、美しい日本を

Beautiful Japan. To the next generation

- 2021元日 文化人メッセージ -

松下隆一

見えない美に触れる

松下隆一
作家/脚本家

「忠次旅日記」(1927年・伊藤大輔監督)というサイレント映画がある。長らくフィルムが散逸していた、幻の名作と呼ばれた時代劇だ。劇中、子どもたちが巨大な木桶のそばで遊んでいる(おそらく「かごめかごめ」だろう)カットがある。地面に映る桶と子どもたちの影がたいそう美しく、息を飲んだのを覚えている。時代劇とは光と影で構成される詩なのだ。
かつての時代劇(映画・ドラマ)には詩という名の「間」があった。武家ものであれば抜き差しならない命のやり取り、長屋ものであれば温かな人情などを描く中で、川のせせらぎや雲の流れ、虫の音、鳥のさえずり、風にそよぐ木々、雨、雪、四季折々の情景などが挿入される。その間の中で、観客は主人公の心情を思いやり、感慨にふける。そうした日本的情緒が時代劇の魅力でもあった。だが昨今は話の面白さを追求しようとするあまり、派手な殺陣や趣向を凝らした内容によって過剰なまでに情報が詰め込まれ、説明過多となり、間のある時代劇が数少なくなっている。
例えばある人へ心を込めて手紙を書いて投函したとする。手紙を書いている時間や返事を待っている時間など、いろいろと考える間がある。利便性、効率化に走るとその間が少なくなり、思考が短絡的になる。実際、 SNS(会員制交流サイト)などで思慮なく即物的に書き込むことで、訴訟や炎上といったトラブルを招いている。
また今後主流となる4K・8Kなどによる高画質化も、時代劇にとっては一長一短ある。闇に一筋の光を当てるところから始まるフィルム映像を知るカメラマン、照明マンが携わるならまだしも、見え過ぎることでかえってリアリズムや質感が損なわれ、詩情を減じるのではないかと危惧される。
これらのことを通して、時代劇はサイレントのモノクロが良いと言いたいわけではない。温故知新。一見、非効率、不便に思える情緒の中に、日本的な美が潜んでいるのではないかと考える次第である。過剰に説明されたり、鮮明に見えることばかりが良いのではなく、見えない部分を己の想像力で補完することが美を感ずる感性を育むのではないか。ひいては見えない美に触れようとする思考が感情論でなく冷静に物事を見つめ、他者を理解し思いやる気持ち、寛容性に結び付くと考えるのは飛躍が過ぎるだろうか。
ともあれ時代劇における日本的情緒は特殊な世界ではない。日本人のDNAの中に脈々と流れている詩であり、受け継がれるべき伝統美であろうかと思う。

◉まつした・りゅういち
1964年兵庫県生まれ。「二人ノ世界」で第10回日本シナリオ大賞佳作入選。2020年「もう森へは行かない」(「羅城門に啼く」に改題)で第1回京都文学賞最優秀賞を受賞。脚本作品に映画「獄に咲く花」、CSドラマ「天才脚本家梶原金八」、NHKドラマ「雲霧仁左衛門」、著書に小説「羅城門に啼く」「二人ノ世界」、ノンフィクション「異端児」など。