賛同企業代表者 文化人 対談シリーズ
経済面コラム

次世代へ、美しい日本を

Beautiful Japan. To the next generation

- 2021元日 文化人メッセージ -

田中希実

意味なんてなくても、
普遍の可能性を信じて走る

田中希実
陸上選手

「お前が走れようが走れまいがこっちには関係ない!知ったことか!」と、コーチである父に言われた。強烈な存在否定。
確かに、私が走ることは、誰にも関係のないことだ。私自身はといえば、陸上の結果にとらわれ過ぎると、大好きなことにも興味がなくなる始末。私は、何のために走るのだろう。果ては何のために生きているのだろう。全部無意味なことなのではないだろうか。
そもそも物事には意味などないのかもしれない。人間があらゆる物事に意味づけをしてすがりたがっているだけに思えてくる。その意味づけが生きることにまで及び出すと、人は自殺を選ぶのだろうか。近年の自殺の多さにまで考えは及ぶ。
しかし、本当に、私が走ることは誰にも関係のないことなのだろうか。無意味なことなのだろうか。それならば、私が力を尽くして走り切ったときの父の涙や、多くの人の温かい言葉は何だったのだろう。人間特有の単なる意味づけで片づけてしまえばそれまでだ。とはいえ、人を引きつける、普遍の何ものかは存在するのではないだろうか。私の走りになど無関心な人もいるし、タイムだけで速い遅いを一刀両断する人もいるし、感じ方自体は人それぞれであるものの…。
芸術にしろ、何にしろ、理解できないものは素通りするか、「へえ、面白い」だけで忘れられてしまう。人の心を動かすのは普遍性があるもの。日本文化で考えても、日本人の心という概念を形成する私たちの共通認識や外国人にも言葉を超えて受け入れられる感動がなければ、文化として成り立たない。
普遍性があり、言葉を超えた感動を与えられる文化として、芸術だけでなくスポーツがある。私はそのスポーツの中でも単純な、走ることで何かを伝えようとしている。私自身何のために走っているのか分からないながらも、見る人はみなそれぞれに意味を見出してくれる。正解の意味などない。
だから私は、全ての物事に本来意味なんてないなどとうそぶきながら、誰かがつける意味を取っ払ってもなお、「何か」が残るような走りをしたいと考えている。また、そうした走りにこそ誰かが意味を見出したくなるような、「何か」があると信じたい。私自身その「何か」が何かは分からないし、永遠に分からないだろうが。
父の言葉に戻ろう。父はざっと、このような意味合いを込めて、私なりに、一心不乱に走りさえすればいいと言いたかったのだろうか。いや、きっと、意味なんてない。ただカッとさせてしまったのだろう。

◉たなか・のぞみ
1999年兵庫県生まれ。兵庫・西脇工高を経て、同志社大在学中(豊田自動織機TC所属)。クラブチームにて父・健智さんの指導を受ける。2019年、世界陸上競技選手権・女子5000㍍14位、20年、日本陸上競技選手権・女子1500㍍優勝、女子5000㍍優勝。東京五輪2020陸上・女子5000㍍の日本代表に内定。女子3000㍍、女子1500㍍の日本記録保持者。