賛同企業代表者 文化人 対談シリーズ
経済面コラム

次世代へ、美しい日本を

Beautiful Japan. To the next generation

- 2021元日 文化人メッセージ -

加藤敦子

地方と都市との垣根を越えた
自由闊達な交流

加藤敦子
敦賀市立博物館学芸員

敦賀市は、福井県・嶺南地方に位置し、日本海に面した波穏やかな港町です。敦賀の話が京都と何の関係が?と思われるかもしれませんが、実は、敦賀は古くから京都と強い結び付きのある地なのです。
天然の良港である敦賀は、古代より大陸との交易が盛んで、加えて、上方と北国とを結ぶ交通の要衝でもありました。越の国へと下向する都人は、越路の起点である敦賀を通っていきましたが、例えば最古の北陸道とされる山中峠越えの経由地・敦賀の五幡は、北陸へ向かう人々が都への郷愁の念を詠んだ歌枕の地として知られています。
江戸時代、敦賀の湊は北国と京都とを往来する物資輸送の中継地として栄えました。敦賀で荷揚げされた米や大豆などの物資が、琵琶湖を通じ京・大坂へと運ばれたのです。海路と陸路の結節点として、物や人が行き交う当時の敦賀は、井原西鶴の「日本永代蔵」で「北国の都」と称されるほどのにぎわいぶりでした。
このように、海陸ともに交通の重要地であった敦賀には、京都の画家たちも多く訪れました。江戸時代には円山応挙や長沢蘆雪、山口素絢、塩川文麟がこの地に逗留し、明治には鈴木松年が、敦賀の文化人の集う雅会に出席しています。また、近代京都画壇を牽引した竹内栖鳳や谷口香嶠も来敦したと伝えられています。そして、敦賀の画家もまた、その多くが京都で絵を学びました。
さらに、地元の町人と京の画家との関係も残されています。敦賀の薬種問屋の生まれである木津成助は、岸駒のパトロンであり門人でした。敦賀の財界人であった大和田荘兵衛は、前述の雅会の中心人物で、鈴木松年から熱心に絵を学んでいます。
華やかな京都の文化は、人々の往来によって伝播し、その地の文化と融合して育まれていったのです。地方と都市との垣根を越えた文化人たちの自由闊達な交流が、日本文化の豊かさに結び付いているのだと感じられます。
敦賀市立博物館の美術コレクションは、敦賀ゆかりの画家だけでなく、近世から近代にかけての京都画壇の絵画を豊富に収蔵している点が特徴の一つです。敦賀の美術を語る上で京都の美術を欠かすことはできません。今日の当館のコレクション形成が特色ある内容となっているのも、美術を通じた双方の交流があってこそなのです。
当館の所蔵作品は、幾度か京都の展覧会でも出品されてきました。今後どこかで当館の絵画作品をご覧になった時は、京都と敦賀との深いつながりを思い出していただければ幸いです。

◉かとう・あつこ
1990年富山県生まれ。金沢美術工芸大大学院美術工芸研究科芸術学専攻修士課程修了。敦賀市立博物館に勤務。日本美術担当。同館は郷土の歴史資料に加え、400点を超える美術資料を所蔵している。2019年「明治の郷土画家 内海吉堂」展担当。20年府中市美術館「ふつうの系譜」展特別協力。

円山応挙「狗子図」