賛同企業代表者 文化人 対談シリーズ
経済面コラム

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Beautiful Japan. To the next generation

- 2021元日 文化人メッセージ -

飯尾能久

より良い未来の実現のために
疑ってかかること

飯尾能久
京都大学防災研究所
地震予知研究センター教授

高槻市にある京都大の阿武山(地震)観測所は1930年に設立された。それまでは京大の北部構内で地震観測を行っていたが、市電が近くを通ることになり移転することになった。京大構内での観測結果から、淀川方面に小さな地震が多いことが分かっていたので、その周辺で岩盤が出ている場所を探したらしい。岩盤を探した理由は、地震は地下深部で起こる現象なので、深くまでつながっている岩盤上で観測することが望ましいからである。阿武山観測所では、岩盤を2㍍ほど掘り下げて地下室を作り、強固なベースを構築して、当時の世界最先端の地震計を多数設置した。数年後、より安定した観測を行うために、より深い穴を裏山に掘削中に発見したのが、阿武山古墳(藤原鎌足の墓)である。71年にはもっと深い、総延長250㍍を超える観測坑道も掘削された。
計器を据える場所の整備だけに限っても、このような努力を重ねてきたことから分かるように、阿武山観測所は、地震観測のプロとしての強い自負を持っていた。私は80年に観測所に配属となったが、最初に先生から言われたことをよく覚えている。「勉強はしない方が良い。教科書は読んではいけない」。解説を要する言葉であるが、当時はデータが圧倒的に不足しており、そういうものに基づいて得られた結果に惑わされてはだめで、自分の手できちんとしたデータを取りなさいという意味であった。
その後、地震学だけでなく、さまざまなことが加速度的に進歩し、日本では、教科書を読んではいけないと言う人はおそらくいなくなってしまった。われわれは、日々、カーナビに道を教えてもらい、乗換案内に沿って出掛けている。大変便利な世の中になったが、「権威」ある人や多くの人が言っていることをうのみにせず、疑ってかかることがより良い未来の実現のために必須だと思う。
観測所では、一般公開が行われている。歴史的な地震計から1万カ所に地震計を設置しようとする「満点計画」まで、自分たちの手と目を信じ、ひたすら真実を追い求めた長年の取り組みが展示されている。人里離れた(常人離れした)孤高?の施設で案内を担当するのは一般市民のボランティアであり、周辺の環境整備も大勢のボランティアが中心となって行われている。上記のような態度は、学術や研究の世界に特有のものではなく、誰もに関係し、共感できるものであることの表れであろう。多くの人に訪れていただきたい。  

◉いいお・よしひさ
1958年兵庫県生まれ。理学博士。京都大大学院理学研究科博士課程中途退学。同大理学部助手、防災科学技術研究所主任研究官・室長、東京大地震研究所助教授を経て2007年より現職。09年から阿武山観測所所長。地震調査委員会委員、教科書検定専門委員などを務める。著書に「内陸地震はなぜ起こるのか」など。