■基調提言
自然に対する畏敬の念 心の礎を見直し明日を歩む
田中恆清氏(石清水八幡宮 宮司)/ 竹下ルッジェリ・アンナ氏(京都外国語大学 准教授)
田中◉物理学者の寺田寅彦は、日本人の自然観について「自然と調和する知恵と経験で発展してきた」と述べています。この至言を聞くと、東日本大震災後に被災した港町を訪問した私の記憶がよみがえります。「海は後で必ず恵みを返してくれる」と自然を信じて復興活動に励む漁業従事者の方の姿に、私は逆に励まされたのです。「一所懸命」という言葉があるように、生活の本拠とする土地に対して持つ日本人共通の自然観と言えるのではないでしょうか。
京都に顕著だと言われる「遠慮」の文化も大事にすべきと考えます。IT技術の進展で世界が狭くなり、論理的な話が求められるようになった現代ですが、いたずらに主張するばかりがよいとも思えません。人の心を「遠くおもんぱかる」ことによってこそ円滑な社会生活の運営ができると私は考えます。「遠慮」という外国には見られない文化こそ日本から世界に発信していく必要があるかもしれません。
ストレスを受ける機会の増えた現在においては「心の時代」という言葉も見掛けます。臨済宗南禅寺派管長の中村文峰住職は、「心が病んでいるのならば、それは人と神仏をつなぐ宗教者の責任」と手厳しく指摘し、花園大学の西村惠信名誉教授は、「もともと心は瞬間の感情と共にあるだけだ」と「心の時代」という言葉の安易さを切り捨てます。弘法大師は「近くして見難きものわが心」と喝破しました。
神道は教義が存在せず、宗教的存在感をあまり与えない宗教とも言えますが、日本人の生活の中にしっかりと根付いて心の支えとなってきました。千年以上の都の歴史を持つ京都には神社をはじめ仏閣も集積しており、日本の中でも特別な精神的支柱の場となっていることは間違いありません。
今年5月に開催された先進国首脳会議(G7)で各国の首脳たちは伊勢神宮を訪問、日本人が自然に対して持つ畏敬の念(心)を異口同音に称賛しました。私たちは自信を持って新時代に向け、自身の心の礎を見直して歩むことが必要です。
竹下◉私はイタリア南部シチリア島の出身ですが、小さいころから日本文化に興味を持ち、日本研究の道を歩み始め、田中先生からお話があった西村惠信先生の下で白隠禅師の研究を進めました。
白隠禅師は、仏道を求め修行する「菩提心」を説きます。つまり自己を救うと同時に民衆を救うことも求める。禅に限りませんが、何も利益を求めず、全てを捨て去って修行することが人を救うことにつながるという根本的な教えです。
さらに禅では、自己と他者との関係について言及しています。この場合の他者は宇宙全体を含む概念まで広がっていきます。弟子と師匠の関係を考えるとき、一方の存在があるからこそ、もう一方の存在があるのであって、両者は一体化しており、相対的に双方の位置は平等であると説きます。
私は、文献だけの知識吸収を続けていては、人間的に重要なことが身に付かないことに気付き、実際に坐禅を体験することの大切さを意識するようになりました。
イタリアでは、京都は世界最高の観光都市の一つとする統計も発表されており、今後京都への訪日外国人はますます増えるでしょう。せっかく日本を訪れたからには、「体験」することで日本文化の核心に少しでも近づき、その人の財産としてほしいと思います。
例えば、私が勤める京都外国語大学の学生もボランティアとして参加し、京都の日常の暮らしの一部を体験できる外国人が増えるようなお手伝いをするプログラムづくりを進めるなど、一人でも多くの方に、京都の伝統文化に触れてもらいたいと考えます。