■基調提言
文化に対する無関心は国の存在をも揺るがすもの
佐々木丞平氏(京都国立博物館 館長)
常によきものを再確認し新陳代謝を起こすことが必要
鈴木順也氏(日本写真印刷株式会社 代表取締役社長 兼 最高経営責任者)
自然と対話する心を失ってはならない
山極寿一氏(京都大 総長)
伝統として受け継がれてきた「一人」の本質を見直す
山折哲雄氏(宗教学者)
―現代の日本人が忘れてしまった大切なものとは何でしょうか。
佐々木◉明治初期に政府が下した神仏分離令(神仏判然令)によって、廃仏毀釈と呼ばれる仏教弾圧運動が起こりました。現在の国宝や重要文化財になり得る仏像や文化財が各地で壊され、一夜にして100もの寺院が姿を消したと言われています。追い打ちをかけるように、文明開化によって西洋文明の波が押し寄せ、日本の伝統文化は危機にひんしました。
私たちが忘れてはならないことは、文化に対する関心だと考えます。文化があやふやになると国の存在すら危うくなりかねません。現在、あるイタリア人がアフガニスタン復興のために博物館をつくろうと尽力しており、彼らは「固有の文化が存在するから国が成り立つ」と考え、まず文化から立て直そうとしています。文化に対する無関心は、国の存在をも揺るがすものであり、ぜひ日本の未来のためにも、もっと関心を持っていただきたいと願います。
鈴木◉企業経営者は常にテクノロジー、経済・社会問題、流行などの最新動向に目を向け、市場環境の変化に適応して行動することが求められます。グローバルスタンダードを意識し、成長に向けて必要な改革を阻むような古い価値観にとらわれないよう注意を払うことも必要です。一方で、企業は過去から現在・未来へと継続していくものであり、これまでの蓄積が重要な資産となります。技術、お客さま、企業文化、ステークホルダーとのつながりや社会的評価などは一日で築き上げられるものではなく、長年の積み重ねにより形成されるという認識が大切です。
企業は、過去から蓄積された有形無形の資産の有効性を常に点検することを怠らず、優れたものはしっかりと守り、役割が終わったものは、勇気を持って捨て去らねばなりません。その上で、社内に存在しない能力や資産を社外から取り込むことで新たな価値が形成され、成長が可能になると考えます。企業だけでなく、京都という都市や社会全体でも、常によきものを再確認しながら新陳代謝を起こすことが必要なのではないでしょうか。
山極◉私の師匠である生態学者の今西錦司先生と伊谷純一郎先生は、霊長類の研究に当たり、大分県の高崎山でサルの群れに入って彼らと一緒に行動しながら、1頭ずつに名前を付けて行動を書き留めていきました。名付けるのは擬人的すぎると、当初は欧米から批判されましたが、サルは仲間の姿や顔を識別して、それぞれに対して違う行動を取っていることが判明し、この方法はジャパニーズ・メソッド(方式)として高く評価されました。功績の原点には、自然と一体になって世界を捉えるという日本独自の文化があったのです。
月の中にウサギの姿を見るように、日本人は昔から自然の中に思いをはせる心を持っています。ところが現代の子どもたちは、野山で自然に触れる機会や、夜空をじっと眺める時間がほとんどないようです。日本文化を守るためにも、私たちは自然と対話する心を失ってはならないと思います。
山折◉日本の戦後70年は、焼け跡の貧乏暮らしから始まりましたが、心情的には、それほど暗い生活ではありませんでした。自分から出掛けていく「出前精神」、何でも自分でつくる「手づくり」、安酒を飲んで仲間と語らう「身銭を切ること」という三原則で乗り切り、自立した生活を手に入れたのです。その後、日本は経済成長を遂げましたが、今度は少子高齢化が進み、お年寄りの一人暮らしや孤独死の増加が懸念されています。
「一人」という言葉はネガティブに捉えられがちですが、古くは『万葉集』にも登場する歴史ある価値観です。比叡山で修行し、浄土真宗の祖となった親鸞も、「他人事の真実を自分の問題として引き受けたときに、一人で立つ原動力になる」と一人で生きる思想を説いています。一人で立つ姿勢があってこそ、助け合いの精神も生まれるものです。日本の伝統として受け継がれてきた「一人」の本質を、今こそ見直すべきでしょう。