テレワークの推奨をはじめ、コロナ禍で働く環境が大きく変わってきている。京都発のキャンペーン企画「日本人の忘れもの知恵会議」は、オンラインフォーラム「人材育成と近未来の働き方」を開き、大学と雇用の現場の考えを突き合わせて議論した。コーディネーターは、京都新聞総合研究所所長の内田孝が務めた。
忘れものフォーラム
Forum
「人材育成と近未来の働き方」
2020年12月 ◉ 実際の掲載紙面はこちら
■話題提供
「専門」生かすためのリベラルアーツ
位田隆一氏(滋賀大学長)
私は、京都大学在任中は国際法を教える傍ら、ユネスコ(国連教育科学文化機関)国際生命倫理委員会の委員長も務め、生命倫理分野での国際・国内の活動にも力を入れてきました。2012年に京大を定年退職し、同志社大学や国際高等研究所副所長も経て、2016年から現職に就いております。
大学が紛れもない社会の一員と認識されている現代、まず社会のニーズに応える人材を育てる役割が大学には求められています。例えば政府主導で推し進めるSociety5・0つまり知識集約型社会を担っていくような人材を育成することです。一方で、学生の個性やライフスタイルを尊重する個人の特性にも考慮した、いわば流れにさおさすような人材の支援も大きな使命で、疎かにしてはなりません。
さまざまな可能性を学生に提示しながら、社会ニーズを考慮した専門分野能力の育成が重要であると同時に、高度化した現代社会では、専門分野を生かす幅広い能力を身に付けるためのリベラルアーツ教育が大切になってきています。
具体的には、科学技術の基礎的理解を促す Science Technology Engineering Mathematics にArtsを加えた「STEAM教育」とデータリテラシーであり、Artsには社会や人間理解のための人文・社会・芸術分野を含みます。専門とリベラルアーツの両方を深く学ぶことによって、論理的思考力・洞察力・判断力を基に、社会課題の発見と解決する力を育み、未来社会の構想力を身に付けた人材が今後の日本には不可欠です。
滋賀大学が日本で初めて設置したデータサイエンス学部は、ビッグデータ、AI、ロボット、IoTが中軸となるSociety5.0において、蓄積されたデータを統計学を用いて分析し社会課題の解決に応用して社会に貢献できるデータサイエンティストの育成を目指しています。
デジタル社会では、社会のいろいろな所に多種多様に存在するビッグデータを収集、分析し、最終的に価値の発見・創造を追求していかなければなりません。分析過程で特に重要なのは統計学です。これまで体系的に統計学を教育する場はほとんどありませんでした。さらに扱うデータがどういう意味を持っているかは、データが出てきた分野を理解したうえで統計的分析を行わないと意味付けができません。
本学では、100以上の企業等と連携し、実データを用いて分析に取り組むPBL演習(問題解決型学習:Problem Based Learning)を進め、現実社会と直結した教育を実践しています。また、実際にデータサイエンティストの業務に就く若手の方から学ぶ機会も設けています。
加えて、データサイエンスの社会実装を進めるためにも、地域社会とのつながりは重要です。地域の未来創生に向け、地元経済界と連携し、子ども向けのプログラミング教室を開催したり、海外スタートアップ研修として、中国のIT先進地である深圳を学生が訪問したりしています。地元企業でのインターンシップを希望する学生も増え、地域データコンサルを起業する学生も出てきました。将来的には、言語能力や論理・数学能力、人間関係形成力など八つの高度知能を身に付けた、創造性豊かなマルチプル・インテリジェンス(MI)を育成していく構想も持っています。
本学は伝統的責務である教員養成のみならず、経済学部でもビジネスサイエンスに基づき新しい時代に挑戦できる人材育成を目指しています。企業、地場産業、行政機関、NPO、ベンチャーなど多様な場で活躍し、日本を引っ張る卒業生の姿を見ることほど教師冥利に尽きることはありません。
■ディスカッション
データの力で新価値生む
重要な理論と実際
位田隆一氏(滋賀大学長)
経営者も再教育を
中村朱美氏(株式会社minitts代表取締役)
ITと文化で創造
常樂諭氏(Sansan株式会社 取締役/CISO/DSOC センター長)
中村◉私たち「佰食屋」は1日100食限定の国産牛ステーキ丼をランチ営業のみで提供しています。お客さまやスタッフの協力を得ながら高齢者や女性にも寄り添い、コロナ禍でもお互い譲り合う店舗運営ができました。
位田先生が強調されていた統計学は、今回やむを得ず4店舗中2店を閉めるような重要な経営判断に的確な基準を与えてくれるもので、極めて重要です。個人にとっても自分の考えをしっかり持って仕事に携わるために必要なスキルではないでしょうか。
常樂◉「出会いからイノベーションを生み出す」をミッションとするSansanは、名刺交換を大事なビジネスの出会いと位置付けています。私は研究開発部門センター長として、アナログ名刺情報のデジタル化とデータの活用を担う部門を統括しています。
当社内の研究チームにおいても、出会いのネットワークからビジネスを加速させる新しい価値を産み出すためには、理系のAIの専門家だけではなく、人文・社会科学系研究者の知識が必要です。彼らはビジネスの「問い」から研究をしています。今後は証拠に基づく戦略立案が広く重要になると考え、行政へのサポートも行っております。
―コロナ禍の大学はどんな状況でしょうか。
位田◉いや応なく導入することになったオンライン講義は、バーチャル的ながらも大教室では不可能な1対1の双方向が実現できて質問もしやすく、授業への集中度も高められるなど学習効果の向上が見られました。他方、学生同士の横のつながりが得られにくく、対面型との併用はやはり必要です。データサイエンス学部は、授業自体は問題ないにしても、インターンなどの実習が制限されてしまっています。
―人材育成の現状をご紹介ください。
常樂◉百戦錬磨の実績豊かな研究者を中途採用すると同時に、新卒採用も行っています。最近は若い方でも優秀な人はたくさんいます。新人研修については、あまり長い期間を取らず、1週間から2週間の基礎教育を終えるとすぐに現場に配属します。実際に先輩社員と一緒に社会の課題や生のデータに触れ合う方がより成長できると考えているからです。
中村◉接客と、厨房でのご飯または肉調理担当と大きく三つのポジションがあります。接客とご飯はアルバイトさんなどのメンバーがやりたいように役割分担を任せていますが、肉は焼き加減や切り方など、一定の合格ラインをクリアした従業員のみが対応できようにしています。ただ、教育のルールは会社が決めた上で、いつ誰に教えるかなど細かな運用は現場に任せ、裁量権を持って教えてもらうようにしています。
位田◉お二人とも現場の重要性を指摘されていますね。大学内での勉強だけでなく、実社会でどのように実践されているか、特に最先端のデータサイエンスは理論と実際の組み合わせが重要です。本学では、企業のデータ・エキスパートに先生になっていただくと同時に、ポスドクや若手教員が企業と共同研究するなど、双方の行き来を通して外との関係を持つように努めています。さらに、データの理解や活用のためには人文・社会科学分野も取り込む「文理融合」型教育も欠かせないと考えています。
―京都の町家にSansanが出先を設けたのはなぜでしょうか。
常樂◉京都で働くことを希望した優秀な研究者のためにラボを設置したのが発端ですが、そこは一般的なシェアオフィスでした。もともと京都ならではの文化を生かしたオフィスにしたいという構想があった中で、町家のオーナーさんとご縁がありました。選んだ理由は、京都にいる優秀な学生に注目してもらいやすくなることが一つ。二つ目は、京都だと海外の優秀な人材を引きつけるのにも有効だからです。最新のIT技術と京都という町が持つ文化、この新旧の組み合わせで、京都からイノベーションを起こせるのではないかと。
―中村さんは、和食のイメージのある京都で、肉の店を開店されたのですね。
中村◉京都は牛肉の消費量が多い地域です。高級な焼き肉屋か牛丼チェーン店など二極化していたので、女性や学生でも食べやすい店をつくろうと考えたのがきっかけです。ただ、コロナ禍の現在、いかにお客さまから応援される存在になるかがキーポイントとなるでしょう。そのため弊社では、あえて数値的な販売ノルマを個人から外しました。自分が最もよいと思うサービスを一人一人が柔軟に考えてもらいたいからです。みんなが好きになってくれる親切な従業員がいるお店が第一と考えています。
常樂◉応援してもらえるという中村さんの言葉は大変印象深く感じました。自分自身で追求する力を養うことは重要です。なぜその研究なのかと聞いても、先輩から言われたとか、研究者の思いが何もないことも多いのです。自分で考え、動き、形にする三位一体をどれだけバランスよく早く回せるかがポイントでしょう。
社会人も学生も、何かをいいなと思ったときに、しっかり何が良いかを言葉にすることは結構重要で、それが自分の思いを載せ、社会課題を見つけるヒントにつながります。
中村◉私の子どもは幼稚園で「Show and Tell」つまり自分の大好きなことをみんなの前で発表する練習を重ねています。幼いころから慣れさえすれば、誰でもできるようになるのです。
経営トップの多くは、従業員の声を聞きたくても、そういう行動に慣れていません。学生たちのみならず、経営幹部ももう一度リベラルアーツ教育を受ける機会を持てば、日本もよりアップデートされるのではないでしょうか。それが自社内でできるようになり、ほかの方にお伝えしていけるようになるのが理想です。。
位田◉たくさんの宿題をいただいたような気がします。お話を聞いていて、「場」が重要と感じました。常樂さんは、町家という場を選ばれました。実は、京都は古いものに新しいものも取り入れる懐の深い場です。中村さんは「佰食屋」さんという場を持ち応援してもらうと。
大学という場も、新しいものを取り込みながら古いものも受け継いでいく。その中で、常樂さんのおっしゃる三位一体を学生が身に付けていくには、どうすればいいか。私たちは、いましかない大学という場を学生が大事にすることを願う一方、ある意味で模擬的に、大学の中に実社会を見せながら教育していくことが非常に重要と思いました。そういう意味でも、リアルな場もバーチャルな場も共に大切にしたい。大学も頑張りますので、よろしくご支援をお願いします。
◎位田隆一(いだ・りゅういち)
1948年生まれ。国際法・生命倫理。京都大教授、国際高等研究所副所長などを経て2016年から現職。日本初のデータサイエンス学部を創設。20年4月から学長2期目。
◎中村朱美(なかむら・あけみ)
1984年生まれ。京都教育大で教員免許を取得し、大和学園勤務を経て2012年9月に「minitts」設立。国産牛ステーキ丼専門店「佰食屋」を経営。亀岡市出身。
◎常樂諭(じょうらく・さとる)
1975年生まれ。2007年にSansan株式会社を共同創業、クラウド名刺管理サービス開発を統括。現在は名刺データ化、活用の研究開発部門センター長。