テレワークやオンライン授業など、新型コロナの感染拡大で日常生活が大きく変わってきた。京都発で新しい暮らし方や文化を発信する企画「日本人の忘れもの知恵会議」は4月23日、オンラインフォーラム「ポストコロナを生き抜く知恵」を開いた。京都ゆかりで、社会の中枢を担う年代の人たちに人類学や文化行政、芸術、生態学を踏まえ、新しい社会の方向性を議論してもらった。コーディネーターは京都新聞総合研究所所長の内田孝が務めた。
忘れものフォーラム
Forum
ポストコロナを生き抜く知恵
2020年4月/オンライン ◉ 実際の掲載紙面はこちら
■基調講演
回復力としての迂回路
小川さやか氏(文化人類学者)
世界中で猛威を振るう新型コロナウイルス災禍は、先進国が解決を先送りにしてきた脆弱な部分を特に突くものでした。さまざまな社会矛盾が噴出する中で今回の危機を乗り越えるには、世界で育まれてきた地域の知恵を再度引き出して活性化させ、共有する作業が大事ではないでしょうか。
近年、アフリカ社会ではスマホを使った「モバイルキャッシュレス決済」の急速な普及をはじめ、一部の最新技術は、先進国より積極的に受容されています。ルワンダでは、コロナ感染拡大の前から医療物資をドローンで運ぶ輸送システムが整備されていました。感染拡大後にはケニアでオンライン診療アプリが開発され、南アフリカで感染者の追跡機能を搭載した携帯電話の無償配布が始まったりもしています。
アフリカ諸国で先端技術の受容が進む背景には、既存の制度や仕組みとの調整の必要性がなかったり、国家に対する信頼度が低く、民間での技術開発が求められていたりすることも関係するでしょう。アフリカの都市部では政府の統計にも登場しない零細自営業者が多く、個人が単発の仕事をネット経由で請け負うギグ・エコノミーが自由度の高い働き方として普及している半面、企業など雇用主による保護や保障の必要性とセットで捉えるべきとの議論が生じにくいのです。
しかし先進技術によって既存制度の欠点をいかに補うかよりも、アフリカの人々が先進技術の受容を、「それまで制度の外で育んできた社会慣行や実践といかに調整しながら組み込んでいるか」を問うことのほうが重要です。そこにこそ、コロナ危機から脱出する「回復力=レジリエンス」の源があるのではないでしょうか。
かつてタンザニアでコレラが流行した時にも、都市の路上に広がる総菜店営業が全面禁止になったことがあります。その際、店主は早速、常連客の「つけ」を回収し、それを元手に他の事業を展開して危機を切り抜けました。現在のコロナ流行によって中国との貿易が困難になった商人の中には、出身農村へ戻って農作業や畜産業に稼ぎ方を切り替える人々が増えています。
ただし、危機下で商売の柔軟な転換が可能なのは、一つの職業にこだわらない「生計多様化」を日頃から採っているだけでなく、客の窮地に「つけ」を認めたり、稼ぎの一部を故郷での井戸や農地の整備に投資したり、後続の出稼ぎ者に商売を気前よく教えたりすることで育んできた社会関係があるからです。銀行預金がなくても、彼らの貯金は「つけ」や「農地」などにかたちを変えながら社会の中に存在しています。それはいざとなったら食べられる農畜産物という利子を生み出しているだけでなく、危機の時に支援を引き出す根拠にもなるのです。
アフリカ諸国はしばしば恩顧主義や汚職がはびこっていると非難されています。正規の窓口で手続きしても全くラチが明かないことが、別ルートを通すとたちまち解決することは確かによくあります。しかし口利きや融通をするのは、行政者や企業の権力者だけではありません。零細商人やタクシー運転手のような市井の人々も、友人や知人が困った時にはそれぞれがもつ資源や情報への特別なアクセスを認めたりします。
こうしたインフォーマルな迂回路は、近代国家が「不透明」「不正」なものだとして、閉じてきたものです。しかし迂回路は、政府による再分配が適切に機能しない時には、社会の中で財やサービスを循環させる自前の仕組みとして機能します。誰もが誰かの迂回路になれると認め合うことは、個人が自律的・分散的に異なる利益を追求することを是認しながら、その時々の個々の事情に応じてシェアを成し遂げる知恵です。ネットを活用したシェアリング経済もその縦横無尽な回路を可視化したものではないかと思います。
インフォーマルな回路は、私たちの社会にも潜在しています。京都の花街文化にも「つけ」の習慣が残っている、と聞きます。回路を新たに創造することも可能でしょう。例えば、オンライン授業によって空いたキャンパスを地域に開いて大学制度とは異なる使い方を検討してもいいのではないかと考えています。
緊急事態の今だからこそ融通にあふれた社会のあり方を考えてみたいのです。ささやかな地域社会の知恵や迂回路について、登壇者の皆さんからお話をお聞きできれば幸いです。
■ディスカッション
逆境の世界 融通が生む共生
一世代前の技術も使おう
小川さやか氏(文化人類学者)
教育テクノロジー整備を
川村匡氏(文化庁地域文化創生本部総括・政策研究グループリーダー)
音楽家も多様な戦略いる
服部響子氏(声楽家)
解決導くマサイの力強さ
山根裕美氏(京都大特任研究員)
■ディスカッション1
―感染の一定収束後、「ポストコロナ」の暮らしをどうイメージするか考えたい。
服部◉感染が特に拡大したイタリア北部エミリア=ロマーニャ州に2009年から在住です。小川さんの「融通を利かせる社会」という事例に共感しました。正面から解決できない時、イタリアでも「迂回路」に助けられることがよくあります。大小さまざまな国家が興亡してきた歴史背景のせいなのか国民は基本的に国を信用せず、家族を第一に考えているようです。不透明さに困る時もありますが、柔軟な社会ならではの生きやすさも感じます。
3月から全ての劇場が閉鎖され、当面の仕事がキャンセル。給料制ではないフリーランスの私は収入源が断たれています。コロナ長期化を覚悟し、生きていくために経済的な多様化戦略が重要になってくると思います。音楽家には演奏の動画配信やオンラインレッスンの提供を始めたり、違う分野の勉強を始める人も出てきました。
音楽の持つ豊かな情感が観客に届き、それぞれの心の中で感情を味わって欲しい―これが私の芸術活動の目的です。そのために何ができるのか。ポストコロナの時代には、音楽に向き合う姿勢が従来と違うものになるのではないでしょうか。
<イタリア>
感染者が21万人を超え、医師150人以上が犠牲になったイタリアでは5月4日、製造業や建設業、卸売業が再開した。ただ、政府は世界的大流行が続いているとの認識で、衛生高等研究所は「試しながら進む」とする。
山根◉2006年からケニア在住です。首都ナイロビにも国立公園があり、ライオンやサイがビル群を背景に見えるほどです。野生動物に近い生活環境の中で暮らす先住民マサイの人々の多くは、マサイマラ国立保護区などで多かれ少なかれ、観光業に携わっています。彼らは、観光客が少なくなるとすぐ農業や畜産など別の仕事に生活の比重をシフトし、観光客が来ればまた戻ります。
私は、主にヒョウを調査しています。パートナーはケニア北部のトゥルカナ出身です。40年以上のベテランで、現代の先端機器を一切使わず、人の力と技だけで猛獣を捕まえられる驚異的な能力の持ち主です。「昔はロープ1本を小脇に抱え、走ってキリンを捕まえた」と聞きました。
一緒にヒョウを探してサバンナを歩く際、ライフルを持つことはありません。最先端技術でも野生動物を前にトラブルがあれば一巻の終わりです。自分の力を信じるマサイの人々のような、一見、アナログでオールドファッションに見えても、自身で解決に導ける真の力強さが今後は求められるのではないかと考えます。
<山根裕美さん>
ケニアの首都ナイロビ中心部から7キロの国立公園で、ヒョウにGPSを付けて野生動物と都市化、観光のバランスを研究中。ヒョウは夜に公園を抜け出して近隣の住宅地を徘徊するが、住民とは長く共存関係にあった。近年はバイパス建設で野生動物の生態に変化が生じているという。伝統と観光の関係は、京都にも示唆的である。
川村◉文化庁は、東京・霞が関から京都への全面的移転が決まっています。2022年8月の京都府庁内の新庁舎完成後に速やかに移転予定で、地域文化創生本部は移転の先行組織として東山区で業務を始めています。文化庁の京都移転は、東京一極集中を是正するための中央省庁の地方移転の一環で、小川さんの「迂回路」と共通する「分散化」の取り組みのひとつと考えられます。
妻は長らく京都で働いており、私もこの4月に東京から異動し、5年ぶりの京都勤務です。文化庁は、文化財保護や世界遺産登録などを行っており、文化庁職員として歴史とともに育まれた京都の文化的深さを感じます。
私の勤務する地域文化創生本部では、コロナ対策のテレワークが職員の約7割に達しています。霞が関の本庁との遠隔でのやりとりを積み重ねてきた経験が生きていると感じています。通勤時間や残業が減る傾向にあり、何より職場の滞在時間ではなく、成果で評価される働き方に変わっていくことを多くの人が認識するきっかけになるのではないでしょうか。
小川◉服部さんのお話は、聴衆とご自身が共感し合う部分を、芸術を通じてどう伝えていくかーこの根本的な課題を模索されていると理解しました。
高度な技術に頼り過ぎると、身体的な部分を含めた生活力がもろくなる恐れがあり、人間力が大切―との山根さんのお話には同感です。
社会は、共助機能、高度な技術、あるいは国家施策だけでは回らない側面があり、本質的・多面的な戦略が不可欠です。どれか一つに依存し過ぎると、個人や社会を縛るしがらみも大きくなるので、取り組むバランスには気を配る必要があるでしょう。
服部◉近年はスマホで簡単に世界の情報を収集でき、動画や音楽を楽しめるようになったことで、興味のなかった分野の情報、音楽に触れるチャンスも増えたのではないでしょうか。このこと自体はとても便利で、有効だと感じます。
一方で歌のオンラインレッスンの場合、特に発声を教えるのが難しいと気付きました。音質の限界や、映像だけでは具体的な口の動きと連動した発声方法が伝わりにくいのが原因ではないかと考えます。目の前で行われる生演奏とネット映像を比べた場合、体で感じる迫力や臨場感が全く違うのと同じですね。対面と同じことをオンラインで実現しようとするのではなく、オンラインに適した別のアプローチがあるのではないでしょうか。
川村◉日本ではコロナ対応の休校中、子どもたちと双方向でつながるオンラインシステムを通じた学習や連絡の実施率がわずか5%です。携帯電話やスマホの普及拡大と共に歩んできた私たちの世代こそが、リーダーシップを発揮してテクノロジー整備を進める責務があるのではないかとの思いは強くあります。
経済的困難を抱える家庭の子どもまでがオンライン教育の恩恵に広くあずかれるようなセーフティーネットを築くのは当然必要で、誰もが教育を受けられる公平さは担保しなければなりません。一方、全員に全く同一のオンラインなどの環境を提供することにこだわるあまり、全体が一歩も前に進めないというのも柔軟さに欠けるのではないでしょうか。
山根◉ケニアでは、スマホは全員に行き渡っていませんが、いわゆる「ガラケー」を含む携帯電話は普及率100%とされています。ガラケー利用を前提に、テキストメールで金銭授受から農作業に関わる行政支援までを受けられる「小規模農家向けアプリ」を通信会社と大学が共同開発しました。最新ネットワークは、どうしてもコストや機能の面から普及が限定的になり、一世代前、一歩手前の技術を使って誰もが使えるように配慮する仕組みも必要ですね。
小川◉社会課題の解決を目指す教育ツール「シリアスゲーム」はリハビリ、啓発、脳トレなどさまざま内容を網羅していますが、実はアフリカで最も活用されているのです。
デジタルツールは人によって扱い方が異なりますので、川村さんがおっしゃるように、全員が同じようなテクノロジー環境でなくてもよいのです。いま急速に広がりつつあるテレワークには本来、育児・介護負担を軽減する目的もあります。テレワーク普及に連動して、結果的にオンラインによるフォローを得られるようになって喜ぶ障害者もいます。最新技術開発は必要ですが、一世代前の技術も活用するなど、使い方には工夫の余地があります。
<技術>
「枯れた技術の水平思考」―任天堂で商品開発に携わった横井軍平さん(1941~97年)は、先端技術がさまざまに用いられて値下がり後、玩具作りに転用した。コストダウンした技術を別の用途に使った結果、ウルトラハンドやウルトラマシン、光線銃SP、ゲーム&ウオッチ、ゲームボーイなどが次々にヒットした。
■ディスカッション2
―感染症や戦乱、水害に再三襲われた千年の都・京は、廃都にならず続いてきました。
小川◉先日、花街のお茶屋さんに調査研究に行きました。何気ない会話にも、さりげなく店の歴史が盛り込まれていました。現在のような危機の際はいったん伝統に回帰し、私たちの人間力でカバーするから大丈夫、との固い信念があるようにも感じました。 時代の最先端を突っ走るのでもなく、さりとて昔に戻るのでもなく、最新のものと古きよきものをうまく組み合わせて共存させることに関し、京都人は実に巧みだと感じますね。
服部◉京都は、長く朝廷が置かれたことで育まれた伝統文化をずっと継承しながら、一方では、外国からも含めて新しいものも積極的に受け入れて生活を営んできました。大事にするもの、あるいは変えたくないものをしっかり自分たちの中に持ち、その上で価値のありそうなもの、自分たちにもうまく生かせそうなものを取り入れる。それを可能にするのは、小川さんがお話されたように、優れた適応力を持ち合わせた京都の人たちの人間力ではないでしょうか。
山根◉いち早くスマホで電子マネーを取り入れながらも伝統的な生活様式を崩さず、伝統に寄り添うマサイの人たちの生活を思い浮かべました。今も牛糞と土を混ぜた壁の家に住み、生活しやすいと彼らは主張します。 肉食の野生動物が生息する地域に隣接して住み続けるのは「死んだ家畜を肉食獣が食べに来ないと、マサイに疫病が流行する」との長老の教えを信じているからです。先進技術も活用する柔軟さの一方、手製の槍など簡素な道具一つで野獣に向かう強靭さと精神力の強さをも備え、自分たちが信じるものを守り続ける点は、京都が持つ生活の知恵、例えば幾多の疫病禍に耐えてきたところと共通するように思えます。
川村◉東京から京都に来ると時間の流れの違いを感じます。長い視点で捉える歴史的風土でしょうか。先斗町で「無電柱化の工事がなかなか終わりませんね」と水を向けると、「千年の歴史では大したことではない」と。幾度も疫病をくぐり抜けたからこそ、今回もうまく災禍と付き合っていくような知恵、心の持ちようがあるのではないでしょうか。「クーラーが壊れたら風鈴の音で涼みましょう」との考え方が京都にはあるように思えます。 私たちは、リーマン・ショック、東日本大震災等で社会がダメージを受け続けた世代でもあります。今回も大きな逆境に置かれました。従来の常識を捨てて新しい社会を考える格好の契機かもしれません。当面、足元の現実を少しでもよくするための行動を続けたいと考えています。
◎小川さやか(おがわ・さやか)
1978年生まれ。タンザニアで零細商人の経済動向を実地調査。国立民族学博物館などを経て立命館大先端総合学術研究科教授。「都市を生き抜くための狡知」でサントリー学芸賞。
◎川村匡(かわむら・ただし)
1978年生まれ。2003年文部科学省入省。大学課、広報室、京都工芸繊維大総務企画課長、私学行政課など歴任。新しい働き方を提唱し、09年から1年間育児休業。今年4月から現職。
◎服部響子(はっとり・きょうこ)
1985年亀岡市生まれ。京都市立音楽高在学時、甲子園の選抜高校野球大会の閉会式で君が代独唱。東京芸術大を経て国立パルマ音楽院へ。イタリア人の夫とイタリア北部モデナ市在住。
◎山根裕美(やまね・ゆみ)
1974年生まれ。保全生態学。タンザニアに留学し、ケニアでヒョウの生態と観光のバランス、人との共生を調査研究。ナイロビで2人の子どもと暮らす。4月から一時帰国中。
■写真説明文
1)オンラインで話し合う(上段真ん中から時計回りに)服部響子さん、山根裕美さん、小川さやかさん、川村匡さんと、聞き手の京都新聞社・内田孝
2)研究対象の都市で働くタンザニア商人の里帰りに同行した小川さやかさん(左)。商人たちは、農繁期などには帰郷している(2013年9月)=小川さん提供
3)今年4月から、ゆかりの京都で勤務する川村匡さん(京都市東山区・文化庁地域文化創生本部)=撮影・辰己直史
4)イタリアの音楽祭で熱唱する服部響子さん©Monica Ramaccioni(2016年8月31日)=服部さん提供
5)ナイロビの動物孤児院で、育てたヒョウの13回目の誕生日を祝う山根裕美さん(2018年9月7日)=山根さん提供