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忘れものフォーラム

Forum

大切にしたい言葉と季節感

大切にしたい言葉と季節感

■基調講演
佐野藤右衛門氏 (造園家)

捨てたものは二度と取り戻せない

きょうは京都市でも初雪が降りました。わが家の母屋は築200年を超えるかやぶきで空調が効きません。今でこそ石油ストーブもありますが、少し前までは冬になると、かまどの炭を火鉢に移して暖を取っていました。屋外の五右衛門風呂は今も現役です。息子が屋内にも浴室をつくってくれましたが、私には割り木で火をおこし、井戸水を沸かした湯ほど体が温まるものはないような気がします。スイッチ一つで湯を張ったり、ご飯を炊いたりできる生活は便利ですが、機械任せの生活では、考えることも工夫することも必要なくなります。生活が一つ便利になるたびに、私たちは大切なものを一つずつ失っているような気がしてなりません。
私の家は今もそうですが、戦前の日本では3世代同居が当たり前でした。夜は裸電球の下、大家族がそろってラジオの声に耳を傾けたものです。分からないことがあれば、その場で大人に聞けました。テレビも一部屋1台の現代、パソコンや携帯メールの利用も増え、同じ部屋にいてさえ、顔を見て会話をすることは少ないという人が多いと聞きます。使われない言葉が廃れるのは当然ですが、カタカナ語やメールの絵文字の普及で言葉が崩れ、若者の思考まで単純化しつつあるのではないかと心配しています。
現在、コメはキログラム単位で買う方が多いと思いますが、炊飯器の目盛りはいまだに1合、2合ですね。1坪、1間など、造園や建築の世界でも尺貫法は生きています。中国が起源とされる尺貫法は、日本人の体格や文化によく合います。「一寸」は「ちょっと」とも読みます。「ちょっと動かして」「ちょっとそこまで」というように融通も利く言葉です。日本語は本当に奥が深いと感心します。
私も含めて高齢者は、先祖から受け継いだり長年の経験で身につけたりした知恵を持っています。核家族化が進み、お年寄りを施設にまとめてしまうような今の日本には、高齢者が若者と交流する場所がありません。せっかくの知恵が次の世代に引き継がれないのはもったいないことです。
農耕民族である日本人は、昔から季節の移り変わりに合わせて生活してきました。「海の日」が制定されるまで6、7月には祝日がありませんでした。田植えを終えても草取りで忙しいこの時期、農家は休む間もなく働きます。その代わり暑い8月は休んで盆の行事をし、コメの収穫を終えた秋に盛大な祭りをしたわけです。6月の結婚「ジューンブライド」は、5月に麦の収穫を終えて一息つける欧米ならではの習慣です。近ごろは、日本のコメ文化が欧米のムギ文化に負けているのが残念でなりません。
人間だから忘れることもあります。忘れたものは思い出せばすみますが、捨ててしまったものは二度と取り戻せません。取り返しがつかなくなる前に、忘れかけているものをもう一度、引っ張り出してみることが必要ではないかと思います。

◎佐野藤右衛門(さの・とうえもん)
1928年京都市生まれ。江戸期より植木を手がける、16代目藤右衛門を襲名。「桜守」としても有名で、京都・円山公園、ドイツ・ロストックなど内外の桜を育成。「桜のいのち庭のこころ」などの著書がある。


大切にしたい言葉と季節感

■パネルディスカッション
「いま、発信する京都のこころ」

美しい言葉は古典から
小林一彦氏(京都産業大文化学部教授)

永田氏 季節感を重視する文化
永田 萠氏(絵本作家・イラストレーター)

溝畑氏 京都は 「日本文化の玄関口」
溝畑 宏氏(元内閣官房参与・京都府参与 元観光庁長官)

―日本語がおかしくなってきたのは若者だけではないような気もします。
小林◉最近はテレビのタレントやアナウンサーまで、「やばい」と言うのを耳にします。もともとは「危ない」という意味の隠語で、人前で口にするような言葉ではなかったはずですが、今では「すごい」という意味で、感動したときにも使われているようです。言葉に対する感覚が世代によって異なるのはやむを得ないとしても、子を持つ親としてせめて大人には子どものお手本となるような日本語を話していただきたいと思います。
溝畑◉カタカナ語は行政用語でも、かなり前から多用されています。特に私が気になっているのは「イノベーション」という言葉です。従来は科学・産業分野の「技術革新」を意味していましたが、近年は分野を問わず、革新、創造、創出、刷新、新機軸等を指す言葉として広く用いられるようになってきました。さまざまに解釈できるので、意思が正確に伝わらないこともあります。意地悪な見方をすれば、あいまいにするために使っているようにもとれます。外来語は言葉の響きがいいからと安易に使わず、意思伝達のため、できるだけ正確で分かりやすい日本語を使うよう心掛けたいものです。

―どんなときに日本語のよさを感じますか。
永田◉言いたいことのニュアンスをうまく伝える日本語が思い浮かばないこともあります。「ニュアンス」という言葉もそうかもしれません。私は日本語としてすでに定着している外来語にまで、目くじらを立てる必要はないと思います。大切なのは、恥ずかしくない言葉を使うこと、美しい言葉を捨て去ってしまわないことです。例えば、自然にちなんだ美しい名前を持つ日本の伝統色。花田色が青色だということはご存じない方でも、桃色や桜色は花の名から薄紅色を連想されるのではないでしょうか。色彩を繊細に感じ分け、それぞれ美しい日本語で呼び分けた先人たちの感性には驚かされます。私は着物用の白生地を染めていただくことがあります。今はまだ「花田色に」で通じますが、色見本で指定しなければならない時代が来るのではないかと恐れています。
小林◉日本語には自然や季節を表す言葉が数多くあります。特に雨の表現は多く、春雨、うの花くたし、五月雨、萩ちらし、しぐれ、狐の嫁入り等々、数え切れません。晩秋から初冬の京都では「北山しぐれ」もおなじみですね。自然現象にすぎない「雨」のわずかな違いを捉え、これだけ多彩な名前を付けた日本人の感性と文化の豊かさを再認識します。
国宝「志野茶碗 銘卯花墻」の銘は、白い釉薬を垣根に咲くうの花に見立てた和歌から名付けられたといいますが、うの花が白いことを知らなければ歌の世界を理解することは困難です。最近はヒグラシやシカの鳴き声を知らない学生も増えています。ヒグラシの声に残暑の夕暮れの涼しさを、シカの声に悲しい秋の深まりを感じてこそ昔の人と心を通わせることもできるのではないでしょうか。
溝畑◉京都で生まれた私は、学校でも家でも京都に誇りを持てと言われて育ちました。京都で暮らしていたときは何がそんなに素晴らしいのかよく分からなかったのですが、大学に入り親元を離れてみて分かるようになりました。美意識の高さや繊細さはもともと日本文化の特徴でもあったものです。観光庁長官時代、世界のどこへ行っても京都を知らない人はいませんでした。「とにかく京都に行きたい」と言う人たちが口をそろえるのは、「京都は空気が違う」ということでした。そういった意味で、京都は「日本文化の玄関口」といえるでしょう。
「こんにちは」「ありがとう」という言葉も私は好きですが、「おこしやす」「おおきに」といった京言葉には特に誇りを持っています。やはり慣れ親しんだ言葉にしか伝わらないものはあると思います。私は観光庁長官を退官してから感謝の気持ちを伝えたいと東北地方を自転車で回っています。東北でも自分たちの言葉を見直そうという動きが見えはじめました。掛け声を方言にしたラジオ体操が全国的な広がりを見せるなど、地域の歴史と文化の象徴である方言を使って元気になろうという機運が高まっています。祖母は私に「一人一人がまちづくりに参加できる社会をつくりなさいよ」と言い残しました。私でお役に立てることがあればと、どこにでも参上している次第です。

―美しい日本語をどのように伝えていきますか。
小林◉美しい言葉と出合うには、古典に親しんでいただくのが一番です。古典というと難しそうだと敬遠されがちですが、文学なら現代語訳を読むことから始めてもいいと思います。当時の文化や生活様式を知れば、古典の世界を理解しやすくなります。歌舞伎や文楽、落語のような芸能も、面白さを知って足しげく通うようになる人が少なくないそうです。まずは一度、その魅力に触れてみてはいかがでしょう。料金も映画を見たりするのと、それほど変わりません。日本の文化のよさを若い世代にしっかりと言葉で伝えていくのは私たち大人の務めだろうと思います。
永田◉私は毎年12月の初めまでに必ずチューリップの球根を植えます。まだ寒い3月、緑の芽が顔を出し、日ごとに伸びていく様子を見ながら春を待つ時間が好きだからです。豊かな自然に恵まれ四季のある日本では、季節の移ろいから時間感覚を学んだ人も多いのではないでしょうか。私は花の絵をよく描きますが、コスモスの花を見て「秋だな」と感じる人がいなくなったら、私の描く絵も心に届かなくなると思います。京都では四季折々の年中行事をはじめ、あらゆる伝統文化で季節感が重要視されてきました。日本人が大切にしてきた季節感が、特にこの京都で忘れられていくことほど悲しいことはありません。
外国の方は「日本画はどういう定義で受け止めていいのか分からない」と言われます。確かに画材や技法、描かれた内容から日本画と西洋画を区別するのは難しいでしょう。私には分かりますが、その微妙な違いこそが日本の風土に培われてきた精神や、独自の美意識といった日本の文化であり、言葉にも共通するものではないかと考えています。幸い「分からないところが好き」とも言われるので、無理に西洋化して分かりやすくすることは大切な宝物を捨て去ることになるような気がします。思い出した忘れものは今度こそ忘れないよう心に留めておきたいと思います。

◎溝畑 宏(みぞはた・ひろし)
1960年京都市生まれ。85年に旧自治省に入省。これまで、Jリーグの大分トリニータの運営会社社長や観光庁長官、内閣官房参与などを歴任。現在は大阪府特別顧問、そして京都府参与として、海外からの観光誘客や府北中部などの観光強化を担当する。

◎永田 萠(ながた・もえ)
1949年兵庫県生まれ。成安女子短大意匠科卒業。成安造形大客員教授。カラーインクの透明感のある鮮やかな色彩を活かした独特の画法で手がけた絵本や画集、エッセーは140冊を超える。87年ボローニャ国際児童図書展グラフィック賞を受賞。京都市中京区にギャラリー妖精村を主宰。

◎小林一彦(こばやし・かずひこ)
1960年栃木県生まれ。慶応義塾大文学部卒業。京都産業大文化学部教授。専門は日本古典文学。古典による観光振興をゼミのテーマに掲げ、2010年経済産業省主催「社会人基礎力育成グランプリ」で準大賞、優秀指導賞をダブル受賞するなど大学生の人材育成にも取り組む。