京都市内で猟を暮らしの中心に据え、家族と獲物の命を意識しながら暮らすのが千松信也さんだ。生活のリズム、自然との距離の取り方をどう考えているのだろうか。けものが現れることもあるという山の際で、ホストの大阪大・堂目卓生教授と語り合ってもらった。コーディネーターは京都新聞総合研究所所長の内田孝が務めた。
対談シリーズ
Conversation series
未来へ受け継ぐ Things to inherit to the future【第5回】
(2019年11月/京都市左京区) ◉ 実際の掲載紙面はこちら
■対談
動物の命と正面から向き合う
千松信也氏(猟師)
大切な人間本能の一部見失う
堂目卓生氏(大阪大社会ソリューションイニシアティブ長)
堂目◉わな猟に携わることになったきっかけを教えてください。
千松◉兼業農家に生まれ、動物や虫を追い掛けて育ちました。小学生の頃は動物園の飼育員に憧れ、中学・高校では獣医を目指していましたが、大学受験を控えたある日、車にひかれたネコがまだ生きていたのに、見て見ぬふりをしてしまったことがあり、自分は獣医には向いていないと思いました。
大学時代は休学してアジアを放浪するなど自由に過ごしましたが、京都に戻って狩猟の世界を知りました。やってみると、幼少時の感覚が戻ってくるような気がして、いつの間にか生活の一部になっていました。
鉄砲を使う猟はグループが基本。単独で山歩きしたい私には、わな猟が合っていました。仕掛けによくしなる木などの自然物を利用することもあり、原始的なところもよかったですね。
堂目◉動物好きなのに、猟をする、つまり動物の命を奪うのは矛盾しているようにも見えますが。
千松◉自らの手で動物の命を奪い、食べることで私や家族の命につなげることに意味があります。動物好きなのに命を奪う過程を第三者に委ね、単に肉を買うのでは動物たちの命と正面から向き合えていないのでは、という思いをずっと持っていました。
肉を食べる以上、自分自身で動物の命を奪うことが、自分なりの動物に対する責任の取り方です。食用を想定しない有害鳥獣の駆除に消極的なのも、動物を単に排除するような違和感があるからです。
堂目◉動物を自分の命とつながった存在と見なし、命の循環の中に自分を入れるという感覚なのでしょうか。一方、私たちは、お金を払えば肉を含めた食糧が何でも手に入るという貨幣経済に長い間なじんできました。自給自足に近い生活をされる千松さんから見て、現代の私たちが失いつつあるものは何でしょうか。
千松◉運送会社で働き、私も貨幣経済と無縁ではありません。しかし、金銭が普遍的な価値とされる社会は非常に不平等だと思っています。私がもし自分が解体した肉を市場に出すなら、大量生産品と違い、高価にならざるを得ません。それを買えるのはお金に余裕がある人だけですね。富が片寄りがちな現在の社会で、お金持ちに有利な形で獲物を提供するのは、動物に失礼な気がするのです。
自然界では、どんな肉食動物でも本当に必要とする以上に捕食しません。狩猟で得た肉は顔が見える仲間に食べてもらい、代わりに野菜を頂くなどの範囲にとどめたいと思います。
堂目◉狩猟を趣味にしているわけではないのですね。
千松◉動物を殺(あや)めることを楽しんでいると思われたくないので、狩猟を趣味とは言いません。私にとっての狩猟は、スーパーで肉を買うのと同じ行為です。スーパーではお金を払いますが、山では労力や技術を使う点が違うだけで、食料を調達するという生活の一部です。
堂目◉意外にも、ベジタリアンの友人がおられると聞きましたが。
千松◉ベジタリアンには動物を殺めること自体を嫌う人がいますが、豚や鶏等の劣悪な飼育環境への嫌悪感から肉食を否定する人もいます。家畜の飼育には大量の穀物が必要で、食糧問題として肉を敬遠する人もいるようです。必要な分だけ自然から獲物を頂くという私の姿勢は、ベジタリアンの一部の人たちと通じ合う面もあるようです。
堂目◉千松さんは、自分の仕事や生活のスタイルをすべて自分で決めて実行していますが、そうしたことができる人は少ないように思います。
千松◉現代は機械化やネット環境整備で便利になっている一方、さまざまなことが複雑化しすぎてみんなそれに追い立てられているように感じます。社会が進歩し、効率が上がったことで労働時間に余裕が生まれなければいけないのに、ブラック企業の話題も尽きません。技術の力を社会の仕組みをシンプルにする方向に振り向け、個々の人間が自由に好きなことができるように社会を設計することが重要だと思います。
堂目◉猟師人口は減っているのでしょうか。
千松◉戦後、日本人の山への関わり方が変化する中で、イノシシやシカが急激に増えました。高齢化で狩猟人口が減っているのは確かですが、有害駆除が急務になったことによる捕り手不足と言った方が正しいかもしれません。昨今、国の政策も変化して若手猟師も徐々に増えてきています。
堂目◉千松さんの著書『けもの道の歩き方』(リトルモア)に印象深い一節がありました。家畜化された鶏は、普通は産んだ卵を温めることはしないけれど、ごくまれに卵を温める「就巣(しゅうそう)」という本能に立ち返った行動をする個体があるという話です。文明化によって、人間も、大切な本能の一部を見失っているのではないかと思いました。
人間が本来持つ、生き生きした活動を見い出せるような未来を創るには、特に子どもたちをどのような環境で育むべきとお考えでしょうか。
千松◉現在の子どもたちは学校でも家庭でも逃げ場がなく、一定の価値観のもとで押さえつけられているように見えます。私の子どもたちは、山での生活はもちろん、猟で捕まえたイノシシをさばいたりする一方、テレビゲームなど現代的な遊びも含めてさまざまな体験をしています。
息子の友だちに石を集めるのが大好きな子がいて、普段はクラスでは目立たないおとなしい子なんだそうです。でも、先日、彼が山で火打ち石を使ってみせると、他の子どもたちは尊敬のまなざしを向けていました。彼自身もとても生き生きしていました。そういったそれぞれの長所や興味を大事に見守っていくことが今、求められているんだと思います。
◎千松信也(せんまつ・しんや)
1974年兵庫県伊丹市生まれ。京都大文学部卒業。大学在籍中に狩猟免許を取得し、運送会社で働きながら自宅近くの京都市内で伝統の「わな猟」を行う。著書に「ぼくは猟師になった」(新潮文庫)ほか。
◎堂目卓生(どうめ・たくお)
1959年生まれ。立命館大経済学部助教授などを経て大阪大総長特命補佐、社会ソリューションイニシアティブ長。専門は経済学史、経済思想。「アダム・スミス」(中公新書)でサントリー学芸賞。京都市在住。