日本人の忘れもの 知恵会議  ~未来を拓く京都の集い~

「忘」・書=森 清範 清水寺貫主 
写真=中田 昭

やなぎみわ

◉やなぎ・みわ
兵庫県生まれ。京都市立芸術大大学院美術研究科修了。90年代後半から写真や映像を用いて少女や老女を描くシリーズ作品を発表。2009年、「ヴェネツィア・ビエンナーレ」美術展日本館に出展。11年から本格的に演劇に取り組み、14年、横浜トリエンナーレでステージトレーラーを発表。17年、「東アジア文化都市2017」において『日輪の翼』を公演。京都造形芸術大教授。

自然生態の「攪乱と再生」
〝森羅万象の神々と遊ぶ〟

やなぎみわ
演出家・美術家
やなぎみわ

野外キャラバンの公演にとって、昨年は不運な年だった。度重なる台風で、風雨にさらされながら何度も防水作業をした。満を持した京都での公演は、たくさんの人々の労力と膨大な時間をかけて準備した舞台だったので、呆然となった。花に嵐の例えもあると、何度口ずさんでみても無念は無念。多くの人が「観られなくて残念だった」または「観ることができてラッキーだった」と言ってくれたが、その「観る」は、「観劇」よりも「目撃」に近い意味に感じられた。
野外劇は、澄んだ星月夜や絶景の夕焼けを、作品の一部とできる時もあるが、当然それらは偶然にすぎない。雨が多く天候が変わりやすいアジアで、青天井の舞台をやるということは、完全に天任せ。いくら稽古を積んでも、野外劇は天候次第でその場その場で状況が大きく変化する。旅公演なので毎回、地形も広さも変わる。前回は土の上だったのが今回はアスファルトだ。
風雨も夕焼けも、暑さ寒さも、等しく天からの戴き物で、人力は及ばない。学生の頃は染色工芸、その後、写真映像で現代美術の世界におり、長い間、美術の世界にいた自分には、ある通念が染み付いていることを知った。例えば、博物館や美術館が身近過ぎて、芸術作品は文化遺産として永久的に保存されると思っていたこと。そして「作品というものは作家の意志で完成する」と信じていたことだ。しかし、心血を注いだ舞台作品は「物」としては何も残っていないし、野外劇にいたっては、風まかせの航海のようなものである。傑作といわれる作品にはある部分を天に委ねるような感覚があるというが、そういえるのは遭難せずに無事にたどり着いた時だけだろう。
ある諦観に至った時、自然に立ち向かう感覚が次第に消えて、共に遊ぶ感覚が生まれた。常に風雨とともにあるアジアの野外劇とは、それ自体が自然生態の「攪乱と再生」を表している。固定化しはじめると攪乱させ、リニューアルして生きながらえる。芸能が持つ〝森羅万象の神々と遊ぶ〟という感覚はここからきているに違いない。
考えてみれば、人の歴史は自然から偶然手に入れたものを、確実に定期的に手に入れるための努力の歩みなのだ。技を生み出し、産業にし、それを常に更新する。舞台を作っては解体し、また作るを繰り返す。にわか仕立ての舞台の上で、ほんの束の間、演者たちが呼吸し、笑い、泣き、美しく輝く。それは一瞬の「攪乱」に過ぎないが、悠久の生の歴史につながるような気がする。

やなぎみわ

◉やなぎ・みわ
兵庫県生まれ。京都市立芸術大大学院美術研究科修了。90年代後半から写真や映像を用いて少女や老女を描くシリーズ作品を発表。2009年、「ヴェネツィア・ビエンナーレ」美術展日本館に出展。11年から本格的に演劇に取り組み、14年、横浜トリエンナーレでステージトレーラーを発表。17年、「東アジア文化都市2017」において『日輪の翼』を公演。京都造形芸術大教授。

矢野桂司

◉やの・けいじ
1961年、兵庫県生まれ。立命館大文学部地理学専攻教授。博士(理学)。88年、東京都立大大学院理学研究科地理学専攻博士課程中退。東京都立大理学部助手、立命館大文学部助教授を経て、2002年から現職。地理情報システム学会前会長、人文地理学会常任理事、日本地理学会代議員、日本学術会議連携会員。専門は、人文地理学、地理情報科学。

モノとしての価値だけではなく京町家のコトの伝統も継承していく

矢野桂司
立命館大学文学部 教授
矢野桂司

歴史都市京都には、戦後の高度経済成長期以降、減少を続けてきた京町家が今もなお多く残存している。2008〜09年度の調査で、市内の約4万8千軒の京町家が特定された。京町家一つ一つを歩いて調べ上げたこの大規模調査では、地理情報システム(GIS)を用いて京町家の外観と位置に関する情報を集めた。そして、2016年度に追跡調査が行われ、7年間で12%にあたる約5600軒の京町家が、戸建住宅や集合住宅、コインパーキングなどに転換されたことが明らかとなった。GISを用いることによって、俯瞰的に京町家の空間的分布や減少の実態を地図として可視化し、情報を共有することが可能となったのである。
大規模調査後の町並みの変化を体感するために、私は京都市内の移動に自転車を利用しているが、外国人観光客が急増した数年前から、老朽化した京町家が改修され、宿泊施設や飲食店などに変化している様子を目にする。マクロにみれば減少する京町家が、個々には着実に利活用され継承されている。祇園祭の前祭の殿を務める船鉾は、高層ビルが林立する山鉾町の中で、応仁の乱以前からその存在が確認されている。幕末の禁門の変による大火から明治中期に復興し、以来、船鉾町の人々が弛まぬ努力で継承してきた。その船鉾町に、200年以上続く間口7間・約200坪の京町家・長江家住宅(京都市指定有形文化財)がある。
3年前この住宅を、八代目当主の長江治男さんが、東京資本のディベロッパーに託された。その会社は地域貢献の一環として、長江さんの思いを受け、そのままの形で活用することを決めた。その際、私は、屛風祭で披露する屛風や掛け軸、さらには幼少期のおもちゃなどの日常品など約千点を、長江さんの体験と思いとともに、デジタルアーカイブするお手伝いをさせていただいた。 ICT(情報通信技術)によって、モノとともにそれらがどのように用いられていたのかというコトも合わせて記録し、それらを社会で継承することができる。
現在、江戸末期に再建された長江家住宅の北棟を復元し、明治後期建築の南棟を目に見えるモノとして継承することが進められている。しかし、店の間や奥座敷などがどのように利用されてきたのか、季節に合わせた建具替えや、四季折々のしつらいの持つ意味は何か、また約百本ある掛け軸がどのような祭事に合わせて床の間に掛けられ、どのような思いが込められているのか。そのような、モノとしての価値だけではなく、京町家のコトの伝統も併せて引き継いでいきたいと思う。

矢野桂司

◉やの・けいじ
1961年、兵庫県生まれ。立命館大文学部地理学専攻教授。博士(理学)。88年、東京都立大大学院理学研究科地理学専攻博士課程中退。東京都立大理学部助手、立命館大文学部助教授を経て、2002年から現職。地理情報システム学会前会長、人文地理学会常任理事、日本地理学会代議員、日本学術会議連携会員。専門は、人文地理学、地理情報科学。

山折哲雄

◉やまおり・てつお
1931年、米国サンフランシスコ生まれ。岩手県出身。東北大大学院文学研究科博士課程修了。「宗教と現代社会」を終生のテーマとし、幅広いジャンルにわたり作品を発表。国立歴史民俗博物館教授、国際日本文化研究センター所長などを歴任。専攻は宗教学・思想史。2010年南方熊楠賞受賞。著書に『近代日本人の宗教意識』『親鸞をよむ』『死の民俗学』など多数。

コトバの裏側にある「おかげさま」という信心の暮らし

山折哲雄
宗教学者
山折哲雄

このところよくきくコトバに、近江商人の「三方よし」というのがある。売り手よし、買い手よし、世間よし、と。そろそろ耳にタコができるような気分になっている。
それだけなら、ただ「商売うまくやろうよ」というだけのことではないか。だが、このコトバの裏側には、「おかげさま」という信心の暮らしがあったはずだ。
それを忘れかけ始めている。魂抜きの掛け声だけの三方よしである。
もうひとつ、よく新聞テレビで、わが国のレッキとしたリーダーたちが口にするコトバである。首相の口からも財務相の唇からもしばしばもれてくる。
例の「ウィン・ウィン」という何とも口ざわりの悪いコトバだ。政治の分野でも経済の分野でも、「おたがい損することなくうまくやろうぜ」とうなづき合っているようにみえる。本音をいえば利益の山分け、外交の維持、国威の発揚という、何とも品のない魂胆が透けてみえる。
思い返せば、この国には大岡裁きというのがあった。「三方一両損」という話がそのなかに出てくるが、いってみれば「三方よし」の裏側の教訓である。徳川吉宗の時代に大岡越前守という江戸町奉行がいた。町人のさまざまないさかいを調停し、関係者が納得する形でおさめた名裁判官として知られるが、そのなかの傑作がこの「三方一両損」の判決だった。三者の言い分を取り上げ、それぞれが一両ずつ損をする形で、人間同士の和の関係を取り戻したという話である。それがやがて歌舞伎、講談、浪曲に取り上げられ、一連の大岡政談物として人気を博するようになった。

「負けるが勝」というコトバも同じ発想から出たものだろう。勝敗は時の運、というのもわれわれの暮らしの知恵である。「ウィン・ウィン」でことが済めば、そんな楽なことはない。現実は、そうは問屋が卸さない、というのがわれわれの常識だった。
もうひとつ、「身銭を切る」というコトバもある。これまた忘れ始めている戦後焼け跡、貧乏時代の名残りになっているが、貧しくとも身銭を切るのはただただ心を許す仲間をつくりたかったからであることを思い出す。
「三方一両損」や「負けるが勝」の奥座敷にも、やはり顔のみえない「おかげさま」がおいでになっていたのである。

山折哲雄

◉やまおり・てつお
1931年、米国サンフランシスコ生まれ。岩手県出身。東北大大学院文学研究科博士課程修了。「宗教と現代社会」を終生のテーマとし、幅広いジャンルにわたり作品を発表。国立歴史民俗博物館教授、国際日本文化研究センター所長などを歴任。専攻は宗教学・思想史。2010年南方熊楠賞受賞。著書に『近代日本人の宗教意識』『親鸞をよむ』『死の民俗学』など多数。

吉野 亨

◉よしの・とおる
1983年、東京都生まれ。國學院大神道文化学部卒業、同大学院文学研究科博士課程を修了、博士号(神道学)取得。2015年より埼玉県の八潮市立資料館で文書保存専門員を2年勤めた後、17年4月より現職。芸術文化調査官として生活文化・国民娯楽を担当、専門は食文化。著書に『特殊神饌についての研究』。

目に見えにくい生活文化を
楽しみ、嗜むこと

吉野 亨
文化庁地域文化創生本部 芸術文化調査官
吉野 亨

何気ない生活の中に文化が満ち溢れていることに気付かされたのは、4月から京都市に居を移し生活をしていく中でだった。言葉一つ、食べ物一つ、行事一つとっても、その土地柄と、歴史とともに育まれてきた生活の営みからさまざまな文化が醸成されていること、自分たちの生活文化をとても大切に思っていることが、地元の人との何気ない会話から読み取れるのである。京都の例を見ると、生活文化を大事にしていくことが、地域の歴史や人の営みが継承され発展していく一つの鍵となっていると思われる。
そもそも「生活文化」という言葉だが、実はあまりなじみのない言葉かも知れない。昨年6月に改正された文化芸術基本法では、生活文化を「茶道、華道、書道、食文化その他の生活に係る文化」と具体例を挙げて示しており、広く生活に係る文化の総称として用いていることがうかがえる。また、世間一般でも基本法と似たような意味合いで、生活文化という言葉は使用されている。さて、私たちにとって生活文化とはどのような価値や意味を持っているのだろうか。ここでは生活文化を通じて私たちが得られる事柄について少し考えてみたい。
例えば日々の食事を見ても、私たちは日本の食文化のみならず他国の食文化をも取り込みながら、それらを楽しんでいる。食というと、この時季はおせち料理やお雑煮、小正月の小豆粥といった食を連想する人も多いだろう。例えば、鏡餅を年神さまへのお供え物とし、時期が来ると鏡開きをして雑煮や汁粉としてお供え物を分かち合う、いわゆる「神人共食」が行われ、家族みんなで一年の平穏無事を祈っていた。しかし、このような行事に伴う食とそこに息づく精神は、生活の変化に伴って忘れられようとしているようだ。恐らく私たちは、目に見える生活が便利に、豊かになるにつれて、目に見えにくい生活文化を楽しみ、嗜むことを忘れてしまっているのかもしれない。また、そこから生まれる時間や喜びを分かち合う気持ちさえも。
日々の生活に追われてしまうと、楽さ・便利さを優先して気持ちにゆとりがなくなってしまう。そんな時は、少し歩みを緩めて生活を見返してみたらどうだろうか。私たちに寄り添うように、生活文化は息づいている。私たちは生活文化を見直し、再体験することで、さまざまな楽しみや学びを得ることができる。それと同時に、ごく自然に文化を継承し創造する担い手となれるのではないだろうか。

吉野 亨

◉よしの・とおる
1983年、東京都生まれ。國學院大神道文化学部卒業、同大学院文学研究科博士課程を修了、博士号(神道学)取得。2015年より埼玉県の八潮市立資料館で文書保存専門員を2年勤めた後、17年4月より現職。芸術文化調査官として生活文化・国民娯楽を担当、専門は食文化。著書に『特殊神饌についての研究』。

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