日本人の忘れもの 知恵会議  ~未来を拓く京都の集い~

「忘」・書=森 清範 清水寺貫主 
写真=中田 昭

仲西祐介

◉なかにし・ゆうすけ
1968年、福岡県生まれ。京都在住。照明家。世界中を旅し、記憶に残されたイメージを光と影で表現している。映画、舞台、コンサート、インテリアなどのフィールドで照明演出を手掛ける。アート作品として「eatable lights」「Tamashii」などライティング・オブジェを制作。2013年より写真家ルシール・レイボーズと「KYOTOGRAPHIE京都国際写真祭」を主催する。

京都の〝ピシャリ〟が
日本の美や精神を守る

仲西祐介
KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 共同創設者
仲西祐介

KYOTOGRAPHIE(キョウトグラフィー)京都国際写真祭は、2013年に誕生し、おかげさまで今年で6回目を迎える。きっかけは、2011年の東日本大震災。公正なメディアの必要性と海外と対等に情報交換できるアートのプラットフォームの必要性を強く感じた。
一極集中化しすぎた東京ではなく、世界に向けた発信力と国内の注目度から京都を舞台にすることに決めた。2011年末に京都に移り住み、1年かけて京都の街をフィールドワークした。そして約半年間集中して準備し、第1回の開幕へと何とかこぎ着けた。
京都の街全体を使ってイベントを起こすことの難しさは、僕の想像をはるかに超えていた。とにかく受け入れてもらえなかった。最初のうちは自分が京都人じゃないせいだと思い込み、絶望していたが、だんだん理由がそこではないことに気付いてきた。
京都の人にとってまず大切なのは、人付き合い。会ったばかりの人にそう簡単には心を開かない。時間をかけてゆっくり相手を知り、お互いに尊敬しあえる関係が作れると分かった時点でやっと玄関から内に上げてもらえる。
そして、もう一つは「質」へのこだわり。提案が納得できる「質」まで達していなければ「おきばりやす」とピシャリと帰される。そして理由は決して教えてくれない。初めはなんと冷たい人たちなのだろうと恐れおののいていたが、何度も繰り返しているうちに「おきばりやす」の意味の裏側に気が付いた。それは「自分の頭でしっかり考え直してみなさい」「頑張ってもう一度出直してきなさい」という意味だったのだ。
あきらめず何度も何度も出直してくる僕を、最終的に京都の人たちは受け入れてくれた。そしてその頃にはおのずと僕の提案するクオリティーも上がっていた。なんと愛に溢れる人たちなのだろうか。サイレントな叱咤激励とでも言えようか。 それは今でも続いており、少しでも「尊敬」や「質」を忘れていると「あきまへんな」とピシャリ。なかなか気が抜けないのである。
しかしながら、昨今、京都の人たちが若干浮ついていて、肝心の「おきばりやす」を忘れているように見える。オリンピック景気を狙ったビジネスサーファーたちが便乗する高波が京都にも押し寄せてきているのだ。オリンピックは打ち上げ花火のようなものだが、京都の伝統や日本の文化は永続的に守り育てていくべきものである。京都人が東京人や外国人に対して、「うちは関係おまへん」とピシャリと言ってくれる爽快な姿をぜひ期待したい。

仲西祐介

◉なかにし・ゆうすけ
1968年、福岡県生まれ。京都在住。照明家。世界中を旅し、記憶に残されたイメージを光と影で表現している。映画、舞台、コンサート、インテリアなどのフィールドで照明演出を手掛ける。アート作品として「eatable lights」「Tamashii」などライティング・オブジェを制作。2013年より写真家ルシール・レイボーズと「KYOTOGRAPHIE京都国際写真祭」を主催する。

広井良典

◉ひろい・よしのり
1961年、岡山市生まれ。東京大教養学部卒(科学史・科学哲学専攻)。千葉大教授を経て2016年4月より現職。専攻は公共政策および科学哲学。『日本の社会保障』でエコノミスト賞、『コミュニティを問いなおす』で大仏次郎論壇賞受賞。他の著書に『定常型社会』『ポスト資本主義』(いずれも岩波新書)など多数。鎮守の森コミュニティ研究所主宰。

「定常型」の豊かさや創造性を再発見する時

広井良典
京都大学こころの未来研究センター 教授
広井良典

新年のメッセージとしてはいささか辛口で無粋な内容かもしれないが、以下記してみたい。
現在、政府の借金は、1000兆円(GDPの約2倍)を超え、国際的に見ても突出した規模のものとなっている。なんとなく“他人事”の話題のように聞こえる面があるが、要するに私たち現在の日本人は、そうした膨大な借金を若い世代、そしてこれから生まれてくる世代にツケ回しして半ば平気でいることになる。
そして借金の実質は何かというと、その最大の背景は医療や年金、介護などの社会保障費の増加であり、つまり私たちは、そうした福祉の“給付”は求めるが、それに必要な(税などの)お金や負担を払うことは拒んで、その結果が莫大な借金の累積となっているわけだ。これはどう見てもまずいことで、世代間の倫理という観点からも問題が大きく、またこうしたこと(次世代への負担の先送り)を続けていると、日本に未来はないのではないか。
では、そもそもなぜこのような状況に至ったのかを考えてみると、それは物事を“短期的な損得”のみで考え、かつ「すべての問題は経済成長が解決してくれる」という発想に由来していると私は思う。そして、皮肉にも近年半ば日常的な光景のようになった、企業の不祥事で上層部が深々と頭を下げるといった例も、同じ根から派生していることに気付く。
これはまさに「日本人の忘れもの」というテーマとつながるのではないだろうか。例えば江戸期に、今風に言えば“地域再生コンサルタント”として活躍した二宮尊徳にしても、日本資本主義の父と呼ばれつつ『論語と算盤』、つまり倫理と経済が両輪となってこそ事業は永続すると論じた渋沢栄一にしても、あるいは近江商人を含むその他無数の市井の人々にしても、彼らはみな短期的な損得や利潤拡大よりも、将来世代への継承ということを重視した活動を展開した。それは経済ないし経営の規模の単純な「拡大・成長」よりも、むしろ「持続可能性」「循環」「相互扶助」といった価値により大きな力点を置いた思想だったと言える。
そして多少身びいきを含む論をさらに展開すれば、それは日本の歴史を通じ、他ならぬ京都を中心とする千年の歴史の中で培われた理念だったと言えるだろう。そのことは、日本の総人口の長期推移を見る時、平安遷都から江戸期までのそれがほぼフラットであったこととも呼応している。
人口やGDPの拡大ではない、「定常型」の豊かさや創造性を、今こそ日本人は再発見していく時ではないだろうか。

広井良典

◉ひろい・よしのり
1961年、岡山市生まれ。東京大教養学部卒(科学史・科学哲学専攻)。千葉大教授を経て2016年4月より現職。専攻は公共政策および科学哲学。『日本の社会保障』でエコノミスト賞、『コミュニティを問いなおす』で大仏次郎論壇賞受賞。他の著書に『定常型社会』『ポスト資本主義』(いずれも岩波新書)など多数。鎮守の森コミュニティ研究所主宰。

細見良行

◉ほそみ・よしゆき
1954年生まれ。同志社大卒。94年、祖父の日本美術コレクションを基礎とし、細見美術財団を設立。98年、細見美術館を開館し、館長に就任。展覧会の企画・展示に携わるほか、茶会を開催するなど伝統文化の普及に努めている。京都市内博物館施設連絡協議会幹事長や琳派400年記念祭委員会専門委員、ICOM京都大会2019京都推進委員会副委員長などを務める。

日本の芸術を日本人が
自信をもって評価できる時代

細見良行
細見美術館 館長
細見良行

欧米の芸術作品を日本人作家がいかにうまくまねても、亜流とみなされる。これが現実だ。日本の匂いのすることが海外で評価される条件の一つだろう。私たちの先祖が創作してきた芸術を自分なりにかみ砕き、表現することが重要だと思う。現代アートの村上隆さん、名和晃平さんら交流のある作家には「日本の古美術を勉強してはどうか」と助言してきた。
現代の私たちの日々の暮らしには、過去に創作された芸術作品の美意識が流れている。だからこそ、アニメキャラクターと江戸時代の琳派がコラボした作品も違和感なく、好評のうちに受け入れられるのだと思う。
細見美術館は、今年で開館20年。京都には寺社の宝物館や大学博物館も含め、美術館、博物館は200館以上ある。歴史ある館が並び立つ中、後発の美術館として、他館と異なるイメージをどう作っていくか。柱に据えたのは、所蔵するわが国の古美術だ。今でこそ『鳥獣人物戯画』などの展覧会が行列するほどの人気になったが、20年前の日本は古美術が敬遠される時代。難しい先入観を持たずに来館してもらうにはどうするべきかを考えた。
具体的には、第一に、一般の方にも分かりやすい「琳派」をテーマに設定。毎年、連続して特別展を開いてきた。日本の美術は、決して水墨画のようなモノトーンの世界だけではない。琳派の絵画は学生にみせても鮮やかな色彩に驚く。一昨年、「琳派400年」で盛り上がりをみせたが、当初から狙ったわけではない。第二に「美術館を小さなアミューズメントパークに」と構想した。カフェやミュージアムショップ、茶室を設けた。美術鑑賞だけでなく、1~2時間ゆっくり過ごしてもらえる仕組みだ。いずれも当時、公立の館ではみられない試みだった。
2019年のICOM(国際博物館会議)京都大会に関わる立場として考えるのは、発信力強化の必要性だ。東京・上野と岡崎地区が国内で並び立つ文化地区になり、はじめて京都を「文化首都」と呼べるのだと思う。東京開催の大型美術展も、必ず京都に巡回展示されるだけの力を持つ必要があるだろう。幸い、京都市立美術館改修やロームシアター京都開館など、岡崎全体の発信力は少しずつ前進している。
2018年は1月3日から「はじまりは若冲」で幕を開ける。10月にはパリで催される「ジャポニスム2018:京都の宝―琳派300年の創造」に当館所蔵の琳派も多数出品する予定だ。戦後70年以上が過ぎ、ようやく日本の芸術を日本人が自信をもって評価できる時代になってきたのだと実感している。

細見良行

◉ほそみ・よしゆき
1954年生まれ。同志社大卒。94年、祖父の日本美術コレクションを基礎とし、細見美術財団を設立。98年、細見美術館を開館し、館長に就任。展覧会の企画・展示に携わるほか、茶会を開催するなど伝統文化の普及に努めている。京都市内博物館施設連絡協議会幹事長や琳派400年記念祭委員会専門委員、ICOM京都大会2019京都推進委員会副委員長などを務める。

柳田邦男

◉やなぎだ・くにお
1936年、栃木県生まれ。東京大経済学部卒。ノンフィクション作家、評論家。NHK記者を経て作家活動に入る。現代の人間の「生と死」をテーマに、災害、事故、医療など幅広く執筆。JR福知山線事故、福島第一原発事故などの検証に携わる。『マッハの恐怖』『ガン回廊の朝』『言葉が立ち上がる時』『自分を見つめるもうひとりの自分』など著書多数。

精神性の豊かな暮らしこそ
人間性豊かな未来を拓く

柳田邦男
ノンフィクション作家・評論家
柳田邦男

俳句界に、今の時代だからこそ切実感をもって新境地を開きつつある「地貌季語」というキーワードがあるのを知ってから、10年近く経つだろうか。
信州・松本市を拠点に全国に会員を持つ「岳俳句会」主宰の宮坂静生氏から教えられたのだ。宮坂氏は30年ほど前、俳句界の先人から、それまで俳句界が重視してきた「風土」とは異なる「大地」に密着した暮らしを表す季語として、地貌季語という視点からの作句活動があることを知った。そして、その重要性と現代的意義を感じて、その後、折を見ては全国を行脚して、地方の人々が地貌季語を使って詠む俳句を収集してきた。
地貌季語とは、単なる風景や土地柄ではない。「その地の貌」を季語にするとは、人が生まれ育った大地に根を下ろした暮らしや季節感、生業、祭りなどの行事、風習等々、全身に染み付いたその地域ならではの事象を表す方言を季語として使うものだ。
従来、季語と言えば、歳時記に収録された全国共通の用語に限られていたが、それではどこか余所行きの取り澄ました感じになってしまうし、中央から地方を見下す都鄙意識の雰囲気になってしまう。もっと、その土地に生きる人の息づかいを感じさせる言葉を掬い上げた表現にすべきではないかというのだ。
宮坂氏は、これまで地貌季語に関する著書を、各地で収集した句の紹介を含めて何冊も書いてきたが、このほどその集大成として『季語体系の背景 地貌季語探訪』(岩波書店)を刊行した。その中から引用するなら、関西では〈死ぬ暇もなうてと笑ひ薬喰茨木和生〉。「薬喰」は冬に養生のための獣の肉を食べること。沖縄の一句。〈青甘藷の野に収骨す四十年玉城一番〉。沖縄では稲作より甘藷作りが生業だ。福島では、〈除染とは地べた剥ぐことやませ来る伊藤雅昭〉。やませとは、三陸海岸など東北地方の夏に多い東からの冷たい風。地べた剥ぐは、国土と地貌を破壊することへの怒りだ。
地方の過疎化、人口・経済の大都市集中は、文明進化の宿命。その中で地方創生などと叫ばれているが、現実はカネのバラ撒きではないか。たとえ日々の暮らしはかつかつでも、精神性の豊かな暮らしこそ、人間性豊かな未来を拓くものではないか。地貌季語の全容を知ると、そこに何百年も営々と暮らしてきた庶民の豊かな心模様がある。地貌季語の集大成は、この国の精神文化のあり方に重要な指標を見いだしたと言えよう。

柳田邦男

◉やなぎだ・くにお
1936年、栃木県生まれ。東京大経済学部卒。ノンフィクション作家、評論家。NHK記者を経て作家活動に入る。現代の人間の「生と死」をテーマに、災害、事故、医療など幅広く執筆。JR福知山線事故、福島第一原発事故などの検証に携わる。『マッハの恐怖』『ガン回廊の朝』『言葉が立ち上がる時』『自分を見つめるもうひとりの自分』など著書多数。

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