日本人の忘れもの 知恵会議  ~未来を拓く京都の集い~

「忘」・書=森 清範 清水寺貫主 
写真=中田 昭

河島伸子

◉かわしま・のぶこ
京都市生まれ。東京大教養学部卒。専門は、文化経済学、文化政策論、コンテンツ産業論など。文化経済学会〈日本〉前会長、国際文化政策学会学術委員、文化審議会委員、公益社団法人企業メセナ協議会理事、東京大政策ビジョン研究センター客員教授などを務める。『コンテンツ産業論』『グローバル化する文化政策』『文化政策学』など著書多数。

日本の経済は文化の力によって助けられる時代

河島伸子
同志社大学経済学部 教授
河島伸子

2017年は、かつてないほど「インバウンド」、すなわち外国人観光客が日本各地を訪れていることを誰もが体感した1年であったと思う。京都や東京、富士山といった典型的な観光地に限らず、意外な遠方の土地まで外国人観光客が多く訪れていたり、買い物や通常の観光に限らず、いわゆるコト消費にまで彼らの日本体験が広がっていることはニュースをにぎわせた。10年前には年間830万人を超える程度だった訪日外国人数は2016年には政府が目標としてきた2000万人を軽く突破し、2020年に向けてまだまだ増えていきそうな勢いである。観光客が多すぎて起きているトラブルや日本として取り組むべき課題も多くあるものの、政府の成長戦略の中で観光立国づくりは、着実な成果を上げており、日本の内需拡大にも貢献している。このように外国人観光客が日本に来る理由の大きな一つは、日本の文化に対する幅広い関心にある。特に隣国の中国、韓国とは歴史的に文化交流があり、文化的類似性・共通点もあるが、例えば和食、和装文化、茶道、四季折々の営みなど、日本が独自に発展させてきた文化も多くあり、外国人の興味をひくようである。また、現代のアニメやマンガ、ゲーム、ファッションなどポピュラー文化も高度に発展しており、これらをきっかけに日本に興味を持ち、アニメや映画の舞台となった土地を訪れる「コンテンツ・ツーリズム」も盛んになっている。
このように見てくると、文化は今や日本の経済を支える一つの重要な柱であることがよく分かる。かつて1980年代後半に日本経済が高度に発展しGNP世界第2位となったことをもって、「モノの豊かさから心の豊かさへ」と、日本の文化政策が発展するきっかけが生まれた。今日ではこれが逆転して、「日本の経済は文化の力によって助けられる」時代となっているといえる。
折しも文化庁の京都移転が決定し、昨年より地域文化創生本部がまずは東山に居を構え、新しい文化庁づくりを始めている。単なる行政機能の地理的移転ではなく、これをきっかけとして、文化の持つ力を経済、観光、社会包摂、まちづくりなど広範囲の政策分野に波及させていくことを狙うようになっている。このように2018年は、文化政策が大きな飛躍を遂げようとしている。京都としても歓迎すべきことであるが、同時に、一人一人が生活の中で文化をどれだけ大事にしているかが大いに問われていることを忘れてはならない。

河島伸子

◉かわしま・のぶこ
京都市生まれ。東京大教養学部卒。専門は、文化経済学、文化政策論、コンテンツ産業論など。文化経済学会〈日本〉前会長、国際文化政策学会学術委員、文化審議会委員、公益社団法人企業メセナ協議会理事、東京大政策ビジョン研究センター客員教授などを務める。『コンテンツ産業論』『グローバル化する文化政策』『文化政策学』など著書多数。

河瀬直美

◉かわせ・なおみ
生まれ育った奈良で映画を創り続ける。1997年、劇場映画デビュー作『萌の朱雀』で、カンヌ国際映画祭カメラドールを史上最年少受賞。2007年『殯の森』でグランプリを受賞。17年『光』でエキュメニカル賞を受賞。オペラ『トスカ』を初演出。18年には最新作『Vision』を公開予定。11月23日よりパリ・ポンピドゥセンターにて「河瀬直美展」を開催予定。

「今」だけではない、
美しき日本の精神

河瀬直美
映画監督
河瀬直美

今年の春に公開する『Vision』という作品の舞台は奈良県の「吉野」である。桜で有名な吉野山の印象が強いと思うが、この地域は吉野杉の産地としての歴史が深い。500年も前から山を植林して杉を育てている。何代もかけて継いできたその杉は芯が中心にあって曲がりが少なく、年輪幅が細かく均一。そのため強度が高く、酒漏れをおこさないとのことで樽材として重宝されてきた。酒造りが盛んな江戸時代から需要はとても多く、木の香りにも優れている。この樽丸づくりをしている職人さんに話を聞く機会があった。山を守ること。それは小さな杉苗から始まり、寒い季節の霜に耐え、やっと根付いた幼いそれを今度は成長するに従って枝打ちを欠かさずしてゆく。そうすることで節目のない綺麗な材が育ってゆくのだ。樽材以外にも、敷居や鴨居など高級な建築材として名高い。そこにある気候風土もさることながら、人間の手が幾重にも加わって、この素晴らしき吉野杉が生まれる。国有林の平均が3千本ほどだとすると、吉野杉は8千本の苗を密集して植え、やがて丈夫な苗を残して後は間伐してゆくという方法をとっているので木が先細りをせず、真っすぐ伸び、美しい杉に育つ。
撮影の合間に200年ほど前に植えられた杉山を訪れた。そこは徹底的に管理された美しい杉が堂々とそびえ立っていた。案内をしてくれたその山の所有者の方が、山に入るとご先祖さまの姿を想うと言っていた。200年前というと、江戸時代の末期ごろだろうか、いづれにしてもちょんまげ頭の人々が、鉈を片手に枝打ちをしている姿を想像する。自分の代で伐ってしまえばそれまでの杉を、自分の孫の代に向けて手入れをする想いはなんだろう。現代人の感覚では、今、この時の利益を追求するあまり、悲しい想いをすることもある。
少し話は逸れるが、子育て中に中学時代の恩師の奥さまが夕飯のおかずを毎日届けてくれていたことがある。養母が高齢で、彼女を介護しながら子育てしなければならなかった時のことである。感謝してもしきれない。そんな気持ちをどうやってお礼をしたらいいのかと問うたことがある。そのとき恩師の奥さまは、こうおっしゃった。「私たちの孫に、またあなたが何かを返してくれたらいい」と。私は、目から鱗が落ちる思いだった。そうか、「今」だけではないのだ。その時代が来て、その想いを持ち続けて、また関係を繋いでゆく。そのような美しき日本の精神が、かの吉野の山にも存在している。

河瀬直美

◉かわせ・なおみ
生まれ育った奈良で映画を創り続ける。1997年、劇場映画デビュー作『萌の朱雀』で、カンヌ国際映画祭カメラドールを史上最年少受賞。2007年『殯の森』でグランプリを受賞。17年『光』でエキュメニカル賞を受賞。オペラ『トスカ』を初演出。18年には最新作『Vision』を公開予定。11月23日よりパリ・ポンピドゥセンターにて「河瀬直美展」を開催予定。

後藤敦史

◉ごとう・あつし
1982年、福岡県生まれ。大阪大大学院文学研究科博士後期課程単位修得退学。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員、大阪観光大専任講師などを経て、2017年から現職。幕末日本の開国を、世界史、日本史の双方の観点から研究。著書に『開国期徳川幕府の政治と外交』(有志舎)、『忘れられた黒船』(講談社)など。

忘れられた歴史に目を向け
未来につなげる

後藤敦史
京都橘大学文学部 准教授
後藤敦史

西暦1853年7月のペリー来航=黒船来航については、日本の歴史の中で最も有名な事件の一つであろう。しかし、実はこの1853年に、アメリカ合衆国がペリー艦隊の事業と密接に関わるもう一つの艦隊を派遣した事実は、ほとんど知られていない。
アメリカがペリー艦隊を派遣した最大の目的は、太平洋蒸気船航路を開き、アジア市場に迅速にアクセスし世界の覇権国イギリスに対抗する、ということであった。その目的達成のため、石炭補給地として日本を確保しようとした。それが、ペリー艦隊である。
一方で、蒸気船航路を開くには、その航路全体の調査も必要となる。その調査のため、北太平洋一帯を測量する艦隊が、1853年6月、アメリカを出国した。ペリー来航の一カ月前のことである。この艦隊を率いた海軍大尉ロジャーズは、1854年12月に鹿児島湾、1855年5月に下田、6月には函館を訪れている。
しかし結果からいえば、この測量艦隊の存在は歴史から忘れ去られていった。ペリーが残した大部の遠征記のような、公式の記録を残さなかったこと、南北戦争によって海図などの測量成果が公刊されなかったことなどが要因である。2017年6月に発表した拙著『忘れられた黒船』(講談社)は、まさにこの忘れ去られたもう一つの黒船を、歴史の底からすくい上げるということを試みた。
さて、私たちは歴史を見るとき、古文書や古い絵図など、過去の記録に頼らざるを得ない。この制約のために、たとえ意図的ではなくとも、記録に残った、あるいは記録を残すことができた側からの、その意味では偏りをもった歴史を描きがちである。
そして、それは往々にして、「勝者」の目線に立った歴史像を築き上げる、ということにもつながりやすい。その代表的な例が、明治維新史であろう。かつて明治維新の歴史は、薩長土肥などのいわゆる西南雄藩の動きを中心に描かれ、誰が明治国家の創建に貢献したか、という視点で、歴史上の人物も評価されてきた。
しかし、ここ十数年の間に研究も進み、既存の明治維新史の語りからは忘れ去られてきた存在にも注目が集まっている。最大の「敗者」、徳川幕府の研究も大きく進んだ。そしてこれらの研究成果を受け、明治維新の歴史叙述も豊かなものとなりつつある。くしくも2018年は、明治維新から数えて150年。単に維新の「勝者」を称賛するのではなく、当時日本を生きたさまざまな人たちの営みを思い出し、未来につなげる1年としたい。

後藤敦史

◉ごとう・あつし
1982年、福岡県生まれ。大阪大大学院文学研究科博士後期課程単位修得退学。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員、大阪観光大専任講師などを経て、2017年から現職。幕末日本の開国を、世界史、日本史の双方の観点から研究。著書に『開国期徳川幕府の政治と外交』(有志舎)、『忘れられた黒船』(講談社)など。

後藤正治

◉ごとう・まさはる
1946年、京都市生まれ。72年、京都大農学部卒。スポーツ、医療、人物評伝などをテーマにノンフィクションを多数手掛ける。『遠いリング』で講談社ノンフィクション賞、『リターンマッチ』で大宅壮一ノンフクション賞、『清冽』で桑原武夫学芸賞を受賞。『後藤正治ノンフィクション集 全10巻』(ブレーンセンター)が完結。

欠くことを自ら恥じた。
「品」というものを尊ぶ社会

後藤正治
ノンフィクション作家
後藤正治

映画がよければ原作はいまひとつ、その逆も真なりというのが私的経験則であるのだが、例外もある。昨秋、ノーベル文学賞の受賞者となったカズオ・イシグロ氏の『日の名残り』で、ともに名作だった。
主人公は大戦前、ダーリントン卿に仕えた老執事のスティーブンス。映画では芸達者のアンソニー・ホプキンスが扮していた。
古き良き英国紳士だったダーリントン卿。親独派だった過去が問われ、戦後、失意のうちに亡くなる。アメリカ人富豪が館の新しい主となるが、スタッフは足りず、要の女中頭がいない。かつて、淡い思いを交わしあった女中頭ケントンに会うため、スティーブンスは旅に出る。往時といま現在が交差しながら物語は進んでいく。
良き執事とは何か――。旅の途上で、スティーブンスが繰り返し発する問いである。やがて「品格」という言葉にたどり着く。品格とは何かということが作品のテーマの一つともなっている。
品格、品性、人品、品行、気品、品位……。「品」という語を含む言葉はどこか香ばしいものを発するが、近頃の世、思い浮かぶ事柄は少ない。逆に、それらを欠く言動には事欠かず、かつそれを恥じない御仁の顔などすぐに浮かんでくる。
日本社会は「品」というものを尊ぶ社会だったと私は思う。それを欠くことを自ら恥じたものだった。
スティーブンスの思い至る「品格」は、仕える卿の財力や格によって規定されるものではない。まずはプロの執事としての技量であり、さらには歳月の中で磨き上げた、ウイットやユーモアを含む人としての器量である。
品格が生来のものではなく、努力する中で身についていくものだとすれば、これは執事に限られることなく、あらゆる職に通じる普遍的なものであろう。ケントンの結婚は幸せなものではなかったが、孫ができる身となっていた。スティーブンスの申し出を心ひかれつつも辞退する。夕暮れ時、海辺の桟橋での二人の別れのシーンは切なくも美しい。
一般の辞書には載っていないようであるが、「文品」という言葉もある。自身のこれまでの仕事はそうであったのかどうか。忸怩たる思いにかられつつ、そうでありたいものだと願う。

後藤正治

◉ごとう・まさはる
1946年、京都市生まれ。72年、京都大農学部卒。スポーツ、医療、人物評伝などをテーマにノンフィクションを多数手掛ける。『遠いリング』で講談社ノンフィクション賞、『リターンマッチ』で大宅壮一ノンフクション賞、『清冽』で桑原武夫学芸賞を受賞。『後藤正治ノンフィクション集 全10巻』(ブレーンセンター)が完結。

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