日本人の忘れもの 知恵会議  ~未来を拓く京都の集い~

「忘」・書=森 清範 清水寺貫主 
写真=中田 昭

浅利美鈴

◉あさり・みすず
京都大工学部卒。同大学院・博士(工学)。現在は京都大大学院地球環境学堂准教授。研究テーマは「ごみ」や「環境教育」。学生時代に「京大ゴミ部」を立ち上げ、京都大のエコキャンパス化や環境問題の普及啓発・教育活動に取り組み始める。「びっくり! エコ100選」や「びっくりエコ発電所」、「3R・低炭素社会検定」「エコ〜るど京大」なども展開している。

整理整頓して家庭と職場の
団欒の時間を

浅利美鈴
京都大学大学院 地球環境学堂 准教授
浅利美鈴

環境教育とごみ、3R(リデュース・リユース・リサイクル)を専門とする私の研究室に出入りする学生さんにまず教えるのは、整理整頓とごみの分別だ。使った物はしまう、書類を積み置かない、ごみは素材やラベルに従って丁寧に分別する。当たり前のようなことなのだが、一部の学生さんにとっては、人生初体験となる。難関大学を目指して上げ膳据え膳で育ってきた子も少なくないのだろう。もちろん勉学第一だが、専門に鑑み、できるだけ一緒にご飯を食べ、掃除をし、その中で会話する時間も大切にし、実生活・社会に根ざした知識と実践力、コミュニケーション能力を身に付けてもらいたいと考えている。目指すは「昭和の団欒」といったイメージか。マナーから哲学までを身につける究極の環境教育の場でもあったと思うのだ。
偉そうに書いているが、私自身、決して整理整頓が得意とは言えない。そもそも、極度の「もったいながり」で、いつも物と格闘してきた。あれもこれも残し、詰め込み、欲しいものがすぐに見つからないこともしばしば。傷んでしまうものもある始末。そこで思い切って整理することにした。名付けて“中活”。人生折り返し(中間点)の今だからこそ、本当に必要なものを選ばねば。東日本大震災で膨大な災害廃棄物を目の当たりにしたことも思い出した。どんなに多く持っていても、一瞬にして、がれきと化すことがある。いずれにしても、いつかは処分しなければならないはずだ。
結果的に救いだったのは、今なら多くのものが下宿生や留学生に活用してもらえることと、家族と一緒に思い出を語りながら処分できたこと。今やらねば多くの物は、二度と愛でられることがなかっただろう。また、家族との会話で思い出したことがある。昔は何かを買うとき、家族会議を開いていたものだった。そう、団欒は、家庭の財政・インフラ投資会議の場にもなっていたのだ。忘れかけていた感覚だった。
そんな重要な場が、いつしかテレビに乗っ取られ、勉強に、残業に、スマホに……。同時に食卓を飾るのは、手作りの料理から、出来合いのお惣菜、コンビニ弁当に……。加えて食品ロスの温床に。乱暴な表現かもしれないが、40年間、京都市と京都大で続けてきた家庭ごみ細組成調査からも、そんな傾向が透けて見えてくる。
もう物を探すのは嫌だ。忘れ物もしたくない。整理整頓して、家庭と職場の団欒の時間を少しでも確保したい。それが人生の中間地点を折り返す私の決意だ。

浅利美鈴

◉あさり・みすず
京都大工学部卒。同大学院・博士(工学)。現在は京都大大学院地球環境学堂准教授。研究テーマは「ごみ」や「環境教育」。学生時代に「京大ゴミ部」を立ち上げ、京都大のエコキャンパス化や環境問題の普及啓発・教育活動に取り組み始める。「びっくり! エコ100選」や「びっくりエコ発電所」、「3R・低炭素社会検定」「エコ〜るど京大」なども展開している。

荒木 浩

◉あらき・ひろし
1959年、新潟県生まれ。京都大大学院博士後期課程中退。博士(文学)。大阪大大学院教授などを経て、2010年から国際日本文化研究センター教授・総合研究大学院大教授。専門は日本古典文学。著書に『徒然草への途』『かくして「源氏物語」が誕生する』、編著に『夢と表象』など多数。現在、本紙で「文遊回廊」を連載中。

「おのれを知る」

荒木 浩
国際日本文化研究センター 教授
荒木 浩

スマホのカメラが高機能になり、海外出張でも重宝だ。写真には位置情報が記録され、地名などの後追いがたやすい。操作一つでレンズの向きも替わり、加工も楽々。自撮りが大流行するわけだ。自撮りは英語で、selfieという。いつ生まれた文化なのか。あるセレブが、私たちが最初よと発言したら炎上した。スコットランド国立美術館が、19世紀前半の有名な自撮り写真(米議会図書館所蔵)を提示して決着。最近ネットを騒がした話題である。 自分映しは、昔、もっぱら鏡の役目だった。だが鏡像は左右逆転で写り込み、似て非なる姿となる。スマホには、反転鏡となるアプリがある。自撮りをせずとも、リアルな自分がすぐ見える。
『徒然草』を思い出した。百三十四段で「なにがしの律師」が「ある時鏡を取りて、顔をつくづくと見て」、容貌に絶望する。「我がかたちの醜くあさましきことを、余りに心憂く覚えて」、恐ろしくて鏡を手に取ることもできない。その後は「人に交はることなし」。勤行以外は、引きこもるようになってしまったという。「賢げなる人も」、とかく他人のことばかりに屈託で、「おのれをば知らざるなり。我を知らずして外を知る」ことはできない。「おのれを知る」人こそ、本当の物知りだと兼好は説く。二百三十五段は「心といふもの」のアナロジーとして、「鏡には色かたちなきゆゑに、よろづの影来りてうつる。鏡に色かたちあらましかば、うつらざらまし」と記す。心を鏡に喩えて、序段の「心にうつりゆくよしなしごと」と共鳴する。つれづれなるままに、心の鏡にうつりゆくよろづの影=全世界を自在に描く『徒然草』は、まさに鏡の文学である。
それにしても、自分の「鏡像」を観て心底落ち込んだ僧侶が、ちょっと気の毒だ。鎌倉時代には和鏡もずいぶん発達したが、もちろんいまと違う。自分を知らない彼に、ほの暗い面影を透かし、親の顔などを想起させるのが関の山だ。古いアルバムを見て、これはお父さん、それともあなた?などと惑う、あんな風に。
落語の『松山鏡』は、そこが付け目の笑話である。親孝行の息子は、鏡に映った自分を亡父だと信じ、押し入れに秘蔵して眺めていた。夫のそんな行為を疑い、鏡を覗いた妻は、不細工な愛人が隠れていると勘違いして、大もめになる…。類話は、インドの経典や能、狂言、中世の説話など、たくさん残る。いまでも十分面白い。
だが問題はこれからだ。自撮りとインスタ映えの未来に、鏡の文化はどう展開するか。そしてどんなやり方で「おのれを知る」ことになるのだろうか。

荒木 浩

◉あらき・ひろし
1959年、新潟県生まれ。京都大大学院博士後期課程中退。博士(文学)。大阪大大学院教授などを経て、2010年から国際日本文化研究センター教授・総合研究大学院大教授。専門は日本古典文学。著書に『徒然草への途』『かくして「源氏物語」が誕生する』、編著に『夢と表象』など多数。現在、本紙で「文遊回廊」を連載中。

井上剛宏

◉いのうえ・たかひろ
1946年、京都市生まれ。69年、大学卒業後、家業の植芳造園に入社。94年、代表取締役に就任。京都府、京都市の委員をはじめ、造園界での役職、大学での客員教授などを務める。「平安遷都1200年梅小路朱雀の庭」や「京都迎賓館庭園」、「伏見稲荷大社御鎮座1300年記念庭園」など国内外の作庭に携わる。著書に『井上剛宏作庭集 景をつくる』など。

日本人の、そして、京都人の「和魂和才」の精神を発信する

井上剛宏
造園家
井上剛宏

「和魂洋才」という言葉がある。日本古来の精神と西洋からの優れた学問・知識・技術を取り入れ、両者を調和・発展させていくという意味である。もともとの「和魂漢才」から発展した言葉である。そのいずれもに、まず「やまとだましひ(大和魂)」が基にあり、時代、社会が求めるさまざまな「才」を取り入れ、快適で豊かな生活空間を想像し、創造することであるといえる。 私は造園、すなわち庭をつくることを生業とし、現存する家系図では、寛永年間(1624~44年)から始まり、文政3(1820)年、植木屋甚之蒸という箱書きが残っている家業を伝承している。ある高名な学者は、今の時代こそ「家業」を見直し、評価する時代だと述べている。すなわち学校における高等教育の中では、専門的な知識を得ることは可能だが、家業という教育体系は、家代々の職業を通し、子どもの頃からの全体験を通じて、素養と感性を教養教育してくれるからであると。
今、中国人から日本庭園をつくってほしいという要請が数件寄せられている。京都で1件、中国で4件、カナダで2件である。おそらく日本人の方が、日本庭園は現代社会にはなじまないと捉えている人が多いが、中国に限らず、世界中で日本庭園がブームといわれるくらい関心が高い。日本の庭園は、千有余年の歴史の中で、それぞれの時代、生活様式と建築様式の変遷と相まって、極めてクリエイティブな様式美を創造してきた。庭園に限らず、絵画、陶器、工芸など日本人の優れた手技と感性によって生み出された芸術・文化が、世界から高い評価を得てきたのである。つまりは「洋魂和才」なのか、また「漢魂和才」なのか。
中国では近年、「新中式」がブームになっていると聞く。新中式とは、これまでの「コピー」や「真似」の時代から、民族意識がよみがえり、本土意識に基づいて生まれた新しい中国スタイルのことを指す。単なる「要素」の積み上げだけではなく、伝統的文化を再認識し、柔軟なデザイン手法で現代生活と融合することを目指しているという。
今の時代、内外から多くの観光客が京都を訪れる。長い歴史に培われた文化や芸術、風土を兼ね備える京都は、まさに日本の原点ともいえる先人たちの研ぎ澄まされた知恵と感性が、今も脈々と生き続けている現代都市である。今こそ、国内外に向けて日本人の、そして、京都人の「和魂和才」の精神を発信する時であると考える。

井上剛宏

◉いのうえ・たかひろ
1946年、京都市生まれ。69年、大学卒業後、家業の植芳造園に入社。94年、代表取締役に就任。京都府、京都市の委員をはじめ、造園界での役職、大学での客員教授などを務める。「平安遷都1200年梅小路朱雀の庭」や「京都迎賓館庭園」、「伏見稲荷大社御鎮座1300年記念庭園」など国内外の作庭に携わる。著書に『井上剛宏作庭集 景をつくる』など。

上村淳之

◉うえむら・あつし
1933年、京都市生まれ。上村松園、松篁、淳之と3代続く日本画家。京都市立美術大(現京都市立芸術大)卒。花鳥画で知られ、日本芸術院賞、京都府文化功労賞などを受賞。芸術院会員。京都市芸大名誉教授。2004年から京都市学校歴史博物館館長。五花街合同公演を記念した手拭いの図案を手掛けるなど、京都の文化に深く関わる。

日本文化は、自然の摂理に同化し むしろ教えられ、育まれた

上村淳之
日本画家
上村淳之

文化庁の京都移転が本決まりとなった。誘致申請の京都代表団の一員として参加させていただいたからなおさらに思うのかもしれないが、これは京都の一大快挙であり、誠に喜ばしいことだと思う。かつて文化庁長官に就任された河合隼雄先生が、京都国立博物館に文化庁長官分室を設けられたのは、その布石であったに違いないと今更のごとくその周到さに驚くとともに、文化行政の在り方に多くを学んだ気がしている。
大政奉還によって日本国が本当のあるべき姿を見いだし、静かに、しかし確かな歩みの中で日本文化は醸成され、発展の素地が育成されていったと思う。 文化は常に人間の内面の所産であるが、内面は折々の出会いと経験の中で、個の持つ発酵材で意義あるものとなろう。単なる思いつき、受けた刺激の中で生まれるものではないはずである。多くの人たちによって検討され、淘汰され、認められるようになって、伝統となる。したがって、伝統がつまらない、古いという考えは明らかに軽薄な思考、感性の所産である。
「洗練」という言葉がある。読んで字のごとくその方向に育成されねばならない。
斉王代が美しい衣装で静かに現れ、洗練された装飾によって身を包む葵祭、山・鉾が静かに整然と、むしろ厳かに巡行する祇園祭、時代の移りを再現した時代祭。「ワッショイ、ワッショイ」の掛け声はどこからも聞こえてこない。
掛け声をかけて、元気の出るお祭りも確かなお祭りではあるが、京都のそれはいささか違う。それが全てであるとは言わないが、夜空を彩って楽しい花火、安眠を妨げられた鳥たちのことを思うとどうしても好きにはなれない。時折ナイター球場に迷い込む渡り鳥、風力発電の翼に打ち落とされる鳥たち、人間のエゴに命を落としてゆく生物。日本文化は、自然の摂理に同化し、むしろ教えられて育まれた。自然物、対象から知りえた形、色をもって表現する造形文化は、常に自然への憧憬の中で生まれたことを再認識すべきであると思う。
残り少ない人生の中で、どこまで神の思し召しに近付けるか、不安ながら無限に展開してゆく世界の場に身を置く幸せを感じている。
そんな文化の所産である京都をこよなく愛し、畏敬している。
新しく生まれる文化によってさらに肉付けされ、確固たるものに成長するはずである。

上村淳之

◉うえむら・あつし
1933年、京都市生まれ。上村松園、松篁、淳之と3代続く日本画家。京都市立美術大(現京都市立芸術大)卒。花鳥画で知られ、日本芸術院賞、京都府文化功労賞などを受賞。芸術院会員。京都市芸大名誉教授。2004年から京都市学校歴史博物館館長。五花街合同公演を記念した手拭いの図案を手掛けるなど、京都の文化に深く関わる。

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