賛同企業代表者 文化人 対談シリーズ
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- 2020元日 文化人メッセージ -

鷲巣 力

日本語を愛することなくして、
日本を愛することはできない

鷲巣 力
立命館大学
加藤周一現代思想研究センター長

東京五輪大会と日本国憲法改定論議が同じ年に行われる予定なのは偶然ではない。二つはともに「日本」を旗印として進められる。五輪大会で日本選手の活躍に一喜一憂し、人々の間に「国を愛する」気分が昂揚するだろう。憲法改定論議も「日本」の在るべき姿が問われ、推進派は憲法改定を「国を愛する」ことと結びつけて考えている。そして五輪大会における「国を愛する」気分の昂揚は、憲法改定論議に大きな影響を及ぼすに違いない。だからこそ、日本国政府はこの二つを同じ年に行いたいのである。
「国を愛する」ことには二つの問題がある。一つは、愛国の情は排他的国家主義と結びつきやすく、そういう性質を政治はしばしば演出し利用してきたことである。もう一つは、「国を愛する」とは、いったい「国」の何を愛するのか、という問題である。
日本国首相が「美しい国づくり」を訴えていた頃に、加藤周一は「愛国心について」(「夕陽妄語」朝日新聞2006年3月22日付)という文を書いた。その文に、ドイツの詩人ハイネがフランスに亡命した後に詠んだ「昔僕には美しい祖国があった」と始まる詩を紹介した。ハイネが「高く伸びた樫の樹」や「優しくうなずいていたすみれの花」と並んで「ドイツ語の響き」を愛し続けたことが綴られる。加藤はフランスの『プティ・ラルース』について語り、その辞書には「愛国心の中核としての愛国語心」があると指摘したこともある(「愛国語心の昂揚へ」『広辞苑』内容見本、岩波書店、2008年)。
なぜ母国語を愛する必要があるのか。母国語はその国の人々の意思疎通の基本であり、その国の文化の根幹を成すからである。しかも自国文化への理解がなければ、外国文化への理解は覚束ない。それ故に中江兆民は仏語塾を開いたとき漢学を必修にした。今日よくいわれるように「国際化の時代」ならばこそ「愛国語心」が肝要になる。
しかし、現代日本語は変化が著しい。永井荷風は『断腸亭日乗』に、好戦を煽る勇ましい言葉が飛び交うなかで「日本語の下賤今は矯正するに道なし」(1941年4月4日)と記した。爾来80年、過度な外国語カタカナ表記、省略語法、大仰な言い回し、珍奇な表現、曖昧な表現が流行る御時世となった。世代によって使う表現が異なり、意思疎通が図れない事態さえ生じている。われわれは日本語に対してあまりに無頓着ではなかろうか。思うに、日本語を愛することなくして、日本を愛することはできない。

◉わしず・つとむ
1944年東京都生まれ。東京大法学部卒。平凡社で『林達夫著作集』『加藤周一著作集』などを編集し、『太陽』編集長、取締役を務める。92年フリージャーナリストとなる。著書に『自動販売機の文化史』『公共空間としてのコンビニ』『加藤周一を読む』『「加藤周一」という生き方』『加藤周一はいかにして「加藤周一」となったか』など。