賛同企業代表者 文化人 対談シリーズ
経済面コラム 未来を思い描く

思い描く、未来へ

drawing the future of tomorrow

- 2020元日 文化人メッセージ -

早島大祐

日々の研鑽こそが
次の飛躍の大きな足掛かり

早島大祐
歴史学者

新年早々から私の浪人時代の話で恐縮だが、今から30年前、大学入試に失敗して落ち込んでいた時、北海道から祖母が城陽にある家までやってきて、「1年や2年なんて大丈夫! 若いんだから」と励ましてくれた。その時は「人のことだと思って!」と憤るばかりだったが、今から約450年前にも浪人生活をかこつ人物がいた。
その人の名は明智光秀。本年度のNHK大河ドラマの主人公となる人物である。彼は1568(永禄11)年9月に足利義昭・織田信長連合軍の一員として上洛し、歴史の表舞台に登場する以前、実に10年にも及ぶ浪人生活を越前の長崎称念寺の門前で送っていた。
ではそこで彼は何をしていたのか。実は医者のようなことをして、糊口を凌いでいたらしい。このようなことが可能になった背景としては、17世紀までの地域医療は基本的に浪人あがりなど外部から流れてきた人間により担われていたという実情があった。そのために少しでも医学の知識を有するならば浪人であっても歓迎されたのである。
そして浪人医師としての生活は、日々の生活を支えるだけでなく、転機の足掛かりともなった。1566年ごろ、足利義昭方として近江高嶋の田中城籠城戦に光秀が参陣した際に義昭の側近で、やはり同城に詰めていた沼田清長に、自身が所持していた『針薬方』という初級の医学書を教えたとの記録が残されている。一般的に籠城戦では浪人たちもかき集められたから、光秀も浪人生活から脱出するきっかけを求めて田中城に集ったと想像されるが、そこで医学書の伝授を通じて、義昭側近の知己を得ることに成功したのである。
そして1568年4月に一乗谷で義昭が元服した際に、光秀は足軽衆として正式に編入された。家臣としては末端ではあるが、ここに晴れて、光秀は浪人生活から抜け出すことができたのである。そこには籠城戦参加の軍功に加え、沼田の口添えもあったと想像される。その後、医学を学習する過程で培われた、読み・書き・計算の技能を駆使して、足利義昭・織田信長の下で頭角を現したことは周知の通りである。
冒頭の私の浪人時代のエピソードに話を戻そう。振り返るとわざわざ孫の様子を見に来てくれた祖母の言った通り、色々あったものの、その後の私は確かに「大丈夫」だった。光秀も最期は謀反人として終わったが、10年にも及ぶ浪人時代に研鑽を続けることで、次の飛躍の大きな足掛かりとした。謀反人にまではならずとも、私もこの先どうなるかは分からないが、現在、雌伏の時を過ごされている方もおられると思う。本年が良い1年となりますように。

◉はやしま・だいすけ
1971年京都府生まれ。京都大文学部卒。京都大大学院文学研究科博士後期課程指導認定退学。2002年「戦国期畿内経済の構造と特質」で京大文学博士。京都大文学研究科助教や京都女子大文学部准教授などを経て、現在、関西学院大教授。専門は日本中世史。著書に『足軽の誕生』『室町幕府論』など。近著に『明智光秀 牢人医師はなぜ謀反人となったか』。