賛同企業代表者 文化人 対談シリーズ
経済面コラム 未来を思い描く

思い描く、未来へ

drawing the future of tomorrow

- 2020元日 文化人メッセージ -

西野亮太

「忘れられた戦争」
加害の歴史と構造を突き詰める

西野亮太
南太平洋大学上級講師

「旅の恥はかき捨て」という格言がある。今日まで旅で幅広く豊かな知見を得てきたが、アジア太平洋戦争の記憶や戦跡に遭遇すると「旅の恥」を感じる。
その中で最も痛烈に恥を感じたのは、フィジー国立大学での授業だ。2011年に講師として着任した直後、太平洋諸島の近代史を任された。前任の先生の講義ノートを基に教えていたが、学期終盤の講義の準備で、当時英国領だったフィジーの兵士たちがブーゲンビル島で日本軍と交戦したことを初めて知った。フィジーのセファナイア・スカナイヴァルは日本軍に撃たれた友軍兵士を救い、さらに、残りの兵士たちが不利な位置に立たされないように自ら日本兵の方を向き、銃口の的となり戦死した。戦後、フィジーでは自らを犠牲に戦友を救った国民的英雄として知られている。
この講義を前にして普段より一層緊張した。日本兵がフィジー兵を殺害したことをフィジーの学生に日本出身の私が話す。内容よりも、私の存在についてどう反応するのか気にしていた。講義の後、学生に意見を聞くと、自己犠牲の素晴らしさを語っていた。そして日本に対する印象を問うと、「過去は過去、今とは関係ない」「日本はフィジーに対しいろいろな援助をしているから、いい国だ」という答えが返ってきた。
彼らは私が日本出身だということを知っていたし、講師と学生という関係から建前で通した面もあるのだろうが、こういうところにも日本の経済力の高さを感じた。その後、地域のことに詳しくなると、戦後の日本の援助や貿易に対する感謝の気持ちの底には、戦中に連合国軍と日本軍との狭間から生じたさまざまな物理的、心理的な深い傷があることを知った。
いくら国際人だと意識したり、戦争は過去のことと割り切っていても、戦争の記憶は亡霊のように現れてくる。その対処の仕方に自分の器量が問われる。政治や社会的なことは話題にしない家庭に生まれ育ち、バブル時代の日本で教育を受けた私は、文化的素養に乏しく、戦争に関して無知のまま旅をしてきた。なぜ、日本の教育制度では戦争の歴史をきちんと学べる機会がないのか、疑問や憤りを覚えた。
旅での恥を正面から受け止め、日本の加害の歴史とその構造を突き詰めて国内外への影響を確かめていくこと、それが日本の国際的信用を取り戻すことにつながるのではないかと感じている。

◉にしの・りょうた
1976年神奈川県生まれ。99年ローズ大文学部卒。2007年、西オーストラリア大歴史学科博士課程修了。クライストチャーチ工科大、フィジー国立大講師を経て現職。19年4月より国際日本文化研究センター外国人研究員を併任。専門は日本戦後史、紀行文学史。