思い描く、未来へ
drawing the future of tomorrow
- 2020元日 文化人メッセージ -
歴史を敬いつつ、壊して作り続ける
今は過去の千年との結節点
中村伊知哉
慶應義塾大学大学院
メディアデザイン研究科教授
1040光年かなたの星、「HAT―P―7b」には、ルビーやサファイアの雨が降るという。いま地球に届くその光は千年前に瞬いたものだ。そのころ藤原道長は東山に向かって「望月の欠けたることもなしと思へば」と詠んだ。今夜ぼくは同じ東山の月光を見上げている。
京都の学校を出て、東京、パリ、ボストン、東京と渡り住んだ。後輩の都と姉妹都市ばかりで、京都との縁は切れないが、どこに居ても落ち着かない。山が見えないからだ。東、北、西、どこに居ても京都は山が視界に入る。それが1200年前から京都人のDNAに刻まれた心のよすがなのだろう。
先ごろ広沢池にあるお寺さんで話を聞いた。「台風も地震もようけあるけど、1200年前、嵯峨天皇のころの疫病に比べたら大したことおません」。明治、大正、昭和、平成。東京は、都が移って長いとはいえ、わずか150年。江戸幕府も400年。千年単位の話が立ち上ることはない。
南に位置する羅城門が壊れたのは道長のころだという。以後、平清盛から新選組まで、京都は幾度も壊され焼かれ、その都度立ち直った。壊して作るリズムを体に刻んできた。だから、千年の文化を携えつつ、いつも新しい。ゲームやアニメの本拠地であり、世界的な先端企業が本社を置き、ノーベル賞学者を生み続ける。奇跡の都市である。
千年前、平安女性は仮名文字を生み、女流文学で世界文化の先端を走った。平成の女性はギャル文字を生み、ケータイ文化で先端を走った。次は人工知能(AI)の時代だという。令和の女性は何を生むのだろう。デジタルやAIは次の千年を形作る技術。今は過去の千年との結節点にある。これからの千年も京都が真ん中に居てほしい。
ぼくが実行委員長を務める京都国際映画祭は「映画もアートもその他もぜんぶ」をテーマに掲げる。日本で初めて京都で映画が上映されたころ先端だった技術や文化は今や古典だ。大切にしよう。一方、現代アートやデジタル技術も京都にすんなり溶け込む。古くて、新しい。それを京都のまち東西南北あちこちで、集まって楽しむ。映画人もアーティストも芸人も、おばあちゃんも学生さんも外国人も子どもも参加する。京都にしかできない祭りだ。
歴史を敬いつつ、壊して作り続ける。文化庁が置かれるのは当然である。でも中には壊れたままのものもある。羅城門のように。「千年後のテクノロジーで復興して、欠けたピースを埋めるのがぼくらの宿題ですやろか」。山と光を遠くに眺めつつ、道長さんに、問いかけてみた。
◉なかむら・いちや
1961年生まれ。京都大経済学部卒。慶應義塾大で博士号取得(政策・メディア)。84年、ロックバンド「少年ナイフ」のディレクターを経て郵政省入省。98年、MITメディアラボ客員教授。2002年、スタンフォード日本センター研究所長。06年より現職。内閣府知的財産戦略本部、文化審議会著作権分科会小委などの委員を務める。著書に『超ヒマ社会をつくる』など多数。