思い描く、未来へ
drawing the future of tomorrow
- 2020元日 文化人メッセージ -
「二分心」
中沢新一
人類学者
日本人の心は「二分心」のつくりをしていた。言語でまわりの世界を意識して理解する心と、言葉によらない直観で世界をまるごと把握する心とが、一つの心の中に同居して、共同作業を行っていたのである。次の芭蕉の句が、その二分心の特徴をよく表している。
秋深き 隣は何をする人ぞ
静かな秋の夜。一人小部屋にいると、壁の向こうからカサコソと人の気配がする。誰とも知らぬその人が妙に懐かしく感じられる。会ったこともないけれども、一体なにをする人なのだろう。日本人の二分心は、ここで、意識では捉えられない世界の「響き」を直観の働きで感知しながら、同時にそこに対象を捉えようとする鋭い意識を働かせている。直観と意識という二つの異なる心の働きが、日本人の二分心の中では、巧みに同居しあっていた。
「二分心」という概念を考え出したのは、西洋の学者である。それによると、人類の心は言語的な意識を司る左脳と、見えない世界に開かれた内心のイメージや響きを直観で捉える右脳の働きが一つになって、二分心を働かせていた。ところが今から三千年ほど前から、次第に左脳の意識の働きばかりが優位となり、右脳からの響きの呼び掛けを圧倒して、ついに今日のような意識的文明が築かれるに至った。こうして人類は二分心を失ってしまった、というのである。
しかし、これは人類の脳というよりも、西洋人の脳の事情というべきであって、日本人の脳には右脳と左脳の区別もはっきりしておらず、その心はこれまで、二分心の多くの特徴を保ってきた。言語による論理だけを重視するのではなく、どこからともなくやってくる響きや、全体を包み込むそこはかとない「情緒」を大事にした。人類の心ははじめ二分心として生まれたのだから、日本人の心は人類の原初の心の特徴を残してきたのだともいえる。その原初的な二分心の自然な働きに基づいて築かれた文明が、日本なのである。そこでは、白黒をはっきりさせない「あいまい」な領域を残すことで、必ずしも論理的にはできていない生活の実相に適合したものの考えが尊重された。意味よりも「かたち」を重視して、意識からこぼれ落ちるものの受け皿にしてきた。
その二分心の働きが、いまの日本人の心から消え始めている、というか消され始めている。西洋世界はいち早く二分心の破壊を始めたところだが、そこに生み出された意識型の文明が、AIの発達に後押しされながら、日本人の心の改造作業に着手しているからである。
◉なかざわ・しんいち
1950年山梨県生まれ。東京大大学院人文科学研究科博士課程満期退学。チベットで仏教を学び、帰国後、宗教学・人類学・民俗学・現代思想など、学問の枠を超えて人間の「こころ」を研究。中央大教授、多摩美術大芸術人類学研究所所長を経て、2011年より明治大野生の科学研究所所長。『チベットのモーツァルト』(サントリー学芸賞)など著書多数。