賛同企業代表者 文化人 対談シリーズ
経済面コラム 未来を思い描く

思い描く、未来へ

drawing the future of tomorrow

- 2020元日 文化人メッセージ -

津村記久子

所有できないもの、
所有の先にあるもの

津村記久子
作家

自分の狭い部屋は相変わらず物だらけ本だらけで散らかっている中、それでも「もう現物所有の時代じゃないな」というようなことを考えています。音楽や映像はサブスクリプション方式のサービスが主流になり、利用者は自宅に膨大な「モノ」としてのメディアを所有しなくても、月極でお金を払って音楽や映像を所有できるようになりました。10年前にはまだ通用していた「何百枚もCDやDVDを持っている」という現物所有に基づく自慢は、完全に過去のものとなってしまいました。わたしが関わっている文章の世界にも、その波が押し寄せています。自分の文章をどういう形で、どういう支払いの感覚を持つ人々に読まれたいのか、そして自分のその希望はこの先も通用するのか、ということを常々考えなければいない状況になりました。
音楽や映像、もしかしたら本というものも、データ化できるものは、便宜上「お金を払いさえすれば誰もがすべて所有できるもの」になるかもしれません。それで何もかも手に入れた気分かというと、実はそうでもありません。わたしが加入しているスポーツのストリーミングサービスは、1週間で配信した試合を消去します。安く何でも見せる代わりに、こちらの都合を尊重しろということなのかもしれません。
反対に、所有はできないけれども消えないものがあります。わたしにとっては、それは日本の景色です。小説の取材を通じて、この数年でわたしは日本のいろいろなところに以前より気軽に出かけられるようになりました。もっとも好きなのは、特急「しなの」の車窓の景色です。壮大な山々と、大きな岩の間を流れる荒々しい渓流を眺めていると、このまま時間が止まってしまわないかと思います。他にも、瀬戸大橋を渡る特急「南風」から見た瀬戸内海の景色、鹿児島市内の沿岸部から見える桜島の景色など、所有は不可能だけれども誰もに開かれているすばらしい景色があるということを、わたしはこの数年で知りました。
所有の喜びを味わい尽くした後の倦怠と退屈、というものを、わたしは日本の人たちに感じることがあります。でも本当にそこが到達点なのでしょうか。所有できないもの、所有の先にあるものはまだ日本にはいくらでもあると思います。多く持つことを目指してもがく時代が一段落したのなら、こんなに多くを持ったのに何を持たなかったかを思い出して謙虚になる時期が来たのではないかとわたしは思います。

◉つむら・きくこ
1978年大阪府生まれ。大谷大文学部国際文化学科卒。2005年『マンイーター』(「君は永遠にそいつらより若い」に改題)で太宰治賞を受賞しデビュー。09年『ポトスライムの舟』で第140回芥川賞受賞。『ミュージック・ブレス・ユー!!』(第30回野間文芸新人賞)『ワーカーズ・ダイジェスト』(第28回織田作之助賞)『給水塔と亀』(第39回川端康成賞)など受賞多数。