思い描く、未来へ
drawing the future of tomorrow
- 2020元日 文化人メッセージ -
自然への畏敬の念を思い起こし、
常若の心を継承する
田中恆清
石清水八幡宮 宮司
神の住まう社、即ち神社が創建される遥か昔、古代の日本人は、山や岩、樹木、海、川、滝などの人智を超えた力を持つ自然物を敬い畏み、神々の御神体として崇めて共同体での祭祀を行ってきました。時代が下り、神々の宿る自然物を祀る場所は神聖視され、周囲と区別して神域とされました。そして祭祀を行うための仮の建物が建てられるようになり、次第に神が常に鎮まる社が建てられ、現在の神社の様態へと発展していきました。
現在においても全国の神社の多くが、自然への信仰が原点である神道を護り伝え、自然物を御神体として祭祀を行っています。京都で申しますと、松尾大社には、背後の松尾山の山頂近くに巨石による磐座が存在し、社殿に祭神が祀られる以前より、地域に住む人々により祭祀が行われていたことが伝えられています。磐座とは、古来日本において神の宿る依代として信仰されてきた大きな岩の呼称であります。
また自然の樹木に神が宿るとされる神籬への信仰も京都には多く伝えられています。私の奉仕する石清水八幡宮では、毎年1月に青山祭と呼ばれる神事を斎行しています。大きな榊の神籬を立て、周囲に木々の青柴垣を巡らして臨時の祭場とし、神を招き神饌を供え祭儀を執り行う神籬祭祀を連綿と今に伝えています。
神々が宿るとされる磐座や神籬のような自然物への信仰心は、日本人のみならず古くは諸民族においても行われてきた素朴な原始信仰とも言われています。然しながら諸外国では、近代以降の文明の発展とともに、自然への信仰心は急速に失われていきました。それは同時に、自然への感謝や畏怖の心を忘れさせ、自然破壊や環境汚染など現代における憂慮すべき問題を生起させてきたのです。現代の日本においても伝統や文化の形は崩れつつあり、日本人の心は大きく揺れ動いていると感じています。今こそ私たちは、日本古来の自然への畏敬の念を思い起こし、伝統ある日本の心を取り戻す必要がありましょう。
神道には、常若と呼ばれる心があります。それは、すべてのものを常に若く清らかな状態に保ち、物事を一カ所で止めたりせず、心も澱ませずに、常に循環させていく心の持ちようであります。まさに常若の心とは、四季折々の自然の循環の体現でもあり、神々の御心でもあります。自然に宿る神々と共に慎ましく生きる常若の心を後世へと伝えていくことが、「日本人の心」の継承であるといえましょう。
◉たなか・つねきよ
1944年京都府生まれ。69年國學院大神道学専攻科修了。平安神宮権禰宜、石清水八幡宮権禰宜・禰宜・権宮司を経て、2001年石清水八幡宮宮司に就任。02年京都府神社庁長、04年神社本庁副総長を務め、10年神社本庁総長に就任。