思い描く、未来へ
drawing the future of tomorrow
- 2020元日 文化人メッセージ -
日本の美を具現化する
茶の湯文化
橘 重十九
北野天満宮 宮司
新たな元号が日本最古の歌集『万葉集』から採られた「令和」となり、初めての新春を迎えました。新元号「令和」の考案者とされる『万葉集』研究の第一人者、中西進先生は、「和」は日本、「令」は自律性のある美しさだとおっしゃっています。つまり、「うるわしい日本」という願いが込められており、素晴らしい元号であると思っています。
「文道大祖 風月本主」と崇められた菅原道真公(菅公)を祀る北野天満宮では、日本の誇る伝統文化の数々が今も脈々と息づいています。その一つに茶文化があります。毎年12月1日、御本殿で斎行する献茶祭は、在洛の四家元二宗匠(藪内家・表千家・裏千家・武者小路千家・堀内家・久田家)が輪番で行われるもので、昨年は表千家不審菴家元千宗左宗匠のご奉仕で執り行われました。1878(明治11)年の再興以来の神事であり、献茶祭に先立って祭典で使用される抹茶の原料の碾茶が山城六郷の産地から茶壺に入れて運ばれ、御本殿で茶壺の封が切られ茶葉の検知が行われます。献茶祭に至る一連の神事は古式に則り行われる北野天満宮独特のもので、茶壺一つにも150年の歴史の重みが感じられます。
この献茶祭、1587(天正15)年10月、豊臣秀吉公が開いた「北野大茶湯」を縁とするもの。「茶好きの者は誰でも参加せよ」とのお触れの下、豊太閤自身と利休居士が亭主となられたおよそ800の茶席が設えられた大茶会でした。
お茶は室町時代後期に隆盛しますが、実はずっと古く遣唐使によってもたらされ、菅公が編纂された『類聚国史』には815(弘仁6)年、比叡山中の寺で永忠が嵯峨天皇に茶を献じたことや「畿内や大津などに茶を植えよ」との令が出された記事があり、菅公は妙薬としての茶のことをよくご存知だったと思います。「煩懣胸腸に結る 起きて茶一椀を飲む」という詩もあり、薬として茶を飲まれたようです。大茶会の舞台が北野天満宮になったのは、秀吉公の菅公崇敬の表れといわれますが、自分より600年も前に茶と接していた菅公を茶の先達として仰いでいたのかもしれません。
境内には「北野大茶湯」遺構の「太閤井戸」や「三斎井戸」、また、上七軒西方尼寺には「利休井戸」が現存し、明月舎・松向軒の両茶室では月釜が掛けられ、現在も茶人で賑わっています。「うるわしい日本」との願いが込められた令和、日本の美を具現化する代表格ともいえる茶の湯文化を守っていくことも菅公の御心に添うものだと思っています。
◉たちばな・しげとく
1948年石川県生まれ。延喜式内社宮司社家25代に生まれる。会社員を経て74年より北野天満宮に奉職。禰宜、権宮司を経て、2006年から現職。その間、北野天満宮ボーイスカウトの創設に尽力。京都府神社スカウト協議会会長として青少年育成活動に努めた。全国天満宮梅風会会長代行。京都府神社庁理事。