賛同企業代表者 文化人 対談シリーズ
経済面コラム 未来を思い描く

思い描く、未来へ

drawing the future of tomorrow

- 2020元日 文化人メッセージ -

武田時昌

実際に手に取ることで培われる
知見と学識

武田時昌
京都大学人文科学研究所教授

日本各地には、寺社を中心に古写本、古版本が驚くほど残っている。量的にも、質的にもこれほど多くの典籍を何世紀にもわたって伝えてきた民族はない。ネットオークションで時折、流出することもあるが、多くは大切に保管されており、その文化継承の伝統は実に誇らしく思える。
最近、調査したところでは、醍醐の随心院、大津の園城寺(三井寺)などがある。随心院は、元々は仁海(954〜1046)が創建した牛皮山曼荼羅寺の塔頭であったが、小野小町ゆかりの梅の名所として知られる。仁海は、真言宗小野流の祖で、雨乞いの祈祷術を心得ていたとされ、仏典の古鈔本に加えて、密教の呪法や宿曜道に関する資料が残っている。
一方、園城寺には、近世天台宗の碩学、大宝守脱(1804~84)が所持していた一群の資料が近年になって整理された。仏教関係の手沢本などのほかに、守脱の仏教天文学研究の草稿類があり、日用類書『事林広記』の室町写本も見つかった。人文研科学史研究班でそれらと関連する文献を会読していたので、近隣に眠っていたお宝に驚喜するばかりである。
私のフィールド調査は、自力で掘り出し物を探し出すというより、研究集会で出会った人々から得た耳寄りの情報による。随心院の場合は、北京中医薬大学の講演会に同行した藤本孝一氏(龍谷大学客員教授)の導きである。藤本氏は、写本研究の専門家で、冷泉家時雨亭文庫の調査を主導した。数カ月前には冷泉院家に持ち込まれた源氏物語の第5帖「若紫」を定家本だと鑑定して大ニュースとなった。今は関東に住んでおられるが、なんと随心院に下宿部屋があるそうだ。
園城寺の新資料は、整理を担当する石井行雄氏(北海道教育大学准教授)から直接に教えてもらった。訓点学者の石井氏は、東京育ちで勤務先は釧路であるのにも関わらず、奈良、京都の寺院に神出鬼没であり、人文研の共同研究会にも自費参加されている。
両氏と一緒に眺めていると、現物を通してしか学べない蘊蓄ある高説、人とモノとが織りなす物語が拝聴できる。まさしく古写本の価値と違いの分かる方々である。
デジタル化した書物の記憶はパソコンの二次元画面でしかなく、実際に手に取ることで培われる三次元、四次元の知見、学識は急速に失われつつある。文化継承の担い手は、絶滅危惧種なのである。京都が文化的な拠点であり続けるためには、学問のIT化とは逆向きにアナログ世界のプロパーを育成するのがいい。
まさしく古写本の価値と違いのわかる方々である。

◉たけだ・ときまさ
1954年大阪府生まれ。京都大工学部を卒業後に文学部に学士入学。信州大助教授などを経て現職。専門は中国科学思想史。科学と占術の複合領域である「術数学」の研究を推進し、人文研拠点研究班「東西知識交流―班アジア科学文化論」(班長)、「鍼灸医術の形成―近世医学史の再構築」(副班長)を主宰。近刊の著書に『術数学の思考―中国古代の科学と占術』。