賛同企業代表者 文化人 対談シリーズ
経済面コラム 未来を思い描く

思い描く、未来へ

drawing the future of tomorrow

- 2020元日 文化人メッセージ -

大石尚子

暮らしの基本のものを自ら作る
自然と共生して生きるための叡智を

大石尚子
龍谷大学政策学部准教授

「俺、人間やってるな」
これは、綿の糸紡ぎ体験会で参加者の一人から飛び出した言葉である。糸車をくるくると回すと、マジックのように手の先からシューと細い糸が紡ぎ出されていく。必ず「わぁー」という歓声が上がる。うまく糸を紡ぐためには、両腕の動かすスピードを指先の感覚で微妙に調節しなければならない。糸紡ぎは、私たちが手でものを作ることを忘れてしまっていることを気付かせてくれる。私は、種から育てて布にするという活動を地域コミュニティーづくりや環境教育として行ってきた。大量生産・消費・廃棄の社会システムに対するささやかな抵抗運動として。
一からの衣づくりを始めて20年以上がたつ。京都大原で、土からのものづくりを教わった。野菜や棉や藍を栽培し、山から草木を切り出し、染め場のかまどに火を入れて炊き出す。草木は、採取した時期や場所によって同じ種類でも全く違う色になる。時期を逃すと来年まで待たねばならない。四季に移ろう色、匂い、水の冷たさ、肌触り、五感を刺激する。
衣食住は人間生存の根源的要素。いま、それを自ら作り出す術を備えている人間がどれほどいるだろうか。特に衣については、想像すらしないのではないか。いま日本の衣の自給率はほぼ0%。インドでは農民が生きる糧としていた手紡ぎの綿織物。産業革命による機械化によって農民は仕事を奪われ、農村は疲弊していく。マハトマ・ガンジーは、消滅寸前だった手紡ぎの道具や技術を見つけ出し、糸車を回すことで、農民に仕事と自立(律)の精神を取り戻そうとした。必要な食糧や衣類を自分たちで生産し、使用し、蓄えることによって農村は豊かになる。同時に人々は限界を知り、競争ではなく協力するようになり、「スワラージ(自治)」が実現すると説いた。
東日本大震災では、多くの人々が消費主義の上に築かれた価値観に疑問を持たざるを得なかったであろう。本当の豊かな暮らしとは何か。阪神淡路大震災で被災し、都市生活の危うさを経験したことが、私の今日の活動につながっているのだと思う。
日本人が忘れてしまったもの、それは、暮らしの基本のものを自ら作る、ということではないか。その行為を通して、人間は自然と共生して生きるための叡智を見いだし、後世に伝えてきた。いま、その叡智は風前の灯火だ。消滅せぬように、次世代に残していくために、学生とともに農村へ赴き知足の精神を磨いていきたい。

◉おおいし・なおこ
1973年生まれ。同志社大大学院総合政策科学研究科博士課程修了。専門はソーシャル・イノベーション、食農政策。一からの布作り「スロー・クローズ(Slow Clothes)」活動を展開。日常生活に「衣食の自給」を取り入れ人と自然と調和する暮らしを模索。著書に『いちからつくるワタの糸と布』(編著)、『世界の田園回帰』(共著)など。