未来へ受け継ぐ
〜次世代のメッセージ〜
inherit to the future
- 2019元日 文化人メッセージ -
その土地に響いてきた風味や風合い
価値観の境目を彩ること
松岡正剛
編集工学研究所 所長
日本人が忘れてしまったこと、忘れつつあることはいろいろある。その中には、縄文文化や鎌倉武将の勢い、徳川期のキリシタン感覚や長い戦争直後の被爆の衝撃のようなものもあるし、おばあちゃんが好きだったお菓子、夢中になった絵本の中身、小学校の先生の筆跡、亡くなった父親の悩みなどの、身近なことなのに思い出せないこと、取り出しにくいことも含まれる。
しかし、歴史的な経緯や個別的な事情を忘れたとしても、それらは誰かがどこかで取り戻してくれるということもある。私が気になるのは、そうしたこととは別に、日本人がどのような価値観を持ってきたのかということを、いまどのようにして継承できるのかということだ。例えば「かたじけない」とか「かしこまる」とか「はばかる」はどういう価値観を表していたのか、どういう思い出し方やどんな例示をもってくればいいのか、そういう問題だ。先だって奄美大島で島の人たちから、島唄にうたわれる「かなしゃー」という言葉は「悲しい」でも「愛しい」でもなく、「とても大切だ、哀切を伴う感覚だ、一緒に大事にしたかった」という感情が入り交じっているという話を聞いた。奄美独特の共感の価値観の深さがいまもって鮮明に共有されているのである。
同じようなことが日本中にある。方言だから残っているものもあれば、言い伝えが廃っていないということもある。その一方、京都の「はんなり」「もっさり」「粋やなあ」のように、ニュアンスはなんとなく分かるのに、その共有が一向に広まらないということもある。
これらのことは単に言葉の意味が忘れられたのではない。「ばっちり」「かわいい」「マジすか」などと言っているうちに、その土地が大事にしてきた価値観の境目を彩ることを忘れ始めているのである。彩りの傘が閉じかかっているのだ。私はそうみている。
日本という国が忘れたことを大事にするよりも(それでは教育勅語がまたぞろほしくなる)、まずはその土地に響いてきた風味や風合いを取り戻すことを心掛けたほうがいい。私が次世代につなげたいこととは、制度やコンプライアンスによってグレーゾーン(ときに埒外)に追いやられたままの価値観を掬う手立てなのである。その手立てが共有されていくことなのである。
◉まつおか・せいごう
1944年、京都市生まれ。早稲田大文学部仏文学科卒。多方面の思索を情報文化技術に応用する「編集工学」を提唱し、情報文化や日本文化研究の第一人者として、多彩な執筆・企画活動を展開。東京大客員教授、帝塚山学院大教授を歴任。『知の編集工学』『情報と文化』『花鳥風月の科学』『誰も知らない世界と日本のまちがい 自由と国家と資本主義』など著書多数。