賛同企業代表者 文化人 対談シリーズ
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- 2019元日 文化人メッセージ -

東郷和彦

忘れ去った歴史の記憶の中から
「日本発の世界思想」を見いだすとき

東郷和彦
京都産業大学教授 世界問題研究所所長

太平洋戦争の敗戦は、日本人の背骨を痛打し、私たちはそこで何か大切なものを失い、忘れてしまった。
戦争が終わり、主要な都市のほとんどがB29の爆撃を受け、その荒廃した国土で人々が明日の食のためになりふり構わず働く時代がやってきた。背骨を痛打された日本人の間に、思えば恥ずかしいさまざまな事態が起きたと思う。そういう時代の中で育った私には、その苦しい時代に起きたことについて、いま議論をする資格はないと思うし、そのつもりもない。
けれどもその中から戦後の日本は、経済成長に民族の精力を傾け、「平和と民主主義」という枠組みを受け入れ、高度成長の時代を経て、昭和が平成に代わった時に冷戦の勝利者米国を畏怖させる「経済大国」にのしあがっていた。
この繁栄の頂点に達した時こそ、成長の対価の中に実は日本人が多くのものを忘れてきたことに気付き、その記憶の再生の中からもう一度民族としての力を糾合する時だったのではないか。 しかし実際には、平成の30年、私たちの多くは、バブルの崩壊、急激な人口減少、少子高齢化、社会保障の崩壊、累積する財政赤字、未来への希望を失わせる派遣労働など目前のさまざまな問題に埋没されていった。
内向き志向と批判され、失われた30年と揶揄される中で、私たちは死に物狂いで発掘し世界に向かって発信すべき国造りのビジョンを形成し得なかった。その国造りのビジョンの根底に、民族の歴史の記憶があるはずだった。それは、太古の時から日本を日本たらしめてきた自然と、その自然の中260年の平和の下で育ててきた文化、それらが融合し江戸末期に世界の旅人を驚嘆せしめた風景の美しさが一つ。風景の美しさはそこに住む人たちの心からの笑顔なくして決して輝くことはない。生活の安定と豊かさと教育の中から生まれてきた子どもたちの笑顔がもう一つ。一神教による真理の占有の中から発展してきた西欧文明の対極にあり、他の文化をいったん受容し、その中から独自のものを形成する寛容さがもう一つ。
奇しくも今、30年の平成が次の世に移らんとする時、世界は歴史的な混沌に突入している。トランプの言う「アメリカ第一」は、程度の差こそあれ、世界中の国がみな主張する「自国第一」の究極であり、ポピュリズムとナショナリズが席巻する時代に入ろうとしている。今こそ日本は、忘れ去った歴史の記憶の中から世界の混沌を解く「日本発の世界思想」を見いだすときが来ているのではないか。

◉とうごう・かずひこ
1945年、長野県生まれ。東京大教養学部卒業後、外務省に入省。条約局長、欧亜局長、駐オランダ大使などを経て、2002年に退官。ライデン大で人文博士。京都産業大教授、同大世界問題研究所所長。10年より現職。11年より、静岡県対外関係補佐官。著書に『北方領土交渉秘録』、編著に『日本発の「世界」思想』など。