賛同企業代表者 文化人 対談シリーズ
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- 2019元日 文化人メッセージ -

木立雅朗

足元の自然と歴史を捉え直し
モノづくりと生活を考え直す

木立雅朗
立命館大学 文学部教授

京焼・清水焼に関わる人たちから「京都には土がない」という言葉を聞くことがある。尾形深省(乾山)が記した『陶工必用』では、仁清焼・乾山焼ともに京都の土を主に使用していたことが記録されているが、そのことは忘れられているようだ。産業として大規模化したこともあり、都市化した京都で陶土を採集することは難しいため、他地域から土を搬入するようになって久しい。他の窯業産地では現地の土が重視されるが、京都ではそのようなこだわりはない。
平安京・京都の発掘調査では土取り穴がよく検出される。「土」も京都の自然資源として大切に活用されていた証拠である。その代表例は聚楽土であろう。聚楽壁や聚楽焼(楽焼)の原料としても貴重な土である。
京焼は寺社などから土を拝領し、その許可と庇護の下で生産された。京焼とは、そうした関係の上に成り立った、社会的な焼き物である。自然と歴史を大切にした焼き物ともいえるだろう。土取り穴はゴミ穴として転用されるため、都市を再生し続けるためには欠かせない大切なものだった。京都の土は、その場所の領主や歴史とも関わるため、単純な自然資源ではない。清水寺の門前で、土を下賜され焼かれたのが本来の清水焼であった。このように、社会や歴史と繋がったものであった。土を生かすことは、京都で生きていくためには重要なコトであった。そのような歴史を持つ京都の土を、地域社会の共有財産として尊重した上で、足元の自然と歴史を捉え直し、モノづくりと生活を考え直すべきだと思う。
しかし、歴史的な自然資源であっても、発掘現場や工事現場では注意されることが少ない。これらの土を地元の陶芸家に提供できないだろうか。発掘や工事で捨てられる土を活用することは、自然を喜び生かすことであり、京都らしいことだと思う。実は京都には土がある、捨てられていただけだ。そのことを自覚し、「もったいない」精神を生かせば、京都の土にこだわった、新しい京焼を創造することができるのではないだろうか。
2014年、立命館大学衣笠キャンパスの新図書館工事現場から良好な土を得ることができた。その土を練り、学生とともに茶碗や瓦鍾馗を製作した。同じことは他の地点でもできるだろう。足元の歴史と自然を大切にしてほしい。市民がそのように生きることこそ、地域を豊かにすることに繋がる。それこそ、京都らしいことではないだろうか。

◉きだち・まさあき
1960年、石川県生まれ。84年立命館大文学部卒。石川県立埋蔵文化財センター主事、立命館大文学部助教授を経て2004年から現職。鳴滝乾山窯跡や五条坂の近現代京式登り窯の発掘調査・民俗考古学的調査など、窯業に関わる考古学研究に携わるかたわら、京都学研究の刷新を模索してきた。専門は日本考古学、地域史研究、京都学研究。