賛同企業代表者 文化人 対談シリーズ
経済面コラム 未来を思い描く

未来へ受け継ぐ
〜次世代のメッセージ〜

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- 2019元日 文化人メッセージ -

神居文彰

他者と生き切る感性と
いのちの行先を探求する抽斗を

神居文彰
平等院 住職

過去を懐かしむ必要はない。
私の旧い友人で創作剪画を発表し続けている女性がいる。彼女は作品を濡れないよう器用に梱包して、少しの雨なら傘をささずに街を歩く一風変わったところを持っていた。われわれは自然を受け止め楽しむということからどれだけ遠ざかったことか。日の出や日没などを含む自然体験を過ごした子どもは「いのち」に対して真摯な対応に向かうという研究もある。
雨の話しを持ち出すと、その個性を楽しむ余裕が薄れ、むしろ異物を排除しようとすらする。そもそも雨の中を歩こうにも雨水は酸性に振れていて、多くの有害物質も含んでいる…
と、ここまで書くとある一定の年齢層からはもう読むことを放棄される。長い文章を読むことも書くことも苦手なのである。ツイッターやLINE などの発達は、短文というより〝ワロウタ〟とか単文に慣れすぎ、その発言も顔を見せずに発信することができるので、どれだけでも一方的に量産できる。対面で交わることもないので相手を知る努力もなく、そこには相手への「おもいやり」も生まれない。検索も機械を用い大量の情報を瞬時に処理できるものの、行間の数値化されない部分にはプロコトルそのものが発生せず、沈黙する。まるで人間同士があえて理解し合えないエンバイロメント(環境)を作ろうとしているかのように。
かつて「みんな壊してやる」という映画のキャッチコピーがあった。これはデカダンス(耽美派)の“キホン”であり、既存の価値観への懐疑、美とは何かという芸術至上主義へのアンチテーゼでもある。映画は関東大震災の時代であるが、日本は、必ず大きな災害が周期的に訪れる。その自然を乗り越えるためには、他者への攻撃でも非難でもなく他者との協同そのものが必要であった。怨憎も親愛も同一地平上で生きていく。共生は、ともに存在しないと両者ともが立ち行かなくなることを暗示する。雑多な個性の中に生きることを思い出したい。
現世で永遠のいのちなどあろうはずもなく、医療も万能ではない。善導大師は「医はよく病をいやす。しかれどもいのちをいやすものではない」と直言し、法然上人は「祈って病がなおるならこの世界に死ぬ人など誰もいない」という旨のことを云われた。
沈黙は神だけで十分である。晴雨や光影いわば陰影両者の自然を自由に楽しみ、他者と生き切る感性といのちの行先を探求する抽斗を、常に開きやすくしたいものである。長文も厭わずに。

◉かみい・もんしょう
1962年、愛知県生まれ。10歳で多くの尼僧らにより剃髪。12歳から寺に随身。91年、大正大大学院博士課程満期退学。93年より現職。現在、(公財)美術院監事、(独法)国立文化財機構運営委員、埼玉工業大学理事などを努める。著書に『いのちの看取り』『臨終行儀-日本的ターミナル・ケアの原点-』『平等院物語ああ良かったといえる瞬間』など著書多数。