賛同企業代表者 文化人 対談シリーズ
経済面コラム 未来を思い描く

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- 2019元日 文化人メッセージ -

麻生圭子

季節を自然で感じる
原風景にみる美しい輪廻

麻生圭子
エッセイスト・作詞家

今年の注連縄は自分で作りました。もちろん初めてです。クリスマスリースは作ったことがあるのに。
京都暮らしから、1年間のロンドン生活を経て、3年前から、琵琶湖のほとりで暮らしはじめました。前は湖、後ろは比良の山々。ほとりから山裾まで棚田が広がります。
こちらに来てから、季節を稲で感じるようになった気がします。桜が散ると、田植えの準備がはじまり、立夏の頃には、苗が根付き、水田は空を映す水鏡となる。
水田は人の手で作っているのですから、人工かもしれませんが、琵琶湖の湖面にも勝るとも劣らないような風景になります。どんな時代になっても、これが日本人の美意識で、また原風景であってほしいと願う私です。
去年の暮れ、「注連縄づくり体験」の参加者募集を知り、いちばんで申し込んだのも、そんな思いがあってのことでした。
近くに無農薬、化学肥料なし、わらは「はざかけ」で自然乾燥させているもち米作りのファームがあり、主催はそのファーム。
注連縄は、うるち米ではなく、もち米のわらで作るほうがいいのだそうです。お正月は神さまの食べ物も、鏡餅、お雑煮とお餅尽くしです。ですからそれに合わせてのことかと思っていたら、理由は現実的でした。もち米のわらのほうが、粘りがあり折れにくいのだとか。はじめて知ることでした。
始末ということばがありますが、お米をとった後の稲を、昔の人は乾燥させ、それでいろんなものを拵えてきました。それはもったいないとか、稲には捨てるところがないということより、森羅万象、すべてのものには、最期まで生かされる道がある、という考え方ではないかと思ったりします。
たとえば縄。祇園祭の山鉾を組み立てるのに使われています。釘より、縄のほうが衝撃を和らげることができるからだといいます。
最近、スーパーなどで売られている注連縄に用いられているわらは、中国製がほとんどだと聞きます。というのも、通常のコンバインでの稲刈りでは、はざかけでの自然乾燥をしないので、わらそのものが取れないのだとか。断裁しながら田んぼに撒いて、肥料にしてしまうからです。
現代流の始末でしょうが、何やら寂しい気がします。
今年の注連縄は小正月にできれば燃やしたいと思っています。灰はいい肥料になるのだとか。美しい輪廻ですね。

◉あそう・けいこ
1957年、大分県生まれ。83年、作詞家デビュー。吉川晃司「ユー・ガッタ・チャンス」、徳永英明「最後の言い訳」、浅香唯「セシル」などヒット曲多数。96年に京都に移住後、町家でエッセーをつづる。その後、ロンドン暮らしを経て、2016年からは琵琶湖畔で生活。著書に『茶わん眼鏡で見た、京の二十四節気』『東京育ちの京都探訪』『いけずな京都 ふだんの京都』など。