日本人の忘れもの 知恵会議  ~未来を拓く京都の集い~

自然との共生や宗教心が生きる
各地の伝統や文化の大切さを思う

金剛永謹
能楽金剛流宗家
金剛永謹

◉こんごう・ひさのり
1951年、二世金剛巌の長男として京都市に生まれる。シテ方金剛流能楽師。56年『猩々』で初舞台。98年に金剛流26世宗家を継承。公益財団法人金剛能楽堂財団理事長。国内に限らず海外公演も多い。

紅葉の観光シーズンが過ぎ去った京都は、ひとときの落ち着きと静けさに包まれる。枯葉(かれは)が足元を舞い上がるなか、冷たい初冬の風に身を縮こませていると、本格的な京の底冷えの季節の到来を実感する。近年はめっきり少なくなったが、雪の日ともなれば、真っ白な雪を抱いた比叡山を望み、空気がピーンと張り詰めた銀世界の美しさに溜息(ためいき)がこぼれる。そして、いよいよ新年を迎える準備があちらこちらで始まると、町の雰囲気もどことなく華やかな熱気を帯びてくるのが感じられ、今年一年の無事を感謝し、明くる年の平安を祈りながら年越しを迎える。
新年を寿(ことほ)ぐ能楽の「翁(おきな)」という演目の中に「十二月往来」という特別な小書(特殊演出)がある。この小書がつくと、通常は一人翁が二人翁となり、正月から師走までの十二月ごとの風流を語り、翁之舞を相舞するという演出となる。
古来より人々は四季の移ろいを肌身で感じ、感謝の念を捧(ささ)げ、春夏秋冬それぞれの素晴らしさを讃(たた)え、季節感や自然との一体感を何よりも大切にしていたのだと思う。
それは日本独特の美意識や価値観を育み、さまざまな日本独自の文化・芸術を生み出した。能楽を大成した世阿弥は、新緑の新しい生命の息吹が溢れ出る瑞々(みずみず)しい花や、老木の枯れて散りゆく花を「時分の花」と言い表し、その花を追求したところに、能の美があり、人間の一生や生き方にも通じていると考えた。
2013年の金剛能楽堂開館10周年記念の特別公演として、京都では40年ぶりとなる、山形県の「黒川能」公演が開催された。山形県鶴岡市黒川の里にある春日神社の神事能として、さまざまな時代の波を乗り越えながら一度も途絶えることなく500年以上にわたり、全て氏子たちの手によって連綿と守り伝えられてきた黒川能は、五流に属さず古い演式を数多く残す特異な能として独自の伝承を持ち、1976(昭和51)年に国指定の重要無形民俗文化財に指定されている。神前に奉納する神事能の特色が色濃く残る舞台祭の儀式から始まり、黒川の奥深い里ならではの大らかな詩情溢れる趣きと、ほとばしる熱い生命力に心打たれた。
近年、東京一極集中がますます加速されていくなかで、この黒川能のように自然との共生や宗教心が生活に根強く生き続けている日本各地の伝統文化の大切さをあらためて思った。

金剛永謹

日本人の花が評価される理由は
花との向き合い方にある

笹岡隆甫
華道「未生流笹岡」家元
笹岡隆甫

◉ささおか・りゅうほ
1974年、京都生まれ。京都大工学部建築学科卒。京都ノートルダム女子大客員教授。京都いけばな協会常任理事。舞台芸術としてのいけばなの可能性を追求し、国内外で花手前(いけばなパフォーマンス)を披露。近著に『いけばな』(新潮新書)。『家庭画報』の巻頭で連載を担当中。

先日、森田りえ子画伯の屏風絵の前で、花手前を披露する機会を得た。あでやかな紅葉と青々とした松。その壮大な画面を前に、私はあえて小さな世界を描いてみた。朱色を帯びた根来(ねごろ)の高卓に置いた銅器の壺(つぼ)から、黄色い実をつけた仏手柑(ぶっしゅかん)の枝を流れるように振り出して。
各々の作品を背に、森田先生とのトークショーがはじまる。テーマは “花” だ。話が進むにつれ、日本画といけばなの共通点が浮き彫りになる。「花の顔は真正面を向けずに、横顔を見せて」、「交差して見える枝は、統一感を乱すので取り除く」、……。
制作中に作品を客観視する必要性にも話題は及ぶ。絵もいけばなも1枚の葉の輪郭にまで細かく気を配る。が、ディテールにこだわるあまり、全体像が目に入らなくなることも。そんなときは、一旦作品から離れて、もう一度別の視点から作品を見つめ直す。
先生のアトリエには大きな鏡が備え付けられているそうだ。鏡を通して作品を見れば、距離が倍以上に開き、さらには左右が反転するので、客観的に眺められるという。
日本人は、自国の文化に対して関心が低いと言われるが、外国人の目という “鏡” を通して日本文化を見れば、その魅力に気付いてもらえるのではないだろうか。
あるフラワーデザインスクールの校長が、こんな話をしてくれた。日本のフラワーデザイナーが海外で作品を披露すると、IKEBANAだと言われる。西洋由来のフラワーデザインでさえ、日本人の手にかかるとIKEBANAになる。これは、フランス人の料理や、オーストリア人の音楽のように、日本人の “花” は特別なものだと理解されている証拠だ、と。
海外で日本人の花が評価される理由は、花との向き合い方にあるのだと私は思う。日本人にとって花は、単に美を演出する道具ではない。満開の花だけを愛でるのではなく、つぼみの状態でいけあげ、その花の命のうつろいを見届ける中で、人生観や宇宙観を学んできた。日本人にとって、花は “師” である。
本年は、日本スイス国交樹立150周年。2月には、在スイス日本国大使館からの招聘(しょうへい)により、現地で花手前を披露する。海外の期待を裏切らないように、日本人の花への思いを伝えたい。
そして今、一つの夢を持っている。2020年、オリンピックの開会式で、日本の華道家の競演を世界に向けて発信したい。日本人にとって花が特別な存在であるということを、今一度思い出してもらうために。

笹岡隆甫

伝統の和食は真心で作り
五感で味わうもの

杉本節子
奈良屋記念杉本家保存会 常務理事兼事務局長・料理研究家
杉本節子

◉すぎもと・せつこ
京都市生まれ。(公財)奈良屋記念杉本家保存会常務理事兼事務局長、料理研究家。生家の重要文化財「杉本家住宅」と京町衆の文化継承、京のおばんざいを主とした京都の伝統食の伝承に努める。2009年京都府あけぼの賞。12年京都府「きょうと食いく先生」認定。京の食文化ニュージアム「あじわい館」開館記念展示「京のおばんざい文化展」監修。

「和食 日本人の伝統的な食文化」が昨年12月にユネスコ無形文化遺産に登録されてから、初めてのお正月を迎えました。
暦や年中行事を昔ながらに行う習慣が薄れている現代において、お正月は、一年中で最も和の文化を意識する行事といえるでしょう。そこには、お雑煮、おせち料理をはじめとする伝統的な和食が欠かせません。暮れに取りかかったその支度。食の多様化による「和食離れ」や原発事故で広がる「風評被害」、食材偽装問題など、日本の食をめぐる危うい現状を憂いつつ、無形文化遺産登録と来る年への希望に思いを巡らせながら小芋の皮をむきました。
料理は誰にでもできますが、食材一つ一つにふさわしい下ごしらえをし、おいしいと感じられる味つけをすることは、そうたやすいことではありません。幾度かの失敗と経験、食べる人への真心を込める思いとがぴたりと寄り添い合ったときに初めて、おいしさが生まれるのだと思います。私にとって、そうした味わいを持つ正月料理のひと品が、祖母の炊いてくれた黒豆です。
火鉢の残り火を上手に使いながら、ゆっくりと数日をかけ柔らかく煮上げてゆくのです。日ごとに元の豆の形にふくらんでゆく豆の一粒づつを口に含んでは、煮え加減や味の染み具合を何度も確かめている祖母の顔には、自分が大切に思う家族を思い浮かべる表情がありました。その祖母の胸の内にあったものこそが、真心というべきものであり、嘘いつわりのない「手作り」の味は、家庭の台所で生まれ継承されるべきものだということを教えられた気がします。和食は五感で味わう料理と言われますが、真心は、春の海のごとく、おだやかに五感に作用するもののように思えます。とはいえ、手作り離れも否めない現在、出来合いのものから真心は望めなくとも、自分の五感で味わうことは、誰にも邪魔されずにできることです。
お雑煮をいただくとき、漆塗りのお椀(わん)の口あたりを介して、糸花かつおの香り、白味噌(みそ)のまったりとした汁、真っ白な丸餅のもっちりと口中にまとわる食感は、まさに新玉の年を迎えるにふさわしいものです。そして、三種の祝い肴(さかな)を食(は)むとき、家族の口元にも聞くそのしめやかな響きに、毎年変わらぬこの静謐(せいひつ)な元旦のひとときを迎えた幸せを感じます。
先人が遺(のこ)した行いを紡ぎ、地道に続けることが和食の文化をつないでゆくことになるのではないかと思います。目まぐるしく変化を遂げる時代だからこそ、お正月と伝統の和食を大切にする心を持ち続けたいものです。

杉本節子

「もったいない」ということば
若い人に残していきたい

瀬戸内寂聴
作 家
瀬戸内寂聴

◉せとうち・じゃくちょう
1922年、徳島市生まれ。東京女子大卒。代表作に『夏の終り』『美は乱調にあり』『源氏物語』(現代語訳、全10巻)、震災をテーマにした対談集『その後とその前』など多数。73年に得度し、天台宗僧正。2006年文化勲章受章。

最近、「断捨離(だんしゃり)」とかいう言葉がはやっている。整理整頓をするため、身のまわりの物を捨てよという趣旨の同名の題の本がベストセラーになった結果のなりゆきである。またその本が、当たったこともあってか、同種の趣旨の整理整頓の方法やすすめの本が次々出版され、それらがまた相当に売れているという。何を隠そう。実は私もそれらの本が出ると、片っ端から買わずにいられない人間なのである。
私は整理整頓がまことに下手で、書斎なんか、いつでも、何度引っ越して新しくなっても、1カ月もしないうちに、足の踏み入れ場もないほど乱雑を極めてしまう。それでも、その乱雑さの中で、どの本や資料が、どのあたりの本や郵便物の山の下にあるか、私には分かっているのである。もちろん、それを取り出すたびに、高く積まれた物の山が崩れ落ち、さらに足の踏み場もなくなってしまう。スタッフの中には、生まれつき整頓の名人芸を備えた整理天才の人物もいるのだが、書斎だけはいじらせないので、きれいになりようもない。
整理整頓をすすめる本は、どれを読んでも「断捨離」の精神を信奉していて、ものは片っ端から捨てろと教えている。この正月で数え93歳になった超高齢者の私の世代の者は、子どもの時から、米粒の中には神さまや仏さまがいらっしゃると大人に言われ、一粒の米でもうっかり洗い流そうものなら、「もったいない」と、母にどなりつけられたものである。小学生から女子大を出るまで「ものは捨てるな」と教えられ、廃物利用という言葉が、断捨離以上の流行語になって、煙草(たばこ)の箱さえ捨てずに、それで鍋敷きなど作ったものだ。毎回捨てる紙おむつなど想像したこともなく、古浴衣でおしめを作り、毎日それをたらいで洗うことが、母となった女の必須の仕事になった。
「捨ててこそ」という一遍上人の言葉に感動して40年前出家した私は、その時、一応身ひとつに身辺整理したが、40年の間には、もと以上に身のまわりに物が増え続けている。近づいた死までにこれを一掃できそうもない。やっぱり若い人たちに、「もったいない」という言葉を残していきたいと思っているこの頃である。

瀬戸内寂聴