日本人の忘れもの 知恵会議  ~未来を拓く京都の集い~

1人の「気付き」を10人に広げ、
京都から日本人の本質を語ろう

市田ひろみ
服飾評論家
市田ひろみ

◉いちだ・ひろみ
小学校6年間を、中国・上海市に居住。以後京都在住。京都府立大国文科卒。OLのあと女優としてデビュー。その後、服飾指導研究。世界106都市で、きものショーなど文化交流を実施。また、きもの研究のかたわら世界の民族服のコレクター。女優として、「京都迷宮案内」おかみとして出演。緑茶、おにぎりなどCM多数。

「きもの」とかかわる仕事を始めたのは、1963(昭和38)年ごろだから、すでに半世紀が過ぎたということになる。最初のころは、着付け、帯結びという技術が主たるテーマだったが、やがて服飾史にひろがり、美術工芸も、私のテリトリーになった。
今では日本文化全般という、大きなフィールドの中で、学びつつ仕事をしている。
昨年11月。NHKから出演依頼があった。「生ける伝説 きわめびと」というタイトルだった。
「きわめびと」は、初めて聞く言葉だったのでディレクターに意図するところを聞いた。
「生涯 ひとすじの道をあゆみ 今なお、現役の人をさす造語です」ということだった。
11月4日朝、全国放送でオンエアされ反響も大きかった。
衣・食・住はその民族にとって、気候・風土、歴史、環境の中で集約され、形となって今日まで継承されて来た。 果たして、その民族の固有の文化を次世代に、どうして継承してゆけば良いのか。
太平洋戦争後の日本は、資源のない小国がただただ、真面目で誠実な『人間力』で復興して来たのだ。
しかし、その過程で、多くのものを一方で失いつつ、けずりつつ、戦後68年。
そろそろ、日本人が忘れつつあるものを、みんなで思い出したいと思う。
1人の「気付き」を10人の「気付き」に、さらに、大勢の気付きにと今こそ京都から、日本人の本質を語りかけてゆきたいものだ。
私は、明治の親に育てられたことをとても感謝している。
恩 忘れたらあかん
弱いもんいじめしたらあかん
えばったらあかん
嘘 ついたらあかん
遅刻したらあかん
泣いたらあかん
また同じこと言うてると思いつつ、うるさいなあと思っていた親の小言はやがて子どもの骨肉の中にしみこんでいくものだ。
社会秩序が失われつつある今日。智恵を出しあって、文化の中心都市の役割を果たしていきたいと思う。

市田ひろみ

高千穂の秋元に伝わる夜神楽に
日本人の豊かさを感じた

河瀬直美
映画作家
河瀬直美

◉かわせ・なおみ
映画作家。生まれ育った奈良で映画を撮り続ける。かつて『萌の朱雀』や『殯の森』が高い評価を得たカンヌ国際映画際で、昨年は日本人監督として初めて審査員を務めた。今年9月12-15日開催の「なら国際映画際」ではエグゼクティブディレクターを務める。祖母の故郷である鹿児島県奄美大島を舞台にした新作『2つ目の窓』を制作中。初夏公開予定。

宮崎県の高千穂町に秋元という集落がある。高千穂と言えば天孫降臨の地として有名であるが、ご縁があってこの地で撮影する機会を得た。宮崎県は奈良県と神代の時代からつながっているであろうと思われるほどに、地名やその地に登場してくる歴史上の人物が同じである。現在でもこの場所へ来るのに奈良から半日以上かかるというのに、千年以上前の人はどうやって、どれくらいかかってここにやってきたのか、と不思議に思う。が、そこは楽天家の私である。千年前にこそドラえもんの「どこでもドア」が存在していたんじゃないだろうか、きっとそうだと自分を納得させる。誰もわからない古代のことである。楽しい想像を働かせても心のうちだけなら許されるだろう。 さて、この秋元という集落には百数十人の人々が暮らしているが、90%以上、そのほとんどの人が「飯干(いいほし)」という姓を名乗る。よく地方の集落では同じ名字の人が存在するが、これほどまでに飯干さんだらけだと、何か飯干一族の謎が隠されているような気もしてくる。かくいう私の河瀬という姓は、岐阜県の揖斐(いび)郡にある集落にたくさん存在する。集落のお墓に行けば「河瀬家」と名を刻んだ墓石だらけだ。単純にそれらの先祖をたどれば、同じ人に行き着くんじゃないかと不思議な感覚にもなる。
秋元には夜神楽(よかぐら)の伝統があって、11月の満月の日に夜通し33番の神楽を舞う行事や、それに伴う風習が残っている。その取材に訪れたのだが、神楽自体が素晴らしいのはもとより、この集落の人々の気質が素晴らしい。古来より自分と他者の間に垣根を作らず、すべての民は神様の子どものように生きとし生きてきたからだろうか。そこに集う観光客までもその行事の一部として認識し、歓迎し、もてなす姿勢がある。神楽を舞う「ほしゃどん」という氏子のみなさまは、一同に神楽を舞うことは神と一体になれる瞬間なのだという。その神楽を舞う場所を神庭(こうにわ)といって男性が中心になって場をしつらえてゆく。女性の仕事は皆のご飯をつくることだ。素朴な煮炊きものとお漬物、白ごはんやおうどんなのだがこれがまたおいしい。同じ釜の飯を食べる一体感からだろうか、そこに集う皆にその喜びが訪れる。ああ、これが日本だ。日本人の豊かさだと思う。経済優先、競争社会の中にあって他人を気遣う余裕のない時間の狭間に、現存するそれらに今年もたくさん出合ってゆきたいと願う。

河瀬直美

「速成栽培」の時代だからこそ
「温故知新」の本当の意味を

杭迫柏樹
書 家
杭迫柏樹

◉くいせこ・はくじゅ
1934年、静岡県生まれ。京都学芸大(現教育大)美術科書専攻卒業。書家村上三島氏に師事。日展特選、日本芸術院賞など受賞多数。2012年12月に京都市文化功労者認定。13年11月には京都新聞大賞(文化学術賞)。日展常務理事、日本書芸院理事長。著書に『王義之書法字典』や『書・心の風景 杭迫柏樹作品集』など。

祇園甲部に秋の「温習会」があります。春の「都をどり」に対し、芸の真剣勝負といいますか、見終ったときにはすっかり疲れてしまいます。 「温」の字は、大漢和辞典に、「温は尋なり」「温、習なり」という項があり、「温習会」の出典を知ったのですが、私がここで強調したいのは、孔子が「故きを温ねて新しきを知る」の「温」がなぜ「尋」を使わなかったかであります。
阿川弘之先生の著作『大人の見識』(新潮新書)には、『「古キヲタズネル」んだけど、ただ尋ねるのではなく、「アタタメタズネル」んだよと、孔子は言いたかったらしい。(中略)「温とは、肉をとろ火でたきしめて、スープをつくること。歴史に習熟し、そこから煮つめたスープのような知恵を獲得する。その知恵で以って新シキヲ知ル」―。
まさに東洋古代のwisdomそのものではありませんか。肉を煮つめていい味のスープを取ろうと思ったら、強火でやっちゃいけないんだ。歴史を学ぶのも、にわか勉強で手早く片付けようとしたのでは駄目だよ、孔子はそう言いたくて「温」の字を使ったというのが吉川幸次郎先生の御見解です。』とあります。
私は書人なので、3500年の書の歴史を省みることもせず、はんらんする「何でもあり」の乱れた現代の文字文化に対する警鐘と受け取っていたのですが、一歩外に眼を向けると政治、経済はもちろん、文化、いや人生全てにわたっての黄信号であるとつくづく感じます。
何でも手軽な「速成栽培」の時代だからこそ、じっくりとこの格言を味わい、全ての人が歴史をふり返って、正しい道を探り当てたいものです。
すばらしい歴史のその地で鉱脈の上に立ちながら、毎日、マスコミを賑(にぎ)わせているこの乱脈ぶりは、皮肉にも「最も高尚なものから、最も低俗なものが生まれるのは、仏の側に生臭坊主がいるのと同じ道理だ」と喝破された高村光太郎さんの名言が思い起こされます。
私は「手書き文字には魂が宿る」という原点から出発して、「文字の美しさは、一国の文化のバロメーター」の実現を目指して日々精進していきたいと思っています。

杭迫柏樹

中秋の名月の前後に
街あげて灯り消してはどうか

小林一彦
京都産業大学日本文化研究所所長
小林一彦

◉こばやし・かずひこ
1960年、栃木県生まれ。慶応義塾大大学院修了。京都産業大日本文化研究所所長。専門は日本古典文学。古典による観光振興をゼミのテーマに掲げ、2010年経済産業省主催「社会人基礎力育成グランプリ」で準大賞、優秀指導賞をダブル受賞するなど大学生の人材育成にも取り組む。

東山や嵐山の花灯路が、新しい京の風物詩として定着しつつある。電飾の数を競い合ったり、華美な人工色を強調せずに、街並みの陰影を際立たせ、ほんのりと控えめな灯(あか)りが脇役に徹しているおくゆかしさは、いかにも京都らしい。
昨年の秋、東山の名苑で月の出を待つ機会があった。庭の池をはさんだ樹木のその先には、借景がはるか比叡山まで広がっている。灯りらしき灯りは一つも見えない。「おそくいづる月にもあるかなあしひきの山のあなたも惜しむべらなり」(古今和歌集)の古歌が思い出される。近江でもさぞかし月を惜しんで引き留めているのだろう、京都の月の出が遅いなあ、というのだ。待ちくたびれる人々は、王朝の時代にもいたらしい。けれども贅沢(ぜいたく)に時を費やしてながめていると、目も暗さになれ、ほの明るさを徐々に増していく夜空と、逆に陰って山容をいちだんと濃く沈ませる東山との、微妙な陰影のあわいに引きこまれていく。いつのまにか誰も口を開かなくなった。足下からは秋の虫のすだく声が心地よい。やがて夜空にひろがっていたほの明るい微粒子が、ある山際の一点に急速に吸い寄せられたかと思うと、まばゆい光をまとった月が顔をのぞかせる。闇になれた目にはくらむばかり、神々しいまでの美しさである。かぐや姫の世の人々が見たのは、きっとこのような月ではなかったか。
谷崎潤一郎の『陰翳礼賛(いんえいらいさん)』は、日常の微妙な暗さの中に日本独特の美意識を認めた名著である。最近、翻訳書が海外でも評判を呼んでいると聞く。闇を駆逐せずに陰翳のまま残したことが、目を凝らすための視覚はもちろん、それ以上に、香りや風合い、手触り肌触り舌触りを重視する感覚を発達させ、独特の文化を育んだ。その点、現代人の五感は退化の一途をたどっている。子どもたちの将来も、文化の未来も心配だ。
環境省のCO2削減ライトダウン運動が始まって久しい。京都や滋賀では、中秋の名月の前後に街をあげて灯りを消してはどうだろうか。防犯のための灯りは残しつつ、古典ブランドの「月」に、お金をかけずに街並みをライトアップしてもらうのである。リピーターの観光客も驚くような、月の光で影を帯びた、新しくて古い平安京や琵琶湖が出現するのではないか。陰影の文化を未来につなぐ機会としても、意味があるだろう。

小林一彦